好きと、彰に伝えてしまった。ルールを破った後、契約は...どうなるんだろう...。彰に振られて、これまでの関係を続けられるのかな。そんな事ばかり考えて1週間、彰が私の部屋を訪れることはなかった。気になって壁を叩いてみても、彰の部屋の呼び鈴を鳴らしてみても彰には会えなくて、ルールを破ったから嫌われたのかな。好きになられたら困る理由があったとか?それとも、最後までしたいなんて、我儘言ったから?"俺も、花子ちゃんが欲しいよ"なんて言った彰の言葉と、"ごめんね"と聞こえた彰の言葉が頭の中でずっとリピート再生される。







『好きなんて、言わなきゃ良かった...』






自分のベッドに寝転んで、両手で顔を覆いながら小さく呟いた。言葉にしたら余計悲しくなって、鼻がツンッと痛んだ後に喉の奥が苦しくなっていく。目尻の端から流れる涙がやけに熱くて、顔を覆った手に伝っていった。瞬間、「言うたやろ?アキラくんなんか忘れて、楽んなったらええって」なんて不意に聞こえた土屋先輩の声にビクッと身体を跳ねさせながら顔を覆っていた手を退かして起き上がる。ベッド横にいつの間にか立っていた土屋先輩は眉を寄せながら笑って私を見つめていて、私はまた幻覚でも見てるのかと思いながら目をゴシゴシと擦って何度か瞬きを繰り返した。「何やねん。もう悪魔って知られとるんやから、会社でわざわざ会わへんでもええやろ」と、土屋先輩はため息まじりに呟いて、手に持っていた紙袋を床に置くと「スカート、渡してへんかったし」なんて、ベッドへと腰掛ける。私はまた何かされるんじゃないかと思って、土屋先輩から距離を取ろうと膝を立ててベッドの隅へと逃げる様に移動した。土屋先輩は「僕と契約の上書きする気、なった?」と意地悪そうに笑ってから私の方へと手を伸ばしていく。私がビクッと身体を震わせながら視線を逸らすと、土屋先輩の小さな笑い声が聞こえた気がした。また、変な術をかけられる気がして『ならないです...』と小さく呟くと、土屋先輩はハァーと長いため息を吐いてから「あっそ」なんて私の方へ伸ばした手を下ろしていく。






「僕が、怖いん?」





小さく笑う土屋先輩の瞳を見れずに、私がコクリと静かに首を縦に振ると、土屋先輩が「せやろな」なんて言って私から視線を逸らしていくのが視界の隅で微かに見える。土屋先輩が何でそんなに契約の上書きをしたいのか分からなくて『何が、したいんですか...?』と口から漏らすと、土屋先輩は「僕が田中のこと好きやから、契約の上書きしたいと思っとるんやったらどないする?」と逆に問いかけられる。私は土屋先輩の言葉に『え?』と思わず顔を上げて土屋先輩の顔を見てしまった。土屋先輩も私の声とともに私を見つめて、土屋先輩の瞳から視線が逸らせなくなったと同時に"しまった"と思った。この前の時と同じ様に、身体が動かなくなって、瞳も、逸らせなくなっていく。






「田中、どないすんの?」


『え...わ、たし...』


「僕が、」






言いながら土屋先輩が再び私の方へと手を伸ばして、土屋先輩の指が私の頬に触れる瞬間、バチッと電流の様な何かが走って、土屋先輩が「いっ...!」なんて言って顔を歪ませる。私は何が何だかわからなくて、土屋先輩が私から視線を逸らしたおかげなのか、身体も瞳も動かせる様になっていた。また、土屋先輩の瞳を見たら同じ事をされるんじゃないかと思って、視線を逸らして黙っていると「あいつ...消えるんとちゃうんかい」と土屋先輩の苛立った声と、何かを焼いた様な匂いが鼻をつく。何の匂いかわからなくて、辺りを見回してみると土屋先輩が私に触れようとしたであろう掌をギュッと手で押さえていた。不思議に思ってよく見てみると土屋先輩の掌から煙が出ていて『え!?大丈夫ですか!?』と反射的に土屋先輩の手を握ると、土屋先輩は「僕が怖いんちゃうの?」なんて困った様に眉を寄せる。私は『そんな事言ってる場合じゃ...』と握った土屋先輩の手を退かして土屋先輩の掌を見つめると火傷した様に赤くなった皮膚が、ジリジリとまだ燃えている最中かの様に煙が出ていた。







「アキラくん、やろ...」


『え...?』


「契約した人間が他の悪魔に触られへん様に、こうやって保護できるんよ」


『保護、ですか...?』


「田中に触られたくないんやろな」


『何言って...』


「独占欲の塊やな。他のやつに触られたないって...意味わからへんわ」







「せやったら側いとけや」と呟いた土屋先輩の言葉が理解できなくて、私はそのまま土屋先輩のジクジクと痛そうな生傷を見つめた。生傷を見ていたら私の方が痛くなった様な気分になって『どうやったら...治るんですか?』と土屋先輩を見つめると「アキラくんが淫魔やったんやから、どないしたらええか分かるやろ?」なんて土屋先輩は困った様に小さく笑う。それは...と言いそうになって思わず口をつぐんだのは、"淫魔は精気を食べて生きてる“と言う彰の言葉を思い出したからだ。それはつまり、土屋先輩も傷を癒すにはそういう事をしなければならないと言うことで...と、少し考えてから『た、体液があればいいんですよね...』なんて確認する様に口にした。






「なんやキスでもしてくれるん?」


『土屋先輩の血舐めても契約の上書き...とかにはならないですよね...?』


「は?まぁ、契約には人間の血もらわんと意味ないからな...」


『私から土屋先輩に触るのは...その...バチバチって来ないんですよね...?』


「...手握れとるんやからいけるんとちゃう?」


『じゃ...じゃあ...』



私は覚悟を決めた様に生唾をごくりと飲み込んで、土屋先輩の掌に唇を近づけていく。ちゅっと軽く口付けてから確認する様に土屋先輩の傷を見つめる。やっぱりこんなんじゃ...傷治らないのかも...。と思いつつも、ペロリと舌を傷口に這わせて、なるべく唾液が土屋先輩の傷口に伝う様に舌を出す。何度か傷口を舌でなぞると、土屋先輩が「田中はなんで、そないなこと出来るん?」と私の口から掌を離すように腕を引いてから続ける様に「僕のこと、怖いんやろ?」と低めの声で呟いて、私の顎をぐっと掴んだ。その瞬間にまた、バチッと電流の流れる様な音と、焼け焦げた匂いが鼻をつく。『え!?土屋先輩...何して...ッ!』と私が言葉を言い終える前に、土屋先輩の唇が私の唇に押しつけられる。それでもバチッと響き続ける電流の音が、皮膚が焼ける匂いが、押し付けられる土屋先輩の熱い唇が、どれも現実じゃない様な気がして、思わずドンっと土屋先輩の胸を思い切り突き飛ばした。






『馬鹿じゃないですか!?もっ...何してるんですか!!』


「...馬鹿なんは田中やろ...」


『自分で怪我増やしてる方が馬鹿じゃないですか...』


「僕、キスしたんやで?なんでそないな奴に、優しく出来るんよ」


『そんな...なんで優しくしちゃいけないみたいなこと言うんですか...』


「...そんなんで優しくするんは...偽善やろ。僕なんて、居らんかったらええと思うとる癖に」


『偽善だとしても...良いじゃないですか...。悪魔だとしても、土屋先輩は私の憧れの先輩ですし...何されるか分かんなくて怖い時もあるけど...怪我して欲しいとか、いなくなって欲しいとか...思わないですから』


「...なんでなん?普通に嫌やろ?僕...田中に酷いことしとるんやし」


『なんですかそれ...酷いことしてるって自覚があるんじゃないですか...じゃあやらないでくださいよ。悪いと思ってるなら二度とキスとか、変な術とかかけないでくださいね』


「...なんやそれ...」






「ほんま...調子狂うこと言うんやめてくれへん?」と、土屋先輩がため息まじりに呟いて、頭をガクッと下に向ける。私はどうしたらいいのか分からなくて、下を向いている土屋先輩を見つめたまま口をつぐんだ。少しの間、私たちの間に沈黙が流れて「アキラくんの居場所...分かるん?」と沈黙を破ったのは土屋先輩で、私が『え?』と思わず聞き返すと、土屋先輩は「なーんも。一緒に探そ思うたけど、ま、ええわ。僕が首突っ込むとややこしなるやろし」と顔を上げてから少しだけ私を見つめた。土屋先輩は「...ほんま警戒心ないなぁ」と困った様に眉を寄せて小さく笑うと、ベッドから腰を上げて立ち上がる。私は土屋先輩の掌を指さして『あの...それ...』と小さく呟くと、土屋先輩は「こんなん自力で治せるわ」なんてまた困った様に眉を寄せた。





「ほな、帰るわ」


『え?帰るんですか?』


「...なんや、もっと酷いことして欲しいん?」


『ちっ...違いますよ!』


「あはは、せやろ?僕も...田中がアホなことばっか言うから疲れたわ...せやから...また会社でな」


『アホって...土屋先輩の方が...』


『あ、そないなこと言う子には教えてあげへんよ?」


『なんですか...』


「淫魔って悪魔の中でも下級の生き物やから、空腹なりすぎるとほんま消えてまうで?」


『え...?それって...』


「せやからアキラくんも、危ないんとちゃうの?早よ見つけてあげな」


『えっ、でも...土屋先輩...!』






土屋先輩は私の言葉を最後まで聞く前に「ほなね」なんて、いつもの様にニコッと笑った。私が"土屋先輩"と口にする前にした一瞬の瞬きで土屋先輩が見えなくなる。部屋を見回してみても土屋先輩の姿はもうなくて、なんてファンタジー...。なんて思いつつも、土屋先輩の言った"消える“と言った言葉が頭から離れない。彰が消える...?私と、契約が切れてないから他の人の精気が食べれないんだ。私のせいだ...。馬鹿みたいに何も考えずに血なんてあげたから。後悔したって遅いのに、ズキズキ痛くなる胸が余計に苦しくなっていく。




『彰に...会わなきゃ...』



どこを探したらいいのかなんて分からないし、会ってどうしたらいいのかもわからない。だけど居ても立っても居られなくなって、私は家を飛び出した。




何も、知らない
(彰のことを、知りたいのに)




彰は、隣に住んでる淫魔で、私と契約してて...笑う時に困った様に眉を寄せる癖も、私の名前を呼ぶ声のトーンも、私に触れる彰の優しい指先も、彰の体温も、全部すぐに思い出せるのに、私が知ってることはそれだけ。おかしいって、自分が1番わかってる。それだけのことしか知らないのに、どうしようもなく彰が好きだ。











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