俺は悪魔で、淫魔だ。悪魔と言うからには人間の魂を食らって生きているし、それは淫魔も変わらない。人間の精気を奪って、寿命を食らっているのだ。特に淫魔の精液は人間には毒らしく、長く摂取しすぎると不治の病として床から動けず死んでいく。仲間内で契約した人間が死んでいくのを俺は幾度となく見続けた。しかも契約すると契約した人間からしか精気が貰えなくなるらしい。だから俺は生まれて数百年、誰とも契約することはなかった。特定の人物から精気をもらうよりも不特定多数の人間から精気をもらった方が色んな味を楽しめるし、何よりも人間関係という煩わしいものは無いのだから。そんな事を続けてまた数年が経った頃、俺の人生に意味なんてあるんだろうか...と、ふと疑問に思ってしまった。人ではない、だから長く生きられる。怪我をしたって治るし、魔力だって使えてしまう。だけどこんなことして、何か俺に残るんだろうか。人間の世界に長く住みすぎたせいだろうか、人の感情の様なものが俺の中に生まれていった。そんな時に、俺は彼女と出会った。俺が海で釣りをしていると、近くで女性が1人浜に現れて、目が合ったから「どーも」なんて声をかけたけど返事はなかった。その女性は着物を着たまま海へと足を進めていって、お腹の辺りまで海に浸かると俺の方へ「何で止めないのよ!」と声を荒げた。俺は驚きつつも近づいてくる女性に「泳ぎたいのかなって」と、困った様に眉を寄せると、彼女は「こんな真冬にそんな人いるわけないでしょ!?」なんてガタガタ震えながら手で拳を作った。俺は少しだけ黙って「あ、身投げ?」とハッとして呟くと、彼女はまた声を荒げながら「そうよ!?止めたって無駄だから!」なんて訳のわからない事を口にして再び海へと体を沈めていく。俺が唖然としてしばらく見ていたらまた彼女は俺に近づいて「止めなさいよ!?」なんて言うもんだから、俺は思わず吹き出して「あはは、なんだそれ」と笑ってしまった。それから彼女が俺の家に来るまで、時間はかからなかった。どうしてあんな行動をしたのかと問いかけると、家族が病気で亡くなって、1人が寂しくなってやけを起こした。と彼女は言った。悲しみや寂しさに暮れる人間は隙がありすぎて、悪魔の格好の的になる。情緒が不安定で、優しい言葉をかけて、寄り添ってつけ込んでしまえば簡単に堕ちていく。俺が彼女と肌を重ねるのも、簡単だった。他の人間と違ったことと言えば、抱いてからも俺が彼女の近くで過ごしてしまったことだ。そのせいなのか、俺の何かが変わっていって、彼女のことを知るたびもっと知りたくなって、他人に知られたくなくなる。俺だけが彼女の心の中まで入り込んで、独占している様な感覚に酔いしれて、彼女と居るだけで心が満たされる。愛なんて知らないはずの俺が初めて人間と契約して、彼女だけを求めた。彼女も俺を本気で愛してくれて、俺も本気で愛しいと感じ、お互い幸せだと、思っていた。彼女は人間で、俺は悪魔だ。人間の精気を食べて生きている俺は、彼女の寿命を食らっているのだ。だけど彼女は俺の正体を知っても尚、俺から離れることはなかった。契約したからには俺も、離れたくても彼女が死ぬまで離れられなくて、彼女の死に際にも俺はずっと、ただそばにいるだけしかできなかった。







「本当に悪魔って、歳取らないのね」






床から動けなくなった彼女は苦しそうに笑って、俺は困った様に眉を寄せながら「そうだね」なんて彼女の頬を手で覆った。「私だけおばあちゃんで、彰はまだ若いまま...」と、力なく俺に触れた彼女の手を俺は握って「だから、契約せずに普通の幸せを選んだ方が良いって...言っただろ」なんて、自分で言った言葉なのに、なぜだか俺の胸が締め付けられた。彼女は笑って「馬鹿ね」と俺の手を握り返しながら「私、彰と過ごせて幸せだったのよ?」なんて笑うから、俺も思わず小さく笑った。「俺も、幸せだからまだ、遠くへ行かないでよ」と馬鹿な事を口にした。自分で彼女の寿命を減らしているくせに、残酷な事を口にする俺は、まさに悪魔だ。彼女は「彰、最後に口付けてよ...とっても素敵な、甘いやつ」とぼんやりと俺を見つめて、俺は彼女の言葉に詰まる様に「唇に触れなかったら、長生きしてくれる?」なんて、再び残酷な事を口にする。彼女は「ふふ、最期のお願いなんだから聞きなさいよ...馬鹿な人ね...」と弱々しく笑いながら瞼を閉じると、俺の問いかけに反応はなくなって、二度とその瞼が開くことはなかった。






















ずっと、後悔していた。何年も、何十年も、100年経っても、俺の中で彼女の存在が薄れることはなかった。他の女性を抱いても、満たされず、もう居ないと分かっているのに彼女の姿を探してしまう。釣りをしながらぼーっと海を見つめて、頭の中で彼女の笑顔を思い浮かべた。悪魔らしくない、こんな事をずっと考えているなんて...と思っていたら、小さな少女が俺の隣に寄ってくる。『彰?』と、ふと名前を呼ばれて懐かしい匂いが俺の鼻をかすめた。まさか、と思って声のする方を見るけど、小さな少女しか視界に入らない。「お母さんとはぐれちゃったの?」と問いかけると、少女は『ううん、彰に会いに来たの』と困った様に眉を寄せた。小さな少女なのに何処か大人びた雰囲気を感じるのは、何故だろうか。懐かしく感じる匂いと、彼女の面影を感じさせる雰囲気が俺をハッとさせて、「俺に、会いに来てくれたの?」と目を細めた。少女は『彰がずっとウジウジしてるから、生まれ変わったのに会いに来ちゃったじゃない』なんて少し頬を膨らましながら、俺を見つめて『でも、これで本当に最後だから』と続ける様に言ってからニコッと笑った。俺は「生まれ変わっても可愛いんだね」なんて冗談まじりに笑うと、『いつからロリコンになったのよ』と彼女は口を尖らせる。俺は胸がギュッと締め付けられる様な、熱くなるような感覚に、思わず「抱きしめても良い?」と呟くと、彼女は『うん、抱きしめて』と言って俺に手を広げていく。引き寄せられるようにギュッと身体を抱きしめると、小さくて潰れてしまうんじゃないかと思った。






『ねえ、彰』


「ん?」


『私、あなたと居て幸せだった』


「...うん」


『私をまた愛してなんて我儘言わないから』


「...うん...」


『また誰かを愛して、幸せになって』







『人間って、そう言うものよ』なんて彼女が言うから「俺、悪魔だよ」と冗談まじりに笑うと、彼女は『ふふ、そうだった』と俺の腕の中で笑った。しばらくお互い黙ったまま抱き合っていると、彼女が『彰...最期のお願い、覚えてる?』と、俺の胸を少し押した。俺は「うん、覚えてるよ」なんて彼女の頬に手を寄せて、唇を近づけていく。触れる前に「愛してる」と呟くと、彼女は『私もよ』と柔らかく微笑んだ。それを合図に唇に触れて、彼女の匂いに包まれる。懐かしくて、胸が苦しくなって、だけど心が満たされる。名残惜しそうにリップ音を響かせながら唇から離れていくと、キョトンとしたような少女と目があって『おにいちゃん、だあれ?』と問いかけられた。俺は困ったように眉を寄せながら小さく笑って「悪魔だよ」なんて呟いていく。







『あくまって、わるもの?』


「まぁ、一般的に言えばそうかな」


『どっか、いたいの?』


「...え?」


『おにいちゃん、ないてるから』







そう言われて自分の頬が濡れていることに気がついて、手で急いで涙を拭っていくと『いたいのいたいのとんでいけー』なんて必死な少女に、俺は「ありがとう...もう大丈夫、治ったよ」と小さく笑った。少女は『おにいちゃんがいたいときは、またとんでいけーしてあげるね』なんて言うから、俺は胸が苦しくなって困ったように笑うことしかできなかった。それ以来、俺は彼女の生まれ変わりだと言う少女を遠くから見守り続けた。俺と出会わない様に、人間と恋する様に。なのに彼女が恋人を作るたびに胸がチリチリと焼ける様に痛くなって、また、彼女に恋をしたんだと、気づいてしまった。大人になった彼女が家を出て、一人暮らしをして、しばらくは遠くからまた、見つめているだけでよかった。次第に話したくなって、自分に笑顔を向けて欲しくなる。他の誰にも満たせない、心の渇きの様なものが限界にまで達している気がした。彼女の部屋の隣を借りて、壁越しに感じる彼女の懐かしい香りを俺は求めた。夜になると香ってくる甘い、妖艶な匂いに当てられて、我慢が効かなくなっていく。だからなるべく夜は部屋にいない様に、誰かと肌を重ねた。生きるためじゃない。腹を満たして、彼女の香りに酔わない様に、必死に自分を抑えた。その日はたまたま、夜にあった予定がなくなって仕方なく家にいた。だから、クラクラする様な彼女の甘い香りに当てられて、理性も効かなくなって、思わず彼女の部屋へ入り込んだ。少し脅かして味見するだけ、少しだけにしないと、取り返しがつかなくなる。自分でわかっていた筈なのに、昔と変わらない甘い香りに酔いしれる様に俺はまた彼女に、溺れてしまった。






俺を虜にする、甘い香り
(他の誰かじゃ、満たせない)





嫌な夢だと思わせれば、良かった。なのに彼女に見惚れて、触れて、側に居たいと思ってしまった。よくない事だと分かっていたのに後戻りしたくなくて、彼女の瞳に、ただ、俺を映して欲しかった。









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