放課後、空き教室で








”誰でもいいんだよ”

”お前じゃなくても”




あの日から1か月ほど経ったけれど、私は放課後、未練がましくあの空き教室に足を運んでいる。だけど空き教室に行ったところで特段何かをするわけじゃない。窓の外を眺めてみたり、少し開いた窓から入ってくる隙間風のせいで揺れるカーテンを見つめてみたり、扉の窓から廊下を眺めてみたり、机に突っ伏してみたり、ただ、時間を無駄にしている事に変わりない。こんなことしたって三井先輩が此処に来るわけでもないのに。自分でも自覚している。馬鹿みたいに、私がただ淡い期待を、捨てられないでいるだけなんだと。酷いことを言われた筈なのに、でも、それでも私は三井先輩の事が...。

























『ん…』




誰かに髪の毛を触られたような、頭を撫でられたような感覚がして目を覚ました。ゆっくりと瞼を持ち上げながら薄暗くなった辺りを少し見つめて、あの空き教室に居るんだと気が付くと、まだ夢見心地のふわふわした様な感覚に瞼を再び閉じてから、いつの間にか寝ちゃったんだ…。と机に突っ伏したまま、瞼を再び持ち上げる。あれ、今、頭を触られていたような…。そんなわけないけど、三井先輩なわけない。だけど…。と期待で飛び跳ねた様な心臓の音を誤魔化す様に自分の手で頭に触れて、ガバッと勢いよく頭を持ち上げると「う、わっ…びびった…」と言いながら、前の席の椅子に座っていた宮城くんが掌をこちらに向ける様にして両手を顔横に上げていた。『あ…み、やぎくん…』と寝起き特有の掠れた声で呟くと、宮城くんは「おはよ」と言いながら顔横に上げていた手を自分の首裏に移動させて、少しだけ首裏を摩った後「誰かと、間違えた?」と言って少し困った様に眉を寄せながら小さく微笑んだ。私が頭を小さく左右に振りながら『そう、いうわけじゃないけど…』と誤魔化す様に宮城くんから視線を逸らすと、宮城くんは「三井サンだと思ったんじゃねぇの?」なんて肩を少しだけすくめる仕草が横目で見えた。




『そ、れは…そうなんだけど…』

「あはは、そうなんかい」

『それより、どうしたの?』

「ん?」

『宮城くん…なんで此処に…?』

「あー…教室にジャージ忘れて取りに行こうとしたら誰かいたから、山田さんかなーって…」

『そー…なんだ…』

「最近…」

『うん?』

「毎日、此処いるよね。放課後」

『う、ん…そうだね…』

「やっぱまだ…好きなの?」





宮城くんの言葉に、何故だか私の心臓が飛び跳ねた様にドキッと一瞬だけ煩く響いた。別に、宮城くんは責めている訳じゃない。なのになんで、悪いことをしているような気持になるんだろうか。『う、ん…まだ…好きだよ』と宮城くんに視線を戻して、まっすぐに宮城くんを見つめながらそう呟くと、宮城くんは「俺も、まだ好きなんだよね」と消えそうな声で小さく呟いてから「山田さん」と言って私から一瞬だけ視線を逸らした。すぐに逸れた宮城くんの視線が戻ると、なんだかこの格好のままだといけない気がして、机に突っ伏していた身体を起こしてから椅子に座りなおしていると、宮城くんが再び「山田さん」と私の名前を優しく呼んだ。自分の首裏に触れていた宮城くんの手が机の上に置かれる仕草を横目で見つめて、薄暗くてぼんやりとしか見えない筈の宮城くんの瞳の動きが、何故だか揺れているように見えて『あ、えっと…なに…?』と焦って宮城くんの顔を覗き込む様に首を少し傾ける。私が問いかけた瞬間、何も言わなくなった宮城くんの言葉を待ちながら、誰もいない薄暗い静かな教室に私の生唾を飲み込む音が響いた様な、そんな気がした。宮城くんの言った”まだ好き”と言った言葉を頭の中で反芻して、前に言っていた片思いの相手の事なんだろうか。と、ふと考えたとき「お互いもう辛い思いすんの、やめねぇ?」と沈黙を破った宮城くんの言葉に『え…?』と反射的に口から漏らして、宮城くんの揺れる瞳を見つめ返すと、宮城くんは困った様に眉を寄せながら、ため息交じりに小さく笑った。




「三井サンなんかやめて俺と付き合ってよ、山田さん」

『え…』

「もう、しんどいわ。落ち込んでる山田さん見てんの…自分見てるみたいでさ」

『そ、れは…宮城くんも片思いしてる、から…?』

「そーなんだけど…なんか…もういっかなって…俺、山田さんが三井サンと上手くいってほしいなんて、思ってねぇし」

『え、』

「好きだから」

『ん…?』

「あー…だから…オレが、山田さんのコト、好きなの」

『え、だって…まっ、待って…だってそれじゃ…私ずっと…』




『最低なことして…』と眉を寄せて、思わず宮城くんから視線を逸らした。だって、それって、そんなわけない。宮城くんが私の事好き?そんな事...いや、でもこんな状況で宮城くんが嘘をついて得するわけもないし…だからこれは…嘘じゃなくって…。だけど、だとしたら好きな人の恋を応援してれていたってことで…それって…凄く酷い事をしていた事になるわけで…。グッと一気に胸が苦しくなって、ごくりと私が生唾を飲み込むと「…や、ジョーダンじゃん。ジョーダン」と言いながら小さく笑った宮城くんの声が微かに聞こえて思わず宮城くんへと視線を戻した。先ほどよりも更に薄暗くなった教室内に、宮城くんのシルエットがゆらっと静かに揺れていく。『え、』とどちらが本当なのか分からなくなって宮城くんを見つめていると、宮城くんは「このまま何もしなかったら、三井サン卒業しちゃうぜ?」と言って机に置いていた手で再び軽く首裏を摩りながら「良いの?」と私の顔を覗き込む様に軽く首を傾げる。私は処理が追いつかなくなった思考をフル回転させながら、頭を左右に振って『良くは、ないけど…』と言ってから顔を少しだけ下に向けていく。「じゃあ、やることは一つデショ」と宮城くんが言いながら私の頬に宮城くんの指の背が不意に触れると、ビクッと私の身体が強張った様に固まって、誤魔化すように肩をすくめた。私が肩をすくめた瞬間、「俺そんな怖い?」と宮城くんは冗談混じりに言いながら私の頬を指の背で何度か撫でた後「んじゃ、三井サンは?」と優しい口調で問いかける。あ、この質問...。と前にされた質問と同じ内容だと思い出して、思わず顔を上げて宮城くんを見つめると、宮城くんは「怖くねぇーの?」と言って眉を寄せて小さく笑った。私が『怖くは、ないかな』と冗談混じりに答えると、宮城くんは私の頬から指を離して「じゃあ、もう一回ぶつかって来いよ。怖くねぇーんだろ?」なんて言って自分の顔を片手で覆いながら「あーもー...くっせーこと言っちまったじゃねぇかよ」と茶化す様に声を少しだけ荒げる。私がその仕草にクスッと小さく笑うと、宮城くんは顔を覆った手を少しずらしてから「三井サン」と独り言の様に呟いた。




『ん?』

「多分まだ部室いると思う」

『え、今...?今行くの?』

「そ、りゃ...今行かねーでいつ行くんだよ」

『で、も...振られたばっかりだし...』

「あーもー。ガタガタ言わず、早く行けって...待つのはもう良いじゃん。十分待っただろ?」

『そ、う...だけど...』

「いーから...」




「またフラれたら慰めてやるよ。友達として」と言って少しだけ恥ずかしそうに顔を覆っていた手を口元にズラした宮城くんに『...ありがとう』とお礼を言って思いっきり椅子から立ち上がった。ガタッと椅子の足と床が擦れた音が響いた後、私の手首が不意に宮城くんに掴まれる。「山田さん」と宮城くんの声が聞こえて私の手首を掴んだ宮城くんの手に力が入るのが分かって、思わず私が宮城くんの顔を覗き込もうと腰を少し屈めると、宮城くんは「頑張れ」と短く言ってから、私の手首からすぐに手を離していく。お互い片思いしているから、宮城くんは私と自分を重ねてしまうんだろうか。だからそんなに、応援してくれるんだろうか。と、ふと考えて『うん、頑張る』と少しだけ力強く言ってから、床に乱雑に置かれた自分のバッグを手に持ってバスケ部の部室へ向かって足を進める。焦る様に小走りになった足が絡まって転んでしまいそうで、でも、三井先輩に会いたくて。気持ちが溢れた様に、バスケ部の部室へ向かう足が、気持ちが、止まらなくなる。三井先輩にはもう振られてる。ちゃんと分かってる。また振られたらと思うとすごく怖い。それに、三井先輩が私の事を嫌っていたら?本当にあのキスの意味なんて何もなくて、三井先輩が言った様に、キスができれば誰でもよかったんだとしたら...?それに、しつこいだとか、めんどくさい奴だとか、思われるかもしれない。でも、それでも、ちゃんと...。ちゃんと最初からやり直したい。宮城くんのことは最初から好きじゃなくて、最初から、三井先輩がずっと、好きだったんだって。あの日、助けてもらった時からずっと、好きだったって...ちゃんと。走っているからだろうか、アドレナリンというかドーパミンというか、不安なのに、あんなに落ち込んでいたのに。怖くて堪らないのに。宮城くんが口にした"卒業"と言う言葉が何度も頭の中で反響している様に響いていく。もしも、三井先輩が卒業したら、ずっと見つめていたあの姿が見れなくなる。それだけじゃない。三井先輩の連絡先だって知らないし、仮に連絡出来たとしても、私が連絡したって意味がないくらい、三井先輩が遠くに行ってしまったら?それに、もう、一生会うこともできないかもしれない。そう思うと胸が潰れるほど痛くなって、喉の奥が締め付けられている様に苦しくて、酷く熱くなった。三井先輩、三井先輩。心の中で呟いた言葉が徐々に私の中で大きくなって、どうしても、三井先輩に会いたくて、好きの気持ちが止められないくらいに、溢れ出る。




『み、つい...せんぱいっ!』

「...」

『...え、あ...あのっ!すみませんでした!』




勢いよく開けたバスケ部の部室の扉の向こうには、確かに三井先輩が居た。居たのだけれど、どうやら着替え中だった様だ。上半身裸の三井先輩の姿が見えた途端に"すみませんでした!"と声を荒げて勢いよく扉を閉めてしまった。一瞬止まった思考が、三井先輩の上半身を思い出していくごとにじわじわと動き始めると恥ずかしくなってきて、思わず扉の前でしゃがみ込むと同時に部室の扉の開く音が聞こえて「なんだよ」と三井先輩の呆れた様な、口を尖らせた様な声が聞こえて顔を上げると、いまだに上半身裸の三井先輩の姿があった。




『なっ...!何でまだ裸なんですか!?』

「おめぇが急にドア開けるからだろーが!」

『そ、そうですけど...!』

「...だからなんだよ」

『あ、の、その...話が...』




『ありまして...』と三井先輩から視線を逸らしてモゴモゴと口を動かすと、三井先輩は「とりあえず誰もいねぇから入れよ」なんてため息混じり呟いた。三井先輩のため息が聞こえた瞬間、呆れてるのかな...。と、ズキッと胸が痛んだけれど、三井先輩が扉を手で開けてくれていたのが見えたので『ありがとうございます...』と小さくお礼を言いながら部室へいそいそと足を進めていく。久しぶりに会えた三井先輩なのに、上半身裸のせいで全然三井先輩の方を見れないまま、隠れる様に扉の近くに立った私に、自分のロッカーまで足を進めたであろう三井先輩が「話って?」と言いながらTシャツを着ている姿が横目で見えた。私はどこから話したら良いのか分からないまま『あ、の...三井先輩』と少しだけ言葉を漏らして口をつぐんだ。なんて言ったら良いのか分からなくて静かに三井先輩へ視線を移動させると、三井先輩の瞳と視線が絡まる。ロッカーの扉に手をかけた三井先輩が、ただ私を見つめて「なんだよ」と、いつもよりも低い声色で呟いた。やっぱり、怒っているんだろうか。こんな急に押しかけられたら迷惑、だよね。と思いながら、三井先輩に見つめられると顔と頭が熱くなって、うまく言葉が出てこなくなる。あんなに好きだと伝えたかったのに、あんなに、あの時から好きだと、伝えたい筈なのに。出てこない言葉をゴクリと喉に押し込める様に生唾を飲み込んで、三井先輩から瞳を逸らす様に視線を泳がせると、バンッと勢いよく三井先輩のロッカーの扉が閉まる音がして、思わずビクッと肩をびくつかせると「何もねーなら、帰るからな」とカバンを肩にかけた三井先輩の姿が見えると焦った様に『私...!』と声を張り上げる。なんて言ったら良いのか分からない。だけど、でも...。カラカラになった口内を潤すように、ゴクッと飲み込みたくもない生唾を飲み込んで『わ、たし...』と言いながら三井先輩へと視線を戻した。三井先輩は徐々に私に近づいて「いらねーんだよ、そう言うの」と再び低い声で呟きながら、肩にかけたカバンを床にドサっと落として私との距離を、詰めていく。三井先輩の言った言葉の意味が分からなくて眉を寄せながら三井先輩を見つめると、三井先輩が「なんだよ?宮城と、付き合ったのか?」なんて、溜め息混じりに言ってから眉を寄せて小さく笑った。いや、笑ったというか、嘲笑う様な、鼻で笑う様な。そんな笑いで...。




『え...?そんなわけ...』

「じゃあ、他に何があんだよ。俺とキスしたせいで傷ついたって?」

『ち、が...っ...!』

「それともなにか?またキスでもして欲しいのかよ」

『...ッ...!』




どんどん私と距離を詰めてくる三井先輩の口調が荒くなって、私の身体が扉近くの壁と三井先輩に挟まれる。後ずさる様にして壁に背中をもたれると、ドンッと三井先輩の拳が私の顔横の壁に置かれて思わず瞼を強く瞑ると「なんなんだよ...」と少し掠れた様な、いつもよりも震えた様な三井先輩の声が聞こえた。薄く瞼を持ち上げると、三井先輩の瞳が私を捉えていることに気がついて、身動きが取れなくなる。息遣いでさえも、見られている様な気がして思わずグッと息を呑んだ。ここまでされる程、嫌われているんだろうか。なんて思えば思うほど、私の気分は落ち込んで、三井先輩の事を真っ直ぐ見れなくなって、なのに、瞳を逸らしたくなくて...。『す、きです』と、不意に口から漏れた言葉に自分で驚くほど、自然と口から漏れてしまった。三井先輩は一瞬だけ驚いた様な顔をして見せたけれど、すぐに眉を寄せながら瞳を細めて「まだ、言ってんのかよ」と声を震わせながら私を見つめる。それが、怒っているからなのか、はたまた呆れているのか、それともウザったいだとかを思っているのか、そんな事私には分からなくて、三井先輩の瞳を見つめながら『あの日、助けてもらってからずっと...三井先輩の事が好きでした』と声を絞り出しながら呟いた。三井先輩は一瞬言葉を詰まらせた様に口をつぐんで、瞳を少しだけ揺らすと「助けた...?」と戸惑った様に私に問いかける。




『三井先輩は...覚えてないかもしれないですけど...私が入学して少し経った頃に...不良に絡まれたところを助けてもらってて...』

「...」

『それから、ずっと...三井先輩が、す、好きでした...』

「...宮城は?」

『え...?』

「宮城と、付き合ってんだろ?」

『えっ...?や、ちがっ...!宮城くんとはそう言うのじゃなくて...』

「あ?」

『わっ...私が、三井先輩の事好きって知ってるので...その、応援してくれてただけと言うか...全然...ただ友達、ってだけで...』




緊張のせいか、三井先輩が近いせいか、上擦った声で説明していると妙に恥ずかしくなってきて自分の顔がどんどん熱くなっていくのが分かった。恥ずかしさから両手で顔を煽って少し下を向くと同時に頭上から三井先輩の大きなため息が聞こえて、思わず身体が強張っていく。あぁ、呆れられている。これで振られるならもう、本当にダメだろうな。と、言うかやっぱり、私なんかじゃ...やっぱり...。なんて落ち込む様な言葉ばかりが頭を掠める。三井先輩は「お前さ...マジで馬鹿だろ...」とため息混じりに呟いてから「山田」と私の名前を優しく呼んだ。三井先輩の手が私の手首を掴むと、私の顔を覆っている手をどかしながら「こっち向けよ」と先ほどとは違った、いつもの優しい三井先輩の声が頭上から聞こえる。三井先輩の手に掴まれた手首からジワリと熱が広がる様に熱くなって、心臓がバクバクと煩く音を立てながら私の身体中に響き渡って「山田、こっち向けって」なんて三井先輩の言葉に、"もしかしたら"を期待してしまう。おずおずと顔を上げると、三井先輩の熱い様な、鋭い様な、だけどどこか優しい様な、そんな瞳と視線が絡まる。その瞳の意味が、同情だとか、これから断るから少しでも優しくしようだとか、そんな意味合いなのかが分からなくて、三井先輩が何を考えているのか全然、分からない。




言葉なんて期待してない
(期待してない、筈なのに...なんで...)




『あ、の...やっぱり...迷惑、ですか...?』

「は?」

『もう振られてるのに、もう一回告白って...それに三井先輩...着替えてたところでしたし...それに...』

「山田」

『わ、たし...宮城くんが好きって、嘘ついて三井先輩に近づきましたし...ストーカー、みたいですよね...で、も...』

「山田、おま、も...良いから。ちったー黙れよ」




何故だか笑み混じりの三井先輩の言葉に口をつぐむしかなかったのは、三井先輩の唇が私の唇に触れたからであって、何で三井先輩とキスをしているのか頭で処理しようとしても出来なくて、私は静かに瞼を閉じた。私の手首を掴んでいた三井先輩の手が滑る様に私の指に絡んでくると、酷く胸が切なくなって思わず絡んだ指に力を込めていく。前と何ら変わらないキスを、している筈なのに"誰でもいいんだよ" "お前じゃなくても"なんて言葉を無意識に頭の中で反芻してしまって、そのキスの意味が余計に分からなくなった。





Modoru Main Susumu