放課後、空き教室で







「おはよ、山田さん」

『み、宮城くん...!お、はよう...』




月曜日の朝、昇降口を通り抜けて下駄箱に向かうと、下駄箱の近くに宮城くんが立っていた。挨拶をされてしまったから"おはよう"と返したけれど気まずくてしょうがない。宮城くんの顔を見るとどうしても土曜日のことを思い出してしまうのだ。一瞬だったけれど、泣きそうな顔なんて分かるんだろうか。ドキドキ煩くなる心臓の音が鼓膜の近くにあるんじゃないかと思うくらいに煩く響いて、私はそれ以上何も言わずに自分の下駄箱へ進んでいく。ローファーを脱いでしゃがみ込むと、宮城くんが「山田さん」と私の名前を呼ぶから思わず顔を上げて宮城くんを見つめると「ちょっと話あんだけど、いい?」なんて宮城くんが首を傾げながら私に問いかけた。私はゴクッと息を飲み込んでから『う、ん...』とこくりと小さく頷いて、急いで上履きに履き替える。立ち上がった私に「あっち。人居ねーから」と片眉を上げて小さく笑った宮城くんが、親指で"あっち"と言ったところを指さすから、私は何も言えずにコクッと頷きながら再びゴクリと息を飲んだ。何を言われるのか不安になりながら宮城くんの後ろを着いていって、きっと、土曜日の事だよね。と思いながら宮城くんの背中を見つめた。廊下を進む毎に煩く心臓が鳴り響いたのは、何かを言われる不安からでも、男子とあまり話したことがない緊張からでもなくて、ただ、宮城くんが"あっち"と言った先が三井先輩と何度もキスをしたあの空き教室だったからだ。ガラッと空き教室の扉を開ける音がして、宮城くんが教室内に足を運ぶけれど、何故だか私はその教室内に入れずに入口の前で立ち止まる。「山田さん?」と、不思議そうに振り返って私を見つめた宮城くんに『あ、話って...』と口を開くと、宮城くんは「入んねーの?」と首を傾げた。私が眉を寄せながら『うん...』と呟いて仕方なく教室内に足を進めてから扉をガラリと閉めると、宮城くんは「ちょっと言いづらいんだけど...」なんてモゴモゴ喋りながら軽く自分の首の裏を手で撫でる。土曜日の、事だよなぁ。と思いながら宮城くんを見つめていると「三井サンと喧嘩したの?」と眉を上げて私に問いかけた。思いもよらなかった問いかけに驚いて『え?』と口から漏らすと、宮城くんは言いづらそうに「や、だって山田さん...土曜日...」と一瞬だけ私から目を逸らして、すぐにチラリと私を見つめながら「泣い、て...なかった?」と首を傾げる。あ、やっぱりその話だよね。そうだよね。ですよね。と思いつつも『アレは、その...目にゴミがね...』とそんな馬鹿な話を宮城くんが信じるわけがないとわかっているのにモゴモゴ喋ると、宮城くんは「誤魔化さなくてもいいって。付き合ってんだろ?三井サンと」なんて言ってくるから『え?』と眉を寄せるけれど、そんなこと言われたら顔が熱くなってきてしまうじゃないか。慌てながらブンブンと首を左右に振って『ぜっ、全然!付き合ってないよ!だって、私なんか...全然...』と話している途中で徐々に語尾が小さくなっていく。自分で否定しておいて馬鹿みたいだけれど、口にしてしまったら悲しくなってきて思わず下唇を少し噛んだ。宮城くんは「は?でも...」と言いづらそうに一瞬唇を閉じてから、言い直す様に「あー...そっか。付き合っては、ねぇんだ?」と呟いた。その言葉の意味が分からないまま、見ていられなくて宮城くんから視線を外すと、宮城くんが近くの席に手をかける。椅子の足と床が擦れる特有の音が少し響いて、宮城くんがその椅子に腰をかけるのが視界の隅で見えると余計に何も言えなくなって私は黙ったまま、近くの机の木目模様をただ、見つめた。だけど宮城くんの言った「でも、キスしてんだ?」なんて言葉に驚いて宮城くんの方へ顔を向けると、宮城くんは「キス、してるよね?三井サンと」なんて眉を寄せていて小さく笑う。バクバク煩く鳴り響く心臓の音が身体を揺らして、呼吸ができなくなりそうだ。私が否定も肯定もせずにただ黙ったままでいると、宮城くんは「あー...別に非難してるとかじゃねーんだけど...」と宮城くんは自分の額を手で掻いてから、「好きなんだろ?三井サンの事」と言いながら自分の太ももに肘を置いて頬杖をついた。私がギュッと自分の制服の端を掴みながら、コクリと頷くと、宮城くんは瞼を閉じてふーっと少しだけ長くため息を吐いて、瞼を持ち上げてから「じゃあ、協定結ぼうぜ」なんて言って歯に噛んだ。





『え?』

「俺も片思いしてるって、言ったの覚えてる?」

『う、ん...』

「その子がさ...。まぁ、認めたくねーけど。三井サンのこと好きっぽいんだよな」

『そ、そうなんだ...。』

「だから山田さんと三井サンがくっつけば、俺がその子を慰められっかなーって...馬鹿っぽい?」





照れくさそうに眉を寄せて笑った宮城くんに『そんな事、全然...』と首を左右に振ると、宮城くんは椅子から立ち上がって私の方へ数歩近づいた。私の前に立った宮城くんは、私に掌を見せてから「なら、やる?」と首を傾げて私を見つめる。私が『うん...』と言って差し出された宮城くんの掌におずおずと手を寄せると、宮城くんはギュッと私の手を握って「よっしゃ」と嬉しそうにニコッと笑った。私も嬉しくて微笑むけれど、大事な事を忘れている。『あっ、でも...』と思わず声を漏らしてから『三井先輩が誰を好きか分からないし...』なんて宮城くんから視線を逸らすと、宮城くんは「それは大丈夫じゃねーかな?」と首を少しだけ傾けた後、私の顔を覗き込んだ。『えっ、』と驚いて顔を引くと、宮城くんは悪戯そうに笑って「じゃ、まずは三井サンと仲直り頑張って」と片眉を持ち上げる。そ、そんな事言われても...。と思いながら『喧嘩って言うか...』なんてモゴモゴと口にしてから誤魔化す様に下唇を少し噛んだ。宮城くんが何かを言おうとしていたけれど、朝のSHRの予鈴が鳴り響いてその言葉を聞く事は叶わなくて、2人でバタバタと焦った様に廊下を走りながらお互いの教室へと急いだ。




















朝、宮城くんに言われた通り、三井先輩と仲直り、と言うか話をしようと思ってその日の放課後に、あの空き教室まで足を運んだ。だけど、いくら待っても三井先輩が現れることはなかった。勿論、次の日も、その次の日も。私があの日、土曜日に逃げたりしたからだろうか。それとも、私が宮城くんの事を好きだという嘘が、バレたのかもしれない。幻滅されているんだろうか。嫌悪を抱かれているとか?いや、むしろ私に興味なんて元からなかったのかも。考えれば考えるほど落ち込んできて、静まり返った空き教室に私の大きなため息が響いて消えていく。机に突っ伏したまま腕を枕にしてボーッと窓を見つめて、そう言えばあそこでキスしたんだっけ。凄いことしてたな。なんてふと思い出して瞬きを一度。まぁ、でもいい思い出にはなったのかもしれない。今後三井先輩と会える保証もないわけだし、ましてや憧れの人と話せただけじゃない、キスが出来たのだ。それで十分じゃないか。そうだそうだ。十分だ。それで、十分。自分に言い聞かせる様に心の中で呟いたら潰れるように胸が痛くなって、鼻の先がツンっと痛んで目頭が熱くなってくる。ジワリと視界が滲むと堪らなくなって、椅子から腰を持ち上げてカーテンに潜って窓を開けてから外を見つめた。ふわっと吹いた風が心地よくて、瞳に溜まった涙を乾かしてくれるんじゃないかと思って瞬きもせずに外を眺める。落ち着くまで外を眺めて見たけれど、どちらかというと風が強すぎて辛くなってきた。もう帰ろうかな。と思いながら風でボサボサになった髪の毛を耳にかけた瞬間、ガラッと扉の開く音が聞こえて思わず後ろを振り向くけれど、カーテンで隠れて教室の入口に立っている誰かの足元しか見えなかった。まさか、ね。そんな訳ない。だって三井先輩はいくら待っても来ないし。三井先輩が、来るわけない。とドキドキと期待する様に心臓の音が鳴り響いた瞬間、ブワッと強い風が吹き抜けてカーテンを揺らした。風で持ち上がったカーテンの先が宙を舞って私の視界に入口に立っている誰かの姿が映り込む。そこで見えた姿は、紛れもなく三井先輩の姿で、驚きながら教室の入口に立っている三井先輩を見つめると、三井先輩も驚いた様な表情で私を見つめていた。「山田」と聞こえた声にハッとして、思わず三井先輩から目を逸らそうとしたのに何故だか逸らすことができなくて、ただジワリと滲んでいく視界を誤魔化す様に私の瞳が揺れていく。風が一瞬止んだせいで降りてきたカーテンが私の視界から三井先輩を隠したけれど、その場から動くことができなくて、私はただその場に立ち尽くした。カーテンの下から覗く三井先輩の足が私の方へ近づいてくるのが見えると余計に身体が動かせなくなって、ゴクッと息を飲み込むと、カーテンが再びふわっと揺れる。だけどそれは風のせいなんかじゃなくて、三井先輩がカーテンを手でどかしたから揺れたせいで、あ、もう。と思考なんて回るはずがなかった。三井先輩が「山田」と私の名前を呼ぶと、きゅうっと胸が苦しくなって身体中が熱を帯びる。『み、つい先輩』と私が絞り出す様な声を漏らすと、三井先輩の顔が近づいた。あ、と思う前に唇が重なって、涙で濡れた瞳で三井先輩を見つめると、三井寿はカーテンの端を握ったまま、私の背中に手を寄せる。瞼を軽く下ろすと溜まった涙が頬を伝って、拭おうと手を顔に寄せようとした瞬間、三井先輩が指で拭いながら私の頬に手を添えていく。何これ、なんで。と嬉しい様な苦しい様な、訳のわからない感情が込み上げてくると余計に泣けてきて、瞼を持ち上げると自分のまつ毛に何粒かの涙が付いて視界が滲んで見えた。ちゅっと吸い上げながら唇が離れると「お前なぁ...」と呆れた様な口調で三井先輩が何故かそう呟いて、私が瞼を落とすと三井先輩は再び私の唇を塞いだ。そのキスは、今までしていた様な優しいキスなんかじゃなくて、食べられる様な、勢い任せの様なキスで、私は自分の涙を拭おうとしていた手で三井先輩のワイシャツを握りしめた。瞼を微かに持ち上げながら『まっ、見られちゃ、...』と焦った様に言葉を漏らすけれど「知らねーよ」なんて三井先輩に言われてしまえば何も言えなくなってそのまま唇を再び三井先輩に預ける事しかできない。けれどもどうして急に現れて、三井先輩は私にキスなんてしているんだろう、と疑問に思いながら三井先輩のワイシャツを更に強く握りしめると溢れた涙が私の頬を何度も濡らして、その度に三井先輩が私の頬を指でなぞる。名残り惜しいとでもいう様にゆっくりと吸われた唇がリップ音を奏でながら離れると、三井先輩は眉を寄せながら「んで...」と小さく呟いた。私が聞き返そうと思って息を吸い込んだ瞬間「何泣いてんだよ馬鹿野郎」と怒ったように目を細めた三井先輩が私の唇へ視線を落として、再び私の唇を塞ぐ。何度も離れて塞がれる唇が、ヒリヒリしそうなくらいに重なると、三井先輩の言葉に返事もできないまま私は堪らなくなって三井先輩の唇に自分の唇を押し当てる様に踵を持ち上げた。軽くリップ音が響いて唇が離れると、三井先輩は一瞬驚いた様な顔をしてから、目を細めて頬に添えてある手を私の後頭部へ移動させて再び唇を塞いだ。私の背中に触れている三井先輩の手に力が入ったのを感じると、まるで抱きしめられている様な錯覚を起こして、頭が沸騰しそうなほど熱くなっていく。そのせいで私の思考はどうやら馬鹿になってしまったらしい。何も考えられないまま『好き』と離れた唇の隙間から、言ってしまったのだ。三井先輩は少しだけ顔を引いて私の左右の目を交互に見つめるから、瞳を揺らしながら三井先輩を見つめるけれど、堰き止められない何かが溢れ出る様に私は口から『す、き』と再び漏らしてしまった。それを合図に再び三井先輩が私の唇を塞いで、同時に再び涙が流れる。わけ、わかんない。と思ったけれど思考なんて止まってしまったんだから仕方がない。耐えられなくなってギュッと三井先輩のワイシャツを更に握りしめながら持ち上げていた踵をガクンッと落とした瞬間に、ガチッと三井先輩と私の前歯が軽く当たって唇が離れると恥ずかしくなって下唇を少しだけ噛んだ。三井先輩が「なんだよ」なんて吐息混じりに小さく笑うから、思わず『好き、なんです』と三井先輩を薄目で見つめた。三井先輩は何も言わないまま小さく笑って、再び私の唇を優しく塞いだ。自分で言った言葉なのに恥ずかしくなって、なんだか胸がこそばゆい。口から漏らしたその言葉をこんなにも言う日が来るなんて自分でも思わなかったのに、その後も何度もキスを繰り返して、唇が離れるたびに溢れる様に『好き』と漏らした私に、三井先輩は「うるせぇ、ちったー黙れ」と照れくさそうに小さく笑うもんだから、何故だか嬉しくなってきて、溢れる何かを止められずに私は"好き"と口から何度も漏らした。





意識しちゃってください
(少しくらい期待しても、良いですか?)




何度もキスをして、何度も好きと言ったけれど、三井先輩から"好き"という言葉が返ってくる事はなかった。





Modoru Main Susumu