『うーん...』




私は今スーパーのもやしの棚の前で頭を抱えていた。給料日まで後3日、手元を見ると50円しかない。カップラーメンは買えないし、うまい棒なら何本か買える。しかしもやしを2回に分けて食べれば...とかなんとか考えて、結局もやしを購入した。手元には結局10円ちょっとしか残ってない。私はスーパーを出るとはぁ...と大きいため息を吐いた。バイト先は景気が悪すぎて潰れるし、住んでるアパートは家賃は安いけど来月には潰れるし、最後の給料日までは後3日あるし...私はとことんついてない。そんな事考えながら歩いていたらドンッと共に誰かにぶつかって、私は反動で尻餅をつくようにして倒れ込んだ。



『いたた...す、みません!大丈夫ですか!?』



「あぁ....こちらこそすまなかった。え?あれ、田中…?」



『…え?ま、牧くん!?』



ぶつかった人が私の名前を呼びながら手を差し伸べてくれて、差し伸べられた手に視線を移すと驚くことに高校が一緒だった牧くんだった。しかも牧くんが持っていたであろうコーヒーが牧くんのスーツにかかってしまっていた。結構派手に。『牧くんスーツが!ご、ごめん!弁償します!』そう叫んだ私に、牧くんは「田中もコーヒーがかかっているじゃないか、おあいこだ」なんて優しく声をかけてくれて、私は差し伸べてくれた手を握ると、牧くんの胸に飛び込むみたいな勢いで起き上がらされる。て、いうか牧くんこんな所で何してるの、ずいぶん久しぶりだけど、お高そうなスーツを着て。


『牧くん、久しぶり…だね…というか、スーツ…本当にごめんなさい』


「いや、俺も電話をしていてよそ見をしていたんだ。すまない」



『そ、その...弁償するから!絶対に!』



「すまん、ちょっと急ぐんだ。あとの話は車の中でしよう。この後の予定は?」



『...何にもないけど』




無職だし。と、私が言い終わる前に牧くんが私の腕を強引に引っ張って、何処かへ向かって歩き出す。ああ、偶然なんだろうけど、なんてタイミングで牧くんに会ってしまったんだろう。高校の頃、私は牧くんが好きだった。私は牧くんと同じクラスになっただけで満足していたし、弱虫な私は想いを伝えるなんて事はしなかった。でも、なんで今なの…こんなにボロボロなタイミングではなく、同窓会とかそういう所で再会したかった。なんて思いながらお高そうな車が止まっている目の前で牧くんはピタリと足を止めて、車のドアを開けると私に向かって「入ってくれ」なんて言ってどうぞ、とまるで執事がお嬢様にやるシーンみたいに小さくお辞儀をして見せると、私は牧くんに言われるがまま、素直に車に乗り込んだ。





「ちょっと詰めてくれないか?」



『う、うん...』




言われるがままに少し横にずれる私の隣に牧くんが乗り込んできて、うわー!同じクラスだったけど、隣の席にもなったこともないのに、牧くんが私のすぐ横にいる!と思っていたら「悪い、一度俺の家に行って着替える。会議に遅れそうなんだ。なるべく早く頼む」なんて牧くんは運転手の人にそう話していた。て、言うか運転手付きの車乗ってるって牧くんは一体何者なんだろう。実は極道に入って、お高そうなスーツをお釈迦にした私を海にドボンだなんて…ありえない話だけど、高校の頃の好きだった人にだって偶然会えたんだ。そんなありえない事が起きる事だってあるかもしれないし…。なんてビクビクしている私を他所に、牧くんは「すまん。急いでてな…俺、今会社やってるんだ」なんて言いながら慣れた手つきで胸ポケットから名刺を取り出して、名刺を私に差し出してくる。私は『そ、そうなんだ…すごいね』と言って渡された名刺に視線を下ろした。牧くんの名前の横を見ると、本当に代表取締役とデカデカと書いてあって、私は名刺と牧くんの顔を見比べるように行き来させた。本当に社長なんだ。すごいけど、社長ってことは...そのスーツは一体いくらなの...。




『やっぱりスーツ...弁償します!』



「田中だって俺の持ってたコーヒーで少し濡れてしまっているじゃないか。それに、このスーツはちょっと高いぞ」




そう言って牧くんは私のTシャツの汚れた部分を指さしたけど、こんな安物の服についた米粒みたいなシミ、正直どうとだってなる。なんなら牧くんのスーツは上から下から全て濡れているし、靴下も濡れているようだったから高そうな革靴の中も濡れているに違いない。だけど、私は牧くんの"ちょっと高い"と言った値段が気になって『いくら位するの?』なんて現金にも程がある質問をした。




「...オーダーだからな。トータルで言うと100万くらいはする。もちろん革靴は除いてだが」



『ひゃっ、ひゃく!?!?!?』





口から出た声が思わず裏返るくらい驚いた私は、体をビクッ!と揺らしてそのまま固まった。え?牧くん今なんて?100万くらいするスーツ着て歩いてるの?意味わかんない、どうしよう。貯めていた引っ越し資金を合わせたって50万位しかない。でも引っ越し資金を使ったら引っ越しできなくて、潰れる予定のアパートから出たらホームレス決定だ。どうしよう...なんて眉を寄せた私の顔を牧くんが覗き込んで「車酔いでもしてるのか?」なんて言うもんだから私は首を左右振る。





『あ、あの...今、お金がなくて弁償出来ないから、分割返済でもいいかな?』



「いや、だから別に弁償しなくて良いぞ...」



『ダメだよ!私の気が済まないんです!と、言うかそのスーツが牧くんの親の形見とかだったらお金の問題ではないんだろうけど...』



「親の形見でもなんでもないから大丈夫だ。それじゃあ...そうだな...」



「今、住み込みの家政婦を探してるんだが、家政婦になってくれたら弁償の話は無しにしよう。」なんて言った牧くんが私にウィンクをして見せる。私はドキッとしたのと共に、住み込みってことは住むところを探さなくても良いし、家政婦ってことはバイトも見つかるし、最高!とかなんとか。私は牧くんの手をギュッと両手で握りしめて、『是非!やらせてください!!』と目を輝かせた。



「え?本当に大丈夫か?だけど旦那さんとか、恋人とか仕事とか…」


『未婚だし、付き合ってる人もいないし、なんなら無職で仕事探してたし!逆に嬉しい』


「そうか…俺はすごく助かるけど、俺と…その…男と一緒に住むのは…いいのか?」



そう言って牧くんは不安そうに眉を寄せたけど、私は牧くんが誠実で優しい人だと知っている。牧くんは信頼出来るし、絶対に牧くんと私が何かあることはない、なんて思いながら、「大丈夫」とニコッと笑った。その日、私と牧くんはお互いの連絡先を交換したけど、私は牧くんと今日偶然に会えたことと、牧くんの傍で働けることが嬉しくて、牧くんの車にもやしを置き忘れた事を家に帰ってから思い出すことになる。










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