桃生ものう千歳ちとせは至って平均値を保つ少女だった。この場合の平均値とは黄金比のことであり、簡単に言うなれば美人ということである。しかしながら美人と単に言っても、飽くまで黄金比を持つのみの者と個性を発揮する者がいる。千歳においては前者であった。そんな彼女の前に今、後者であろう少年が立っている。いや、この場合立ちはだかると言うべきか。校舎の裏手にある裏門までの近道の途中のことだった。
 千歳は容姿における美醜に頓着しないタイプだった。自らが美人に属するからということでなく、人間など一枚皮を剥げばただの肉塊だと思っているからだ。目が二つあり、鼻があり、口があり、耳が二つ、手があり足があり胴があり、思考し行動し会話する肉塊。口から摂取した食べ物の滓をり出す内臓、生殖のために用意された凹凸、全てを誤魔化すように被せられた皮。千歳にしてみたなら、容姿が優れていればいるほど滑稽な生き物に思えた。そしてその思考はそのまま瞳に乗せられ、目前の少年に注がれていた。

「何か」

 十七歳とは思えない冷めた声色が言葉を紡ぐ。瞳と同じほどの意味合いを乗せていたことを少年が汲み取ったかは定かでないが、千歳を見る目は鋭くなった。

「お前、恋ってどう思う」
「は?」

 挑むような視線を受けて、にも関わらず全く空気にそぐわない言葉を耳にして、千歳は少なからず面食らった。微動だにしなかった眉が僅か跳ね上がり、大きくも小さくもないひたすらに黄金比を保つ整った形の瞳を一度だけ瞼が覆う。次に瞼が上がったとき、千歳は言葉を返した。

「容姿に恋したのなら浅はかだと思うわ。いつか枯れて腐れるのだもの」
「は?」
「頭蓋骨には脳味噌が、胸の内には心臓と肺、その下には各臓器が、腹の中には内臓が、そのまた中には糞が詰まっているだけ」
「は?」
「だから、容姿に恋したのなら長くは続かないと見解を述べたのだけど」

 少年は呆けたように口を開け、千歳を見遣ったまま何も言わなかった。言えなかったのかどうか、そこまでを千歳が気遣う義理はなかった。

「話は終わったようだから、わたしはこれで」

 颯爽と踵を返し来た道を戻る。何を以って彼が質問をしたのか図り兼ねたが、迂闊に隣を擦り抜けて腕でも掴まれようなら面倒だと結論付けた行動だった。自分が一般的にどう見られているかを承知しているが故、度々訪れる似たような状況に思わず溜め息を吐く。今回がそれかどうかは大した問題でなく、ひたすらに回避することのみが重要だった。勘違い女と罵られることもあったが、そちらの方がよほどありがたいと千歳は思っていた。
 後ろではようやく少年が正気に戻ったのか、走り出す足音がする。一難去ったのだと、千歳は安堵の溜め息をまた一つ吐き出した。

「おい!」

 ──はずだったが、思惑は大きく外れ、少年の足が向かったのは千歳の方だった。腕を取られた拍子にバッグが鈍い音を立て地面に落ちる。開けっ放しだったそこから買ったばかりの筆箱が落ち、またもそれが開けっ放しだったためにシャーペンや消しゴムがばらばらと散らばってしまった。

「……買ったばかりだったのに」
「バッグも筆箱も閉めとけよ!」
「わたしの勝手でしょうが」

 拾うつもりで動いた千歳を逃走のための行動かと勘違いしたのか、空いた左手をも少年が咄嗟に掴んだ。引っ張られた拍子に、落ちたバッグを蹴っ飛ばす羽目になり、今度は教科書やノートが飛び出す。今度こそ、千歳は盛大に眉を顰めることとなった。

「ちょっと何なの。全部出ちゃったんだけど」
「いいから聞け!」
「話なら聞いたし返答もしたはずだけど。全部出ちゃってるんだけど」
「それはお前が悪いんだろ!」
「あなたが引っ張ったからよ」

 堂々巡りの会話に溜め息を吐いたのは少年の方で、それにまた千歳は納得がいかなかった。だいぶ背の高い少年を睨むが如く見上げたなら、ぱちりと交わる視線。途端、少年の頬に朱が差し、黒目がちな瞳が泳ぐ。千歳はもう一度、さきほどの言葉を反芻した。

「頭蓋骨には脳味噌が、胸の内には心臓と肺、その下には各臓器が、腹の中には内臓が、そのまた中には糞が詰まっているだけよ」
「わかってるよ。お前はバッグを開けっ放しにするような面倒くさがりで、屁をこけば糞もするってことだろ」
「目糞も鼻糞も出るわ」
「何お前、仏か何かかよ」
「肉体の不浄を説いているわけじゃなく、事実を述べているだけ」

 ぐっと力を込めて引いた腕はびくともせず、男女とはこういうものかと千歳は思いながら、あっさり諦めた。体格も構造も相反する生き物をまざまざと見上げ、小さく肩を落とす。

「で、用事は何?」
「さっきのでわかんなかった?」
「わからない」
「今のでも?」
「嫌がらせってことでいいのね」
「違えよ、馬鹿かお前」

 まただ、と挑むような視線を受けて思う。過去、同じような状況に置かれた際にこんな目をした人間はいなかった。皆一様に俯き恥じらい、一言断りを入れるかさきほどのような態度を取れば、泣くか罵声を浴びせるか。

「あなたみたいな人は初めて」

 ぽろりと零れた呟きに、少年は頬にまたも朱を乗せ、そして嬉しそうに笑った。

「じゃあ、俺にしない?」

 衝撃が走る。その事実が、千歳の中に感嘆修辞疑問符として駆け巡った。

「……花嵐、みたい……」
「は?」

 ただの肉塊、そこに被せられたたった一枚の皮を初めて、千歳は美しいと思った。





(肉塊における限界の花嵐)
_20120518 / 鈴木真心
酸欠 / インテロバング企画参加作品

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