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しおり

 ■ 千田真弓
 
それは年明け早々、突然に起きた事件だった。
何年前になるだろうか。
少なくとも、十何年前のことだ。
正月三が日のあの日、小日向家には、親族総勢三十八人が集まっていた。
偶然か必然か、血縁者全員が揃っていた。
それだけの人数が集まれるだけの敷地と屋敷。
小日向幸太こひなたこうたの実家は裕福であり、普通より寧ろ、恵まれた環境であったことは確かだった。

「最初からそこで育ってしまえば、恵まれているかどうかなどわからないよ。俺にとってそれは普通で、ある程度のしあわせはあった。それ以上でも以下でもない」

淡々と、懐かしむでもなく小日向はそう語る。
恵まれている故の葛藤や悩みなどは、特になかったと続けた。

「あの日はやたらと晴れていた。潔い青が、やたらと憎たらしかったのを覚えている」

やはりそこに、懐かしむ様子はなく。
憎悪や後悔も、私には感じられなかった。

「お茶をね、零したんだよ。あれは確か、叔母の肩だったかな」

酷く憤慨していた。
おかしそうに笑って、小日向はこう言った。

「"こんな恰好じゃ帰れないわ"って言ったんだよ。"そうだよなあ"なんて言って、皆笑っていた。了見の狭い奴らだと思った。そんな中で"普通だ"と思って生きてきた自分を恥じた。十八歳でね、若かった」

そんなことで。
そう思ったものの、黙って口を噤む。
私は口論をしたい訳ではない。
小日向幸太という男の内面が知りたいのだ。

「"普通"というものは個々の物差しだ。一般的に定義される"普通"を自分がそうだと思えば、それは"普通"になる」
「"しあわせ"もそうだと?」
「あんたもそうじゃないのか?自分が"しあわせ"だと思えば、誰に言われようとそう思うだろう?」

確かにそれに違いはなかった。
晴れた空に、早起きした朝に、空いている電車に、私はそれにしあわせを感じる。
けれど、雨の降る日に、遅く起きた昼に、混雑した電車に、しあわせを感じる人もいるかもしれない。

「了見の狭い者は視野が狭い。そういった者は、どこかしらで迷惑を掛ける。どこかしらで悪態を吐かれ、巡り巡って俺もそうなる」
「……それが、あなたの"恥"?」
「我が儘だ。尻の青い若造は、そのときそう思ったんだよ」

それが、あの日の夕食前。
その後、夕食という名の宴会が始まり、皆が酔いつぶれた夜中、小日向は犯行に及ぶ。
静かに、確実に、心臓のみを狙って三十八人全員を殺害。
眠りの浅い者には、喉元の声帯を切ってから心臓を狙っていた。
血だまりの中朝焼けを見た後、小日向は自ら出頭。
現場に向かった警察官は、真っ赤に染まった畳に驚愕したと、当時語っていた。

「生きるも死ぬも、殺すも殺されるも、蓋を開けてみれば大した理由はない。俺はあのときそうしただけで、蓋を開けてそう思った。了見が狭かったのは俺だよ」

ただ、淡々と。
小日向はそう語った。
そこに至るまでを調べてみれば、たくさんの抑圧された彼の姿が浮き彫りになった。
進学先の強制、過度な期待、選択肢のない敷かれたレールを走りつづけていた彼に、自由な未来などなかった。
あの事件がなければ、名家の娘でも娶り、端から見ればしあわせな現在を送っていたことだろう。

生きることに理由はない。
死ぬことに理由はない。
殺すこと、殺されることに理由はない。
ただ、それだけだ。

彼は笑って、もう一度そう言った。

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