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開いたままの携帯を床に放ってそのまま寝た。
明日から宮村と話せなくなるかも。そしたら宮村は悲しむのかな。わかんない。
頭痛くなってきた。今日、頭痛しっぱなし。
明日。普通に話せるようにしなきゃ。
○
「堀さん、おはよ」
「あ、お、おはよう」
朝から宮村はにこやかだった。
「堀さん」
「えっ、何?」
「これ、言ってたやつ書いてきたよ」
そういって宮村が出したのはケーキのレシピだった。
そういえば、頼んでたんだった。
「メールだとね、どうしても作ってる途中に何回も携帯いじんなきゃいけないでしょ? だから、紙のほうが便利だと思って」
「そ、そっかぁ」
この字だ。机の引き出しにしまってあった、あのメモの字だ。
小さくめまいがした。
○
これできっと終わりかな。
新しい彼氏の誕生日プレゼントにケーキを作るのを手伝って、きっと二人はうまくいく。お互い幸せになって、俺は蚊帳の外。赤の他人。
彼女が、心から喜んでもらえるように。俺が最後にできる、彼女への奉仕をしよう。
そしたら俺と彼女は元恋人同士から、ただの友達同士に変わるんだ。
○
「粉がダマになんないように混ぜて」
「こ、こう…?」
「そうそう、そうそう!」
堀さんは不器用に泡だて器を握って、肩を強張らせていた。
自分でも思う。なんて滑稽な姿なんだ。
「じゃあ、型に流し込んで空気を抜きます」
ゆっくりね、と言ってはみるもののしゃべりがぎこちない気がする。
エプロンを身に着けた堀さんはいつものように家庭的だ。
「空気ってどうやって抜くの?」
「型を軽く持ち上げて、トントンってする」
「なるほど」
クリーム色の生地から気泡が浮き出て、プツプツと割れる。気泡がだいぶ出てこなくなった
ところで、オーブンの準備をした。
「じゃあオーブンに入れていいよ」
「はーい」
スタートボタンを押す。40分ほど時間がある。
「ボウルとか洗っておこうか」
「そうだね」
そういえば、初めて堀さんちに来た時も皿洗いしたっけ。懐かしいなぁ。
皿洗いが終わった時に、堀さんから声がかかった。
「ソファに座って待ってて。トイレ行ってくるから」
「はーい」
このソファも最後かな。すっかり座れ慣れてしまったソファを、ゆっくりと撫でた。
「ごめんね、待たせて。映画でも見てようよ」
「どんなやつ?」
「私ホラーとか好きなんだけど…、宮村大丈夫?」
「うん、友達でそういう映画好きな人がいてさ。見んの、割と慣れてる」
「そっか」
友達、ね。我ながら嫌な嘘だ。
いつものようにビデオデッキが低く唸る。
血まみれのオープニングが、突然本編に移った。真っ暗な画面、鳥肌が立つ。
暗い部屋の天井の隅から、長髪で肌の白い女の人がこっちを見下ろしている。目はつむったままで、ふわりふわりとこちらに寄ってきているようだ。
その時、ソファについていた手に温かい手が乗った。それは懐かしい感触で、急に心臓のテンポが上がった。
「あ、ご、ごめん」
堀さんも無意識だったらしい。
「気にしなくていいよ」
そういったら堀さんは、再び手を重ねてきた。
ホラー映画の内容なんて頭に入ってない。
こんなポジションでいいのかな、俺は。
(ケーキが焼きあがるまで)(この時間が、いつまでも続けばいい)
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