牧くんの家政婦になってから、3ヶ月が過ぎた。試用期間も無事に終わって、本採用もしてくれて馴染んできたような感じがするけど、家政婦と雇い主の距離感がよくわからない。同級生だからなのか、牧くんは私を家政婦と思えない距離感を出してくる。だって牧くんはとっても優しい。お給料は本当に沢山くれるし、たまにお土産なんかも買ってきてくれる。家政婦と言うより恋人に近い対応をされてる気分になってしまって、私はなんだか戸惑っていた。





「田中、今日は早く帰ってくるぞ」



『うん。じゃあ夕飯早めに作るね。何時ごろに帰ってくるの?』



「20時には帰れると思う。お土産にケーキでも買ってこようか?」



『あはは、昨日も買ってきてくれたじゃん。何もいらないよ』



「そうか...じゃあいってくる」



『いってらっしゃい』





毎朝のやりとりも、恋人みたいだと思ってしまう。牧くんにドキドキしているのは、やっぱり伝えられなかった想いに引きずられているからなんだろうか、相変わらず優しくて、たまに恋人でもない私に、歯の浮くような甘い台詞を吐いてきて、しかも牧くんはいい香りが常にする。何年もしていなかった恋ってやつが、私の中に蘇ってくるみたいに牧くんと喋るとドキドキしているのが自分でもわかってしまうほど、私は高校生の頃に戻ったみたいに牧くんの事を常に考えてしまっていた。




『牧くんにまた恋するなんて、危ないなぁ...』




望みなんかないし、職と住む場所を失いたくない私は、自分の気持ちに蓋をするように牧くんの家を掃除していく。昨日は台所を掃除したし、今日はどこを掃除しよう。お給料に見合った仕事をしたいのと、牧くんの喜ぶ顔が見たくて私は家事を徹底的にやりまくっていた。窓拭きだって、床拭きだって毎日やるし、お風呂掃除のカビの取り方だって覚えたし、少しのホコリだって逃さない。それくらいの勢いで掃除はしてるけど、気になるのはやっぱり「入るな」と言われた部屋のことだった。3ヶ月間ずっと掃除をしていない。下手したら前の家政婦さんもここは掃除してないかもしれない。掃除機をかけながら入るな、と言われた部屋のドアに掃除機を移動させると、ズゴゴゴっとすごい音を立てながら、ホコリだかなんだかを掃除機が吸い取っている音が聞こえる。うわ、案の定すごい汚れてそう。




『ちょっとくらい、大丈夫だよね...』




そう思ってドアノブに手をかけて扉を開くと、どうやら牧くんの寝室のようだった。別に隠すほどのことでもないのに...なんて思いながら私は部屋に入って掃除機をかけ始める。掃除機をかけてここまで凄い音を聞いたのは初めてだった。ズゴゴゴっていう音どころじゃない。何年くらい掃除機かけてないの?ってくらいの音がする。むしろここまでの騒音を聞くと楽しくなってくる。そんな事思って牧くんのベッドに視線を移すと、なんだか小さなベルト?のようなものが転がっているのが見えた。なんだろう、と手に取って見てみると、小さなベルトが2つあって、その2つをチェーンのようなものが繋いでいた。手錠に似ているそれが、SMで使われる手枷ってやつで相手の手を縛るものなんだと、私はさすがにこの年齢で知らない訳はなくて、牧くんが入るな。と言った意味を理解した。そうか、こう言うのを見られたくなかったんだ。全然気にしないのに。なんて思いながら元の場所にそれを戻すと、ガチャリと玄関のドアが開く音が聞こえて、私はビクッと体を揺らした。




「田中、忘れも、の...」




聞こえてきた声は牧くんの声で、私は焦りと共にベッドの隙間に身を隠すようにして縮こまった。入るな、と言われた場所に入ってしまって勝手に掃除までしてしまっているんだ。バレたらクビになってしまう...なんで私、ここに入っちゃったんだろう。そしてなんで牧くんは今日に限って一度家に帰ってきたんだろう。そんなこと思いながらビクビクしていると、開けられたドアがギィッと更に開いて、ヒタヒタと近づいてくる足音が、私の心臓をバクバクとさせていく。怖い、どうしよう。このまま首根っこ掴まれて窓から放り出されちゃう。怖い。そんな事思っていたら「入ったな?」なんて声が聞こえて、本当にホラーみたいだった。




『す、すみません!掃除したかっただけで、何も見てませんから!』



「ちょっと待ってろ」




いつもより低い声で牧くんに言われて更に縮こまった私は、『はい』と小さく返事をして、その場に固る。どうしよう、牧くんが殴ったりしてきたら…私は牧くんの、雇い主のプライバシーを侵害してしまっている。そして汚れが気になって約束を守れなかったなんて言い訳は通用しないだろう。訴えられたりでもしたらどうしよう...。嫌な想像ばかりが頭をぐるぐる回って、頭を抱えてる私に、いつの間にか牧くんが近づいていて、肩をポンっと叩かれた。私はビクッと体を揺らして、牧くんを見つめる。牧くんはにっこり笑って「見たよな?」なんて私が先ほど持っていた手枷を私に見せつけた。





『はい、見ました...』



「これがなんだかわかるか?」



『わ、かりません...。』



「そうか、なら...」





「教えてやろう」なんて言って私の身体を持ち上げた牧くんが、私をベッドに放り投げて、私は『きゃっ!』と小さく悲鳴を上げる。瞬間に牧くんが私の上に馬乗りになって、私の手首を掴んだ。振り解けないほど凄い力だった。私はびっくりして抵抗できないまま、牧くんを見つめると、牧くんは私を見下すようにして笑っている。牧くんを怖いと思ったのは初めてで、なんだか声も力も、全て奪い取られたみたいに私は動けなかった。








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