『わー...すごい...』





見上げたマンションは芸能人なんかが住んでそうなマンションで、私の人生とは無縁の都内の中央に位置していた。すごい、こんなところに本当に牧くんが住んでるんだ。今まで私が住んでた家とは大違いだわ。なんて思いながら、私はキャリーケース片手にマンションへと足を運ばせる。入り口に入って牧くんに教えてもらった部屋番号を入力して呼び出しボタンを押すと、すぐに「はい」と牧くんの声が聞こえて『田中です』なんて私が口にすると「待ってたよ、どうぞ」と干渉したインターフォン越しに牧くんの低い声がマンションの入口に少し響く。私はドキドキしながらロビーを抜けてエレベーターに乗り込むと、牧くんの部屋の階のボタンを素早く押した。マンション内は高級ホテルのような作りで、コンシェルジュなんかもいたし、エレベーターもキラキラしてるし、廊下に敷かれている絨毯はふわふわだし、別世界に来たみたいな気がして私の心はウキウキと跳ねていく。住み込みってことはこれからここに住む訳で、毎日この光景が見られるのね。と浮き足だった私は牧くんの部屋の前まで着くと呼び鈴のボタンを軽く押した。ドアを開けた牧くんは、偶然会った日のスーツ姿じゃなくて、ラフな格好をしていて、なんだか彼氏の家に来たみたいで少しドキッとしてしまう。





「どーぞ、散らかってるけど入ってくれ」



『お、お邪魔します...』



「冗談じゃなく、本当に散らかってるからな」



『あはは、大丈夫だよ』



念を押すようにして牧くんがそう言って、私は『あはは』と笑って見せた。だけど部屋に入ってすぐに『わ、』って声を出してしまった。すごく散らかっている。足の踏み場はあるけど、ソファーや椅子に置かれた洗濯物、放り投げられた靴下。何というか、男性の部屋って感じだった。




「すまない、片付けはどうも苦手でな...」



『いいんだよ!私が片付けるから!』



「そうか。それなら助かる」



あはは、と笑った牧くんは机の上に置かれた書類を指差すと「契約書だ。読んで同意するならサインしてくれ。ちょっと仕事の用意をしてくる。」なんて言って別の部屋のドアを開けてどこかに行ってしまった。私は、契約書なんてちゃんとしてるな。さすが企業の社長。とかなんとか考えながら机に置かれた書類に目を通す。乙だか甲だかなんだか難しい文章が書いてあって、私は一瞬気が遠のきそうだった。とりあえず置いてあるボールペンを握りしめて「同意します」と書かれた方にチェックをつけて署名欄に自分の名前を書いていく。そこでふと気づいたのは、給料の額面が記載されていなかったことだった。私は少し大きな声で牧くんを呼ぶと、スーツに着替えていたであろう牧くんがネクタイを結びながら「質問か?」と、私の方まで急ぎ足で来てくれる。




『着替え途中だったんだ、ごめん...』



「いや、いい。どれだ?」



『その...お給料の事なんだけど...』



「あぁ。前に働いていた家政婦さんは大体30万くらいだったし、それくらいを想定してるが、問題あるか?」



『さ、さんじゅうまん!?!?』




住み込みで家事したりするだけでお給料貰えるなんて...と思っていたけどフリーターだった時代から考えてもお給料が2倍になる。しかし、それ程の額をいただくって事はプロ並みにお仕事しないといけない。私は家事は得意な方だけど、プロみたいにできる訳じゃない、軽く受けてしまったお仕事だけど、どうしよう。なんて思いながら眉をググッと寄せると、牧くんは「不服か?」なんて言って私の顔を覗き込んだ。私は首をブンブンと左右に振って『そ、そんなプロ並みには出来ないから...』と言って見せると、牧くんは少し笑って「2週間は試用期間だ。給料は変わらずでいい。その間に田中がどの程度家事できるのか見させてもらうぞ」なんて言うもんだから、私は『わかった』と、小さく呟いた。自信なんかないけど、出来るとこまではやろう。もし本採用になったら月30万、頑張って働いて老後のために貯金をしよう。とかなんとか。





「ん?確認する前にサインしたのか?」



『あ...サインしてから気づいて...』



「そうか...ま、とりあえず今日からよろしく」



『こ、こちらこそよろしくお願いします!』



「あはは、敬語じゃなくていいよ。まぁ、とりあえず時間がないんだ。俺はこれから仕事に出るから、それまでに片付けるところまでお願いしていいか?」


『まかせて!』



「おっと...そうだ。ここの部屋には絶対に入らないでくれ」





そう言って指差した部屋は、牧くんの寝室か何かなんだろうか。私は『わかった』と返事をすると、牧くんは机の上に家のスペアキーを置いて、「食費」なんて言って机の上に数枚の万札を置いてすぐに「仕事に行ってくる。」と言って出てってしまった。やっぱり企業の社長になると忙しいんだ。と思いながら、私は散らかった部屋をひとしきり見て、袖をまくって『よし!』と意気込みを入れて掃除を始めた。




Back