ばたばたばたっとぼた餅が転がり落ちるような雨音だった。それしか聞こえなかったし、それ以外に聞くことはなかった。窓ガラスにはものすごい数の雨粒が叩きつけられていて、わたしはただ、それをぼんやりと眺めているしかなかった。カロンと、グラスの氷が鳴った気がした。


「それが最後の思い出ですか?」
 つまんない、と後輩は肩を落として溜め息をつき、カチャカチャと小さなティースプーンでカップを小うるさくかき混ぜている。
「そうだけど」
「ええええ、何か萎えます。ぼた餅とかあ」
「だってそう聞こえたんだもの」
「ええええ」
 そんな可愛らしく頬を膨らまされても、そうとしか言いようがないのだから困ったものだ。だいたいが、最後の恋の話っていうテーマ自体がどうなんだと突っ込みたくなる。わたしだってまだ次があるかもしれないと言うのに。
「結局、何て言われて別れたんですか?」
「うーん……」
「言い難いこととか!?」
 何故そこに食いつく。普通はしまったって顔をするシーンじゃないのか。
「正直、全く聞こえてなかったのよね」
「ぼた餅のせいで?」
「まあ、ぼた餅のせいでね」
 まるで今日のようだと、アイスティーをかき混ぜながら思った。
「梅雨はいやね」
「ぼた餅事件を思い出すからですか?」
「思い出させたのはあなたでしょう。妙な命名しないで」
 ころころとまたも可愛らしく笑った後輩に溜め息を零して、カフェの窓を叩く雨粒達をぼんやりと眺めた。ああ、こんな感じだったなと、またもぼんやりと思った。
「今年は大粒が多いわね」
「ですねえ、客足遠退いちゃって。お店に帰りたくないです」
「もっともだけどね」
 後二十分で止んでくれるものだろうか。全く、この不況にこの季節、そしてこんな話題とは憂鬱にもほどがある。朝一番で本社からのお小言という名の電話を受けてしまったわたしに、これ以上どう憂鬱になれというのだろうか。耳を塞ぎたい気分だ。
「はあ」
 頬杖ついでに両耳を塞いで、がっくりとテーブルに項垂れた。
「まあまあ先輩、がんばりましょうよ」
「……あっさり覆すわね」
「まあまあ」
 楽観的なのか前向きなのか何も考えていないのか、この子のように、わたしもなれたならいいのに。
「いつだってわたしは後ろ向きよ」
 どうせ、性格などそうそう変わりはしない。昔からそうなのだから、三つ子の魂百までだ。
「……あ」
「え?」
 思い出した。
「どうしたんですか?」
「……いや」
 あの日、あのとき、同じような気持ちでいた。

 ──どうせわたしはいつだって後ろ向きよ。
 ──だから、

「……本当に変わってないなんて」
 あれからもう、六年も経ったというのに。
「何ですかどうしたんですか、ぼた餅事件の決定打だった言葉を思い出したとか!?」
 女としての感が冴えているのか、色めき立った後輩がやたら前のめりでその目をきらきらと輝かせた。──思い出した。思い出したけれど。
「教えない」
「えええええ」
 またもつまんない、と呟いてテーブルに突っ伏した後輩が、あ、と声をあげる。
「雨、止んでましたね」
「……あら」
 塞いでいた耳から手を離せば、もう雨音は聞こえない。大粒の雨はアスファルトをきらきらと輝かせ、雲間から覗く光が空から梯子を下ろしていた。

 ──お前はどうして、すぐに耳を塞ぐんだよ。

「塞いでいたら、大切なことを見落としてしまうのね」
「聞き漏らすじゃなくてですか?」
「まあ、それでもいいけど」
「何にせよ、よかったです。お客様いらっしゃいますかね?」
「きっとね」
 さてとばかりに立ち上がり、レシートを掴んだ。
「あ、あたしの分いくらですか?」
「いいわ、ぼた餅事件がようやく終結したからね」
「え!?六年前の話ですよね!?」
 がたがたとバッグを持って忙しなく立ち上がった後輩に笑顔だけを向けて、すぐさまその視線は外へと移る。あの日のその後は、どんな景色が広がっていたのだろう。きちんと見ていたなら、もっと向き合えたかもしれない。
「先輩、結局どうなって何て言われたんですか?」
 あのとき彼が、わたしの塞いだ耳をじ開けてくれていたなら、今は違っていたのだろうか。いや、たいした変化はなく、結局終わっていたのだろう。全ては自分の問題であり、わたし自身がやるべきだったこと。
「さて、お仕事をがんばりましょうか」
 不満気な後輩を残し、さっさとカフェのドアをくぐる。多少はぐらかしたところで、どうせまた食いついてくるに違いないけれど。空は青さが戻りつつあり、僅かな湿気が夏を匂わせていた。
「がんばるか」
 そう思えたことが、何よりなのだろう。そう、きっと、今日見た晴れ間は明日に繋がっている。





_20110701
酸欠参加作品
テーマ『晴れ間に思う』

塞いだ耳を抉じ開けろ



prev / TITLE / next
© 楽観的木曜日の女