高校生だったあの日、日直になった俺は放課後教室に残って日誌を書いていた。日誌の欄にある「今日の一言」なんて欄になんて書けばいいのか少し悩んで、前の日直がなんて書いているのかページをめくると「話せた」と言う短い一言が目に入った。綺麗な字で書かれた短い一言に引き付けられるみたいにその日の日直の名前を確認すると田中の名前が書いてあって、俺は好きな奴でもいるのか?なんて思いながら更にページをめくっていった。田中が日直の時の今日の一言の欄には「バスケ部がインターハイに行けるらしい。嬉しい」だとか「寝顔が見れた」だとか、誰かに恋をしてるような一言が書かれていた。とりあえずバスケ部のことが書かれていたからバスケ部の誰かだろうか。なんて思いながらページをめくっていって、田中が初めて日直になったであろうページには「同じクラスになれた」と綺麗な字で書かれていた。このクラスのバスケ部は考えても俺しかいなくて、俺は勝手に顔が熱くなったのが自分でもわかった。待て、何考えてるんだ。なんて思いながら、日誌を自分のページに戻して、誤魔化すみたいにペンを持ち直した。自慢じゃないが別にモテないわけじゃない。告白だって何回かされた事もある。だけどこんなに間接的に好意を向けられたことがなくて、それに田中は誰にでも優しくて、真面目で、よく笑って、誰とでも分け隔てなく話せる田中の事を、そう言う目で見たことなんかなくて、俺は勝手に恥ずかしくなった。俺が好きと決まったわけじゃない。自意識過剰だろ。好きな奴が同じクラスにいるというのは確実だが、バスケ部のことはたまたま日誌に書いただけで、関係ないのかもしれない。なんて勝手に頭をグルグル回っていく考えをかき消すみたいに『誰かいるの?』なんて教室の入口から声が聞こえた。ハッと我に帰って入口の方を見ると、先程から考えていた田中がいて、気づかれるわけなんかないのに心の中を覗かれたようでドキッとしてしまう。




『あれ?牧くん?どうしたの?』


「あぁ...日誌を書いてたんだ」


『そうなんだ。日誌なんて適当に書いて早く部活行っちゃって良いのに』




『牧くんって真面目だね』なんて教室に入ってきた田中がクスッと笑って、大量に抱えたプリントを教卓の上に置いた。「田中は、どうしたんだ?」なんて俺が聞くと『明日の朝みんなに配るんだって、先生って本当に人使い荒いよね』と、眉を寄せながら田中は笑って俺に視線を移した。ほら見ろ、田中は俺と普通に話してる。好きな奴は多分俺じゃない。ドキドキと早くなった心臓を落ち着けるみたいにフーッと息を吐くと、田中が静かに近づいてきて俺の机の上に広がってる日誌に視線を落とした。




『それ、書いとこうか?確か、インターハイ前なんだよね?』


「いや、大丈夫。自分で書くよ」


『そっか。じゃあ...私は帰ろうかな』


「おう、また明日」




言った瞬間に手をあげようとして日誌の紙に当たった人差し指が少しだけ痛んだ。「いてっ」なんて小さく声を出すと、田中が『どうしたの?』と眉を寄せて俺を見つめる。俺は痛んだ指を確認するように自分の人差し指に視線を移すと、うっすら切れて傷口の隙間から血が滲んでいたのが見えた。「少し切っただけだ」と言う俺に、田中は『え!?大丈夫?大変!』なんて言って1人で慌てて肩にかけていた自分の鞄に手を突っ込んで何かを探すようにガサゴソしていた。「いや、だから大丈夫...」俺が言い終わる前に田中が鞄から取り出したのは小さなポーチで、そのポーチを俺の机に置くと、ポーチの中から絆創膏と消毒綿のパックみたいなものを取り出した。『手、見せて』なんて俺に手を差し出した田中に、俺は出してもらったからには「いい」と言うのは流石に申し訳なくて、仕方なく田中の手に自分の人差し指を乗っける。





「用意周到だな」


『あはは、そうでしょー?なんて、私よくコケるから...自分の為だよ。あ、ちょっと染みるかも』


「いっ...!」


『え?ごめん、そんなに痛かった?』


「いや、ちょっとだけ」


『良かった...もう絆創膏貼ったら終わりだから待ってね。あ...それより絆創膏ダサいかも』




言いながら田中が手際良く俺の指に絆創膏を貼っていって、ダサい、と言われた絆創膏の柄をよく見るとファンシーな柄でなんだか恥ずかしくなった。「本当、ダサいな」なんて眉を寄せる俺に『あはは、ごめんごめん。次はもっとかっこいいの買っとくね』なんて言って田中が笑って『はい、終わり』と絆創膏のゴミをクシャッと握る音が聞こえた。「ありがとう」とお礼を言うと、田中は『いえいえ、バスケ部のキャプテン様ですから』なんて言ってニッコリと笑う。なんだかその笑顔が眩しくて、俺は先程の自分の自意識過剰で自惚れのような考えが恥ずかしくなっていく。好きな奴に接する話し方じゃない、だろ。何を考えてるんだよ、俺は。と、田中が貼ってくれた絆創膏に視線を落とす。




『じゃあ、本当に帰ろうかな。邪魔しちゃってごめんね』


「いや、助かったよ。絆創膏ありがとな」


『ううん。それより頑張ってね!部活応援してるから!』




『じゃあね!』なんて言って手を上げた田中に返すみたいに手を上げた。視界に入った俺の人差し指の絆創膏がやけに目立って、俺は思わず眉を寄せた。田中は誰にだって優しい。こんな些細なことが頭に残ったのと同時に日誌の言葉が気になって、次の日から卒業するまで、俺は田中を目で追いかけることが増えていった。だけど高校生活の中で田中と2人で話したのはそれっきりだった。卒業するちょっと前の日誌で、田中の「卒業式、勇気を出します」と書かれた一言に、俺は期待していたみたいに胸が高鳴っていたのに、田中からは何にも言われなかった。俺が勝手に自惚れて、期待していただけで、田中は別に俺の事を気になってすらいなかったんだ。馬鹿だな、俺。本当に田中が気になってたのは俺の方だったんだろ。なんて、卒業してから自分の気持ちに気づいた馬鹿な俺は、大人になってからも、たまに、田中を思い出していた。恋がまだわかってない、まだ子供だった頃の青春の1ページ、だなんて考えていたのに、車を降りてコーヒーを買いに行った場所で、俺は田中とぶつかった。






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