悪夢よどうか醒めないで 前編





「田中さん、此処すごいね?」

『やっ、やぁ...ッ...』

「俺に弄られてこんなにしちゃったの?」




「牧さんじゃなくて」と神くんは私の耳元で意地悪そうに囁いた。違う、そうじゃない。違う。私は...。と震える身体を押さえつける様に身体に力を入れるのに、神くんの指は秘部の割れ目を何度か擦りながら入口に近づいて、ゆっくりと膣内へ入り込んでくる。その瞬間、神くんの指を待ち侘びていた様に私の腰が仰反りながら持ち上がると「厭らしいよね、本当...誰でも良いんでしょ?牧さんじゃなくても、俺じゃなくても、さ」なんて責め立ててくる神くんの言葉に首を左右に振って、縋る様に神くんのワイシャツをギュッと掴んだ。「違うの?俺がいいって事?」と囁いてくる神くん言葉に『違っ』と否定してみても私の熱は上がるばかりだ。こんなの、違うのに...。私は、違う。と、瞳に溜まった涙のせいか、滲んだ視界で神くんを見つめた。「田中さん、好きだよ」と神くんは耳を甘噛みしながら囁いて「俺だけ、だよね?」なんて問いかけに私はごくりと生唾を飲み込んだ。この答えを言ってしまったら、どうなるんだろうか。このまま...と少しだけ噛んだ下唇を離して、答え様と息を吸い込んだ瞬間、ハッと目を開いた。薄暗い空間の中で何度か瞬きをしてから周りを見渡すと自分の部屋で、神くんの姿がないのを確認すると、先ほどのことは夢だと言うことに気がついて、荒くなった呼吸を落ち着ける様に深呼吸を繰り返す。何であんな夢、見ちゃったんだろう...あんなの、悪夢だって分かっている筈なのになんで...。私はなんて言おうとしたの...。と夢の中で囁いてきた神くんの吐息と、あの時特有のいつもより少し低い声が、微かに自分の耳元に残っている気がして、思わず耳を手で塞いだ。心臓の音がうるさく響いて、渇いた口の中を潤す様に生唾を飲み込む。あんな事されたくないのに、と、あんな夢を見たせいか身体が熱くて、ギュッと目を瞑って『なんで...』と小さく呟いた私の声が静かな部屋に吸い込まれる様に消えていった。















『え?ま、牧さん!?』

「もう帰れるか?」




部活の片付けも終わって制服に着替えてから部室の扉を開けると牧さんの姿があって、驚きながら牧さんを見つめると、牧さんは困った様に眉を寄せながら小さく笑った。『は、い。帰れます...』とコクリと頷いて私が牧さんから目を逸らすと、牧さんは「話もしたいしな」なんてぎくりとする事を口にする。あの日、牧さんに"付き合う資格なんかない"と告げてから牧さんを避け続けた私は、ついに来たか。と小さく生唾をごくりと飲み込んだ。歩き出す牧さんの横を歩くことが出来なくて、少しだけ後ろを歩きながら駅へと向かう。何も言わない牧さんと、何も言えない私の間に沈黙が続いて、横を通り過ぎて行く車の音や、街の雑音、私たちの足音が耳に響く。何を言えば良いのか、この気持ちをどうやって伝えれば良いのか。どうすれば良いのか分からなくて、ピタリと足を止めた牧さんがこちらを振り向いて私を見つめるから、私も思わず足を止めて牧さんを見つめた。




「少し、寄り道でもして行くか?」

『え...?』

「このままだと、何も話さないまま駅に着きそうだ」




クスッと小さく笑いながら近くの公園のベンチを指差して、牧さんが私の手に優しく触れた。ホッとする筈の暖かくて、大好きな手のはずなのに、なぜか握り返すことのできない私は牧さんに手を引かれるまま公園のベンチに腰を下ろしていく。『あの...』と、言える言葉なんて何もないのに、きちんと話さないといけないという思いが私の口を開かせる。「なんだ?」と私の隣に座った牧さんが私の顔を覗くと、私は一瞬口をつぐんでから『私...』と言って牧さんから視線を逸らした。




「なにか、言いたい事があるんだろ?」

『...』

「どんな言葉でも良い。ちゃんと、受け止める覚悟は出来てる」

『...ッ...』

「言ってくれ。俺なら大丈夫だから」




牧さんが優しく問いかけてきて、私は小さく頷いてから、牧さんをまっすぐに見つめて『牧さん...私と、別れてください』と私の手を握っている牧さんの手を思わず握り返した。牧さんの事が今でもちゃんと好きだけど、好きだからこそこんな気持ちで牧さんと付き合っていちゃ駄目なんだ。どんなに牧さんの事が好きと言う気持ちがあっても、牧さんと先へ進もうとすると頭の中に浮かんでくる彼と重ねてしまう自分も許すことが出来ないし、どうしても彼を、神くんの事を、忘れられない自分がいた。これが好きと言う気持ちなのかはか分からない。分からないけれど、こんな中途半端な気持ちのまま牧さんと付き合っていたら、牧さんに失礼すぎるから。と考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃになって、自分から別れを告げているくせにジワリと滲んだ瞳のせいで視界が揺らいだ。牧さんは眉を寄せながら小さく笑って「俺のことが、嫌いか?」と優しく問いかける。私は頭を左右に振って『違うんです。私...』と言いかけて喉の奥がグッと熱くなって何も言えなくなって口をつぐんだ。私は卑怯だ。こんな時に泣くなんて、酷い人間だと思う。ちゃんと、言わないと。と下唇を噛んでいた唇を開いて、息を吸い込んだ瞬間に牧さんが「いや...分かってたんだ。本当は」と私の手をキツく握りしめた。




『え...?』

「花子の気持ちがどこへ向いているか、本当はちゃんと気づいてた」

『牧さん...?』

「神、だろ?」

『え?あ...の...』

「好きな奴が誰を見ているかなんて、嫌でもわかるさ」

『...その、私...ごめんなさい...』

「謝らなくて良い。人の気持ちっていうのは変わる。そう言うものだろ?」




「ちょっと悔しいがな」なんてニコッと優しく笑った牧さんが私の顔をしばらく見つめて「俺も、気持ちが焦って怖い思いをさせてすまなかった」と私の頬を指でなぞった。『牧さんは怖くないですし、いつも優しいかったですよ...謝らないでください。謝るのは私の...』言いかけて口をつぐんだのは、牧さんにキツく抱きしめられたからで、牧さんは「良いんだもう。何も...言わないでくれ」なんて掠れた牧さんの切なそうな声に私の胸が軋むように苦しくなる。そんな資格なんて、私には無いのに。牧さんにしばらく抱き締められていたけれど、私は何を言ったら良いのか、何て声をかければ良いのかわからなくて、牧さんの背中に腕を回そうとしたけど、これで背中に手を回してしまったら、もっと酷い人間になる様な気がして、牧さんが離れるまで私は静かに瞼を閉じた。
















「す、すまなかったな...」

『え?いえ...私の方が...すみませんでした...』

「いや...最後の最後にカッコ悪いところを見せた気が...」

『ぜ、全然ですよ!牧さんはいつでも格好良いですから!』

「こら、そう言うことを言われると勘違いするだろう」

『え、あ...すみません...』

「だからもう謝るな...次謝ったら、花子にも部員の特別メニューこなしてもらうからな」





「...っと、田中か...」なんて一瞬口をつぐんだ牧さんが「この呼び方にも慣れないといけないな」なんて困った様に小さく笑う。私が『そうですね...』と釣られるように小さく笑うと、牧さんは「これから、またマネージャーと部長だ。よろしく頼む」と握手を求めてくるから、私は『はい』なんて牧さんと握手をして『こちらこそお願いします』とお辞儀をしてみせた。牧さんは「それじゃあ帰るか」とベンチから腰を上げて「駅までは送くらせてくれ」と私を見つめた牧さんの瞳が、近くの街灯に照らされていたせいかやけに潤んで見えた気がして、それは私の気のせいなのか、それとも...。なんて、答えを知りたくなくて、知る権利なんかない気がして、私は小さく頷いてベンチから腰を上げた。