壊れてからも優しいまま






神くんと前の様な、普通の同級生に戻ってから1ヶ月が経った。本当に、今までの出来事が嘘みたいに神くんからはなんのアクションもないまま、毎日が過ぎていく。別に何かを期待をしているわけでもなくて、神くんを意識しているわけでもなくて、廊下であえば挨拶をして、部活中は練習や試合のことを話したりして、本当に平穏な日々が過ぎるだけ。良いこと。良いことな筈なのに、いつの間にか神くんを目で追っている自分に気がついて、その度に誤魔化す様に牧さんの姿を探してホッとしている自分がいた。自分の事なのにそんな事をしている自分がわからないまま、また1日が過ぎていく。

















「どうしたんだ?」

『牧さん...私...』





久しぶりに牧さんと2人で出かけて、牧さんの部屋に行って、牧さんのベッドで、牧さんにキスされて、それから、私は...。何かを期待して牧さんの首に手を回すと、牧さんが不思議そうに「どうしたんだ?」と問いかけてくる。私は一瞬言葉に詰まって、動揺した様に私の視界が微かに揺れた。牧さんが、変に思っちゃう。今までこんな大胆な事...した事なんてなかったのに...。なんて、少しだけ噛んだ下唇を離して『牧さんに...して欲しいの...』と牧さんの瞳を見つめたまま小さな声で呟いた。だけど恥ずかしくてすぐに瞳を逸らすと、牧さんは何も言わずに首に回っていた私の腕を軽く掴んだ。「何か、あったか?」なんて優しい声色で問いかける牧さんに、私は首を左右に振りながら『ごめんなさい...やっぱり忘れてください...』と小さく笑った。馬鹿みたい。こんな事、やっぱり牧さんは神くんとは違う。無理やり私を襲ったりしない。そんな事、しない。なんて思っていると「いいや...少し驚いただけだ。花子がそんなに可愛いことを言ってくれると思ってなかったからな」なんて言って私の唇に優しく唇を押し当ててくる。数回触れるだけのキスをした後、牧さんの舌が私の唇の隙間を優しくなぞった。ビクッと肩が震えつつも、このまましてしまうのだろうか。と期待もしながら、応えるように口を軽く開くと、牧さんの舌が私の口内へと滑り込む。唾液を含んだ水音と、吸い上げる様なリップ音が部屋に響き渡って、牧さんの手が私の頬を優しくなぞる。牧さんの優しさが伝わってくるのに、牧さんのキスって、こんな感じなんだ。神くんとは少し違う、優しくて、でも噛みつかれるみたいな。なんて無意識に神くんと牧さんを比べている自分に気づいて『...ッ!』と、思わず牧さんの首に回した手を離して牧さんの胸に手を当てた。牧さんは「怖いか?」と、優しく微笑みながら私を見つめる。私は自分の中の神くんを消して欲しくて、首を左右に振って牧さんの服を軽く掴んだ。『あ...の、少しびっくりしただけです...大丈夫...』と、自分から牧さんに口付けながら、牧さんの舌に絡む様に舌を伸ばすけど、牧さんにチュッと吸われる舌先に何故だか少し違和感を感じてギュッと瞼を強く綴った。何度か深く口付けた後、私の服のボタンを少しずつ外しながら牧さんの唇が私の首元に降りていって、私の首筋を牧さんが舌でなぞったかと思えば、ちゅっと牧さんの唇が吸い付いていく。ゾクッと感じるこの感覚と、ジワリと溢れ出る様な感覚が私の背筋を駆け巡って、徐々に下がっていく牧さんの大きな手が私の服の端に到達すると同時に、私の肌に牧さんの指が軽く触れた。熱くて少し湿った様な牧さんの指が私のお腹をなぞって、下着の上から私の胸を包む様に牧さんの手が上がってくる。ドキドキ早くなる心臓の音と、神くんの時に感じる快感とは違った何かが、私の背中を駆け巡るのに、また頭の中で神くんを思い出してしまっている事に気づいて、牧さんの服から手を離して思わず顔を手で塞いだ。「恥ずかしいのか?」と、優しく問いかけてくる牧さんの言葉に頷いたけど、そうじゃない。完全に自己嫌悪に陥って、神くんの感覚を消して欲しいから、牧さんに抱いてと言っている自分の事が、嫌で嫌で仕方がなかった。こんなの、純粋に牧さんが好きだから、抱いて欲しいと願っているわけじゃないから。こんなの良くない。良くないって、分かってる。だから胸が苦しくなって、牧さんに申し訳ないと思うし、馬鹿なことしているんだって、自分で分かっているくせに。喉の奥が苦しくなるのと同時に鼻先がツンッと軽く痛んだ。ジワリと滲んだ視界が見えない様に手に力を込めるのに、牧さんは私の手首を掴んで顔を覆っている手をどかしながら「なにか、あったんだろ?」と優しく問いかけてくれて私のおでこに口付ける。こんなにも優しい人を裏切って、こんな事している最中も、頭の中で神くんと比べてしまっている自分が情け無くて、酷い人間で、自分でしている事なのに胸が痛んだ。





『ッ...ごめんなさっ...私...』

「謝らなくて良いんだ。無理に進めなくていい」

『違うのっ...私っ...わ、たしもう...』





『牧さんと付き合う資格なんか、ないんですっ...ごめんなさい...』なんて、私に泣く資格なんかないのに、ポロポロと流れる涙の意味が自分でもわからなくて、「こんな事で嫌いになるわけないだろ?大丈夫だから、泣かないでくれ」と優しく涙を拭ってくれる牧さんの指が暖かくて、ホッとする筈なのに、すごく居心地が悪かった。罪悪感と、胸の苦しみが消えないまま、しばらく私の涙は止まらなかった。
















次の日の放課後、部活に行くために部室でジャージに着替えていると、扉の開く音と「あ、ごめん。着替えてた?」と聞き慣れた声がして、振り返ると神くんが部室の入口に居て私を見ない様に顔を逸らしていた。『ううん。もう着替え終わるから大丈夫だよ』なんて、普通の会話。普通の会話なのに、部室に2人っきりと言う状況だったからなのか、私の心臓の音が早くなる。怖いわけじゃない。もう、神くんが変な事してくる事なんてないのに。と自分の気持ちを落ち着かせるように言い聞かせてから、ゼッケンの入った籠を持って部室を出ようとした瞬間、「待って田中さん、これも持っていってくれる?」と、神くんのロッカー近くのタオルを指差した神くんは、片手でワイシャツを脱ぎながら着替える準備をしている所だった。私はボタンを外す神くんの指を少し見つめて、ハッとした様に我に返って『あ...う、うん...』と、ゼッケンの入った籠を一度入口の近くに置いて神くんの近くのタオルを取ろうと腰をかがめた。その瞬間、「その姿勢、他の人の前でしない方がいいよ」と頭上から神くんの声が聞こえて、『え?』と戸惑いながら神くんを見上げると、神くんが私のすぐ横まで来て「キスマーク見えちゃうから」と苦笑しながら私の首元をトントンと指で叩いた神くんが「あ」と何かに気づいた様に声を漏らして「もしかして...牧さんと?」なんて困った様に小さく笑った。私が隠す様に首元のジャージを手で寄せながら口をつぐむと、神くんは「牧さんとのセックスはどうだった?」なんて笑みを含んだ声で聞いてくる。私は思わず頭を上げて眉を寄せながら神くんを見つめると、神くんは困った様に眉を寄せながら「俺みたいに、沢山イかせてくれるの?」と馬鹿にした様に小さく笑って私の手の甲を指でなぞる。驚いた様にビクッと肩を震わせると、神くんは私の耳元に唇を寄せながら「牧さんは田中さんの好きな奥、沢山突いてくれる?」と神くんとの行為を思い出させる様な言葉を囁いてくる。私は何も言えなくて、思わずぎゅっと下唇を軽く噛んだ。私の手の甲をなぞっていた神くんの指が、私の指先へと移動して、神くんの指が徐々に私の指に絡んだ瞬間、「それとも、奥が好きだって隠してるのかな?田中さん奥突かれると、すごい声出ちゃうもんね?」なんて、笑みを含んだ声で囁かれて思わずギュッと更に下唇を噛み締める。私の指に絡んだ神くんの指先が私の手の甲をゆっくりとなぞった途端にゾクッと走ったこの感覚のせいで、じわりと私の熱を上げていく気がした。『やめてっ!』と、神くんの絡んだ指を無理やり払って、神くんを見つめると、神くんは私の手首を無理やり掴んで「なんでそんなに物欲しそうな顔してるの?」なんて、意地悪そうに小さく笑った。私は神くんには全部見透かされている様な気がして、頭と顔がカッと熱くなると同時に、神くんにされていた時の様な身体の火照りを感じながら図星を刺されたみたいに何も言えなくなって私は下唇をぎゅっと噛んだ。





『...もっ...もう、しないって...!』

「別に?何もしてないでしょ?」

『...ッ!な、んで...なんでこんな事するの!?』

「俺、他の部員にキスマーク見られるよって、注意しただけだよ?それとも、これ以上の事期待してるの?」

『違ッ...!そんな事...!言ってない!私は...!』

「だったら!」

『...ッ...!』

「だったら何で...」

『何...?』

「...いや、何でもない...」





「じゃあ着替えるから...早く出てって」と、掴んでいた私の手首から手を離した神くんは顔を背けてそう言った。何故だかその言葉に私の胸が痛む筈がないのにちくっと痛んで、私はタオルをサッと取って入口の近くに置いた籠を掴んで部室を飛び出した。神くんが声を荒げるのを初めて聞いたからなのか、怖かったからなのか、神くんの揺らいだ瞳を見たからなのか、何故が私の瞳はジワリと涙で滲んでいた。













その日の部活は身が入らなくて、部活が終わった後の体育館で少しボーッとしながら床に散らばったボールを片付けていた。その瞬間に「田中さん!」なんて私の名前を呼ぶ神くんの声がして『え?』と顔を上げると神くんの手の甲が私の顔の前にあって、グイッと私の腕が引っ張られる。気がついた頃にはバチンッと音と共にバスケットボールが神くんの手に当たって勢いを無くして床へ弾んでいく音がした。「1年達、自主練するのは良いけど危ないからもうちょっと端でやってね」と、注意する神くんの声にハッとしながら『ごめん!大丈夫?』と、神くんの方を見ると「大丈夫だけど、ボーッとしすぎじゃない?気をつけなよ」と、掴まれた腕をすぐに離された。『う、うん...ありがとう...』と小さくなっていく私の返事に「片付け手伝うから、早く終わらせよう...田中さんがいると集中できないし」なんて神くんの言葉に何故だかまた胸がちくっと痛んだ。




壊れてからも優しいままで
(神くんの事も、自分の事もわからないまま)




神くんの後ろ姿を見て、少し足を庇っている様な気がして『ねぇ!神くん...足...』と、近づこうとした瞬間に「足が何?良いから。ほら、牧さん呼んでるよ」と素気なく返されて私はそれ以上何も言えなくなってしまった。