「田中、お疲れさん。調子どうや?」


『あ、土屋先輩...お疲れ様です...』


「なんや、元気ないやん。なんかあったんか?」


『その...あれですよ!繁忙期やっと終わったんで...どっと疲れが...』






あはは、と少し笑うと、土屋先輩は私の隣に腰掛けて「まぁ、確かに今回の案件はキツかったわ」とグラスに入ったビールをごくりと飲み干した。今日は久しぶりの会社の飲み会なのに、私は彰のことで頭がいっぱいでお酒も進まず、憧れの土屋先輩がわざわざ私の隣に移動してきたのに、さほどテンションも上がらなかった。土屋先輩は私が入社した頃から可愛がってくれて、愚痴も聞いてくれるし、仕事のフォローだってしてくれる。もちろん怒られることはあるけれど、飴と鞭のバランスなのか、後輩にも上司にも慕われる様な素敵な先輩だった。前は憧れもあり、気になっていた存在だったのに、そんな人を目の前にしても私の頭の片隅にはやっぱり彰の姿があって、私の頭の中から消えてくれない。土屋先輩は「ほな、頑張った田中にご褒美」と、ビールビンを片手に持って、私のグラスへ注いでいく。私は『あ!私が...』と、自分のグラスを手に持ってグラスいっぱいに注がれるのを確認してから、土屋先輩の手にあるビールビンを受け取ろうと手を伸ばす。土屋先輩は「あかんあかん。今日くらい無礼講やろ」なんて笑って自分のグラスにビールを注いで乾杯を促す様にグラスを持ち上げると「今回はほんま田中頑張っとったから、田中に乾杯」と私を見つめた。褒められると嬉しいのに、なんだか恥ずかしくなって『ありがとうございます!で、でも土屋先輩が指導してくれているおかげなので...その...乾杯』と誤魔化す様に互いのビールグラスを軽く合わせて一気にゴクゴクと喉に流し込んでいく。土屋先輩は少しだけビールを口にしてから「せやけどほんま...見積もりの数字間違うんはやめて」と泣き真似をするように顔を手で覆ってみせる。私はウッ...と言葉に詰まりつつ『本当にすみません...!』と軽く頭を下げると、土屋先輩は私の肩を小突きながら「あほ、冗談やろ。僕の確認ミスやしな。ほんま頼りにしてんで田中!あ、せやけど悪いと思っとるんやったら、この後少し付き合ってくれへん?」とまたビールビンを私のグラスへ傾けた。






『二次会ですか?』


「さぁ?どーやろね」























「田中」


『はぁーい!元気でーす!』






「なんやねんそれ、小学校の出欠ちゃうぞ」と隣で笑いを堪えた様な土屋先輩の声が、アルコールが回ってふわふわした感覚と、襲ってくる睡魔のせいか、遠く聞こえて思わず『ん?』と聞き返す。「ん?て、友達かアホ」なんて吹き出した土屋先輩の肩に私の腕が担がれていて、私の腰に土屋先輩の手が回っている。あれ?なんで?なんて思ったのも束の間で「田中ん家知らんし、僕の家やけど路上で寝るよりマシやろ?」と顔を覗き込まれて、なんでこんな状況?と混乱した様にぐるぐる回る頭を必死に回転させるのに、スライドの様に途切れ途切れの記憶だけしか思い出せない。二次会行って、三次会行って、四次会...頭痛いし、気持ち悪い。と思いながら土屋先輩の問いかけに訳も分からずコクリと頷く。そこからまた記憶が途切れて、気づいた頃には布団の中で、ひんやりとした冷たい何かが私の頬に当たっていた。まだ重い様な瞼を軽くこじ開けると、「田中、水飲まんと明日辛いで」なんて暗がりの部屋で土屋先輩の声が聞こえる。私は『...すみません...』と頬に当たった冷たい何かを手で確かめる様に触ってから、水が入ったグラスだと分かるとすぐに受け取って上半身だけ起き上がらせると、渡された水をごくりと飲み込んだ。寝ぼけ眼で土屋先輩に『あの、本当ご迷惑かけて...すみませんでした...』と呟いて、下を向くと自分の洋服を着ていないことに驚いた。これは私のTシャツじゃない、完全にこれは男物の...え?あれ?え?と、何度か自分の着ている服と土屋先輩を交互に見ると、土屋先輩は「先言っとくけど、ヤッてないで?」とクスクス笑いながら事情を説明してくれた。飲み会でベロベロの私を土屋先輩が介抱してくれたは良いものの、終電もないし、家も知らないし、で家にあげてくれたらしい。そこから私が土屋先輩に向かって嘔吐して、スーツはだめになるわ、私は寝てしまうわで大変だった...との事だ。まったく記憶にないし、恥ずかしいし、申し訳ないしで居た堪れない気持ちになって、私はベッドの上で土下座をしながら『大変申し訳ございませんでした!』と声を張り上げた。土屋先輩は「いや、田中があんなんになるん初めてやったし、良いもん見れたわ」なんて私の顔を上げさせる様に肩を押す。私は眉を寄せながら『よくない、ですよ...恥ずかしくて死にたいです...』と下唇を噛み締めると、土屋先輩はあはは、と笑って私の手から空になったグラスを受け取ると「気にせんでええから、まだ寝とき」なんて私をベッドへ押し倒してから「ほな、おやすみ」と私に布団をかけてその場を離れた。私は土屋先輩はどこで寝るんだろう?とか、憧れてた先輩にこんな醜態を晒して、さらに迷惑までかけて、最悪!だとかを回らない頭の中を色々な言葉がぐるぐる回って二日酔いの様に気持ち悪くなる。それに、恥ずかしくて寝れるわけない!なんて思いながら、布団を頭までかぶってフラッシュバックする様に頭の中で思い出される私の悲劇映像の様なものがグワングワンと回っている気がして余計に時間を巻き戻して全ての醜態を消したくなった。なんならこの場から消えてしまい。だけど、まだほのかに残ったアルコールのせいなのか、私はいつの間にか睡魔に勝てずに眠りについていく。「ほんま、警戒心ないんやね」と遠くで聞こえた様な土屋先輩の声は、酔ったせいで覚えていない記憶なのか、夢なのか、現実なのかはわからなかった。






















朝、カーテンの隙間からこぼれる様な陽の光で目が覚めて、ガンガン痛む頭を押さえつつ辺りを見回す。私の部屋じゃない。と気づいて、なんでだっけ?なんて昨日の夜のことを思い出して恥ずかしさから顔を手で覆って、ため息をついてから確認する様にまた部屋を見回した。ずっと憧れていた土屋先輩の部屋だ。と少しだけドキドキしながらベッドから起き上がるとコーヒーの匂いがかすかに鼻をかすめる。どこをどう行けばいいのか分からなくて、匂いをたどる様にキッチンへと向かった。「お?おはようさん」と声のする方へ顔を向けると、職場にいる雰囲気とは違ったラフな格好の土屋先輩がソファーに座って私を見上げる。私が『おはようございます!昨日は本当にすみません...』と頭を下げると、土屋先輩は「ええやん、もう気にせんといて。僕も部屋汚いのバレたし、お互い様やろ」なんて小さく笑った。どこをどう見て部屋が汚いんだろう...と心の中で突っ込みつつ『あの...』と声をかけて、帰ります。と続けようとした途端に「田中」なんて遮る様な土屋先輩の言葉で条件反射の様に『はい!』と返事をすると、土屋先輩は小さく笑って「今日、予定ある?」と眉を寄せて私を見つめた。え?それってデートですか?と確認しようとして、そんなわけないのに馬鹿な質問すぎる。と思って口をつぐんだ。土屋先輩はコーヒーを一口飲んでから「昨日のスーツ、クリーニングしに行くんやけど」と意地悪そうに目を細めた。私は昨日の失態を思い出して『お供します』と返事をするしかなかった。






「あはは、田中のきったないスカートも一緒にクリーニング出したるわ」


『わー!なんなら私が出してきますから!』


「アホかええわ、ほんでその後一緒に飯食いに行こか」


『え...?ん?あ、はい...』


「なんや、僕とご飯行くの嫌なん?」


『や、こんなお世話になっておいて...良いのかなぁって...』


「謙虚すぎるわ、ええよ全然。ほな行こか」






それから土屋先輩の洋服を借りて、クリーニング店へ行って、近くのお店でご飯を食べて、駅まで送ってくれた土屋先輩が「アキラくんに、よろしゅうな」なんて言うもんだから、私は驚いて『え!?知ってるんですか!?』と声を荒げる。





「いや?昨日、ずっと田中が"アキラに会いたい"言うてたから、彼氏なんかな?思ってたんやけど...ちゃうの?」


『あー...そんなんじゃ...ないです...』


「あれ?ほな、悪戯したのは意味なかったんか...」


『悪戯...ですか?』


「あはは、ま、ええやん。ほなまた会社で、お疲れさん」






土屋先輩は私の問いかけに答えずに、誤魔化す様に言ってから自分の首元をトントンと、指で叩いた。私はその意味がわからずに、土屋先輩に『お疲れ様でした』とお辞儀してから改札へ向かう。電車に乗る前に駅のトイレに寄って、トイレの鏡に映った自分の首元を見て土屋先輩の言葉を理解した様に『あ!』と声をあげてしまった。





首筋に残った赤い跡
(別に誰かに見られて困る訳じゃないけど...)




自分の家につくころには14時過ぎ頃で、ふぅ、と一息吐いてから、やることも無いし二度寝しようかな...。なんてベッドへ向かう。布団に潜ろうとしてほのかに感じた温もりと、誰かの寝息が聞こえて思わずベッドを二度見する。そこにはずっと会いたかった彰の姿があって、『彰』と声を出しそうになった。だけどこの前のことがあって気まずい私は彰を起こさない様に静かに布団に入り込んで目を閉じた...までは良かったが寝れない。寝れる訳ない。と、薄目で確認する様に彰を見つめる。その瞬間にバチッと彰と目があって私が『あ、』なんて声を出す前に「遅かったね」と彰が私の手首を掴んだ。その力がやけに強くて、私の手首が軋むように痛くなった気がした。







Back