「田中、今日話す時間ある?」


『ちょっと予定があるので...』


「ほな、明日は?」


『明日も予定入ってます』


「ほな、明後日」


『予定入ってます』





こんなやりとりをした後に、気づけば半年先まで予定で埋まっていた田中のスケジュールに、んなわけあるかい。と心の中で小さくツッコミを入れつつ「ほんなら予定終わってからでええから、今日俺ん家来い」と周りに聞かれないように耳打ちすると、田中は俺を見ずに首を左右に振った。「合鍵、まだ持っとるやろ。先入っとってもええから」と、言い逃げするみたいに田中から離れて自席に戻る。田中は困ったように眉を寄せながら一瞬俺を見つめて、俺と目が合うとすぐに目を逸らしながら自分のパソコンモニターに視線を戻した。田中が俺の頬を叩いたあの日以来、当たり前かもしれないけど田中に避けられていた俺は、田中と話しがしたくて仕方がなかった。部長と飲みに行って、部長の言葉で思い出したように酷く酔った時のことが頭に浮かんで、俺は田中に差し出された名刺を確認する為に足早に帰宅した。あの時の事を断片的だが思い出して俺はあんなに恥ずかしいことしておいて、なんで今の今まで忘れられたんだって思った。同時にその女子高生が田中だなんて、気付くわけないだろ、って思った。制服でもないし、化粧だってしてるし、なんなら性格だってボヤけた記憶の中にいる女子高生みたいに落ち着いている性格じゃない。なのに、何で気付くと思うんや。アホやろ。あぁ...田中はアホなんやったっけ。あの夜で断片的に覚えてることは、どうしたって消えない淳子への好きと言う気持ちを消したくて、誰でも良いから忘れさせてくれだなんて他人任せに思いながら、恋愛しようなんて知らない奴に言ったんだ。俺は「俺のこと、好きになってくれるんやろ?」なんて恥ずかし気もなく自分が口にした一言をなんだか鮮明に思い出していた。なんであんなこと言ったんやろ。そもそも、その女子高生が田中だとして、いつから俺を気にしてたんや?そんな5年も前、なんなら酔っぱらいの言葉を鵜呑みにして、俺のことを好きになってくれたんやろうか?そんなこと、ありえへんやろ。ありえへんけど、そうやないと、名刺なんか捨てとるやろ...なんてごちゃごちゃ考えながら、俺は仕事中にも関わらず大きなため息を漏らしていった。




















仕事が終わって家に帰ってソワソワして2時間くらいが経過した。田中が姿を現さないまま、このまま今日が終わるんだろうか。なんて俺が時計をチラリと見つめた瞬間にピンポーンと呼び鈴が鳴ったと同時に急いで玄関に向かうとガタッとドアポストに何かが入る音がした。「田中?」と、ドアの向こうにいるであろう人物に声をかけると『合鍵返したんで、帰ります』なんて玄関のドアの向こう側から田中の淡々とした声が聞こえて、俺は急いで玄関の鍵を外してドアを開ける。瞬間に田中の背中が見えて、俺は急いで田中に腕を伸ばした。掴んだ二の腕を引いたせいなのか田中が俺の方へ振り向いて、田中の瞳が俺を捉える。揺らいだ瞳で俺を見つめた田中の目に涙が溜まっているのが見えて、田中がそのまま困ったように眉を寄せた瞬間に田中の瞳からは涙が溢れ出るように流れていった。





「なんで、泣いとるん?」


『違っ、あ、の...ちゃんと、私...』


「アホ、ちゃんとなんて...せんでええわ」


『み、なみ主任...手、離してください...』


「嫌や。絶対嫌や」





「離さへん」と、言いながら俺は田中に腕を回して、ギュッと田中を強く抱きしめる。途端に田中が俺の胸に手を当てて、まるで抱きしめて欲しく無いみたいに抵抗を見せた。俺はそんなのお構いなしにどんどん腕に力を入れていって、田中が潰れてしまうくらいにギュッと抱きしめていく。田中は『上司と部下はこんなことしないですよ』と、途切れ途切れに呟いて、俺は「そうやな」と、覚悟を決めたみたいに目を瞑った。ここ数年、いや、フラれたあの時の事を昨日みたいに思い出せるくらい好きだった子がいて、俺はこの8年間、恋なんか全然してこなかった。今まで自分が淳子の事を言い訳にして、恋にあえて触れてこなかったのはわかってた。そのせいで恋の仕方なんて忘れたし、溢れ出る様なこの感情が、俺を現実から遠ざけてくみたいに浮き足立たせる。淳子の時以上に溢れ出てくるみたいに、俺の腕の中にいる田中のことが愛おしくて堪らない。顔も、声も、仕草も、笑い方も、全部が愛おしい。だけど言葉にうまく出せなくて、なんなら告白の仕方も忘れたし、どう言ったら田中に伝わるのかもわからない。頭でごちゃごちゃ考えていることを言葉にできない俺は、やけくそ混じりに「お前のことが、好きすぎるんやけど」なんて言って田中の頭頂部に唇を寄せた。





『え...?え?』


「せやから、『上司と部下』やなんて言わんといて欲しい」


『え?南主任...?あの...意味が...わからないんですが...』


「なんでやねん」


『え?だって、だって...忘れられない人が、居るんですよね?』


「...忘れさせてくれるんちゃうの?」


『え...?』


「俺のこと、好きになってくれるんやろ?」


『み、なみ主任...?え、何...思い出し...?』




『もうやだ、なんですかそれ』なんて言いながら俺の胸に当てられた田中の手の力が緩んで、代わりに俺のワイシャツがギュッと握り締められる感覚を感じた。俺の胸に顔を埋めたであろう田中の涙で俺のワイシャツがじわりと濡れていくのがわかって、それと同時に俺の胸がどんどん熱くなっていく。田中、田中、田中。心の中で名前を呼ぶたびにジワリと温かいような、熱くなる様な気持ちが高まっていくみたいだった。





「田中」


『なん、ですか?』


「田中...俺の」


『...はい?』


「俺の彼女になってくれへん?」


『は、い...はい...!な、ります...今すぐ』


「アホ、雰囲気ぶち壊しやないか」


『う、れしくて...』


「田中、上向いて」


『え?なん...ッ』





田中が上を向いた瞬間に、俺は田中の頬に手を寄せて勢いよく唇を奪っていった。好きや、好き。田中、田中。想いが溢れてくるみたいに俺は心の中で言い続けて、唇が離れた瞬間に、心の中から漏れた出たみたいに「田中、ほんまに好きや」と言いながら俺は田中を見つめる。田中は顔を真っ赤にさせながら少しだけ俺を見つめた後に視線を泳がせて『私も、大好きです』なんて言いながら、胸元にある手で俺のワイシャツをギュッと握りしめた。








溢れるほどに愛おしい
(田中、大好きや)





「お前、見た目変わりすぎやろ、わからへんわ」


『そ、そりゃ...努力しましたから...』


「なんでなん?」


『そんなの...南主任に...可愛いって言って欲しいからですよ...』


「アホ...そないに言われたら...」


『...ッ!な、ちょっと...!』


「我慢できへんくなるやないか」


『ちょっ、ここ外ですから...!』





Fin.
(2020/10/28)




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