「田中って、可愛いんだな」
出張当日、部長に言われた一言が俺の頭を支配してるみたいにグルグル回っていった。なんで、部長はあんな事言ったんやろ。部長は社内でも愛妻家で有名な人で、子供だっている。なんだったら社内の女子からは人気があるのに「妻がヤキモチ焼いちゃうからね」なんて言って個人から貰うバレンタインのチョコレートなんかは受け取らないらしい、と噂があるくらいの誠実な人だった。俺はそんな部長を尊敬していたし、俺もこうなりたい、とさえ思っていた。しかも部長が奥さん以外の女性を褒める言葉を、初めて聞いた気がする。仕事に関しては褒めるのを聞いたことはあっても、「可愛い」だとかそういった言葉を聞いたことがなかった。それが何で、田中なんやろう。可愛いっていうのは、行動が?年が離れているから親目線での「可愛い」なんか?考えても答えなんかでなくて、俺は胸の中がモヤモヤしていく。
「それじゃ、契約も無事に済んだし乾杯しようか」
『はい!』
「資料作りを頑張ってくれた田中に、田中を指導してくれた南に、乾杯!」
『かんぱーい!』
ざわついている居酒屋の店内で、部長と田中の声が聞こえてハッとした俺は「乾杯」と追いかけるようにビールのジョッキをカチンと当てた。「南、どうした?気分でも悪いか?」言いながら部長が俺の顔を覗き込んで、俺は「いえ、大丈夫です。それより今日は本当に上手くいきましたね」なんて無理やり笑って見せる。
「田中の資料見やすかったからな。仕事ができる奴がいるのは助かるよ」
『そんな…!ほとんど南主任が修正したものですから、仕事できるのは私じゃなくて南主任です!』
「…だってさ、南、良い後輩もったな」
「俺はもっと普通な後輩が欲しいですけどね」
『すごい普通ですよ私』
「へー、ほー、はーん。そうなんや、全然知らんかった」
「あはは、本当に南と田中は仲が良いな。」
「俺も田中と、仲良くなりたいな」なんて部長が言って、頬杖をつきながら田中を見つめているのが見えた。え?なんやねん、この雰囲気。部長の言葉に少しだけ俺と田中は黙っていたけど、田中の反応が気になった俺は、ちらりと田中に視線を移すと、田中は顔を赤らめて言葉に詰まっているのか『あ、その…』なんて言いながら口をパクパクさせている。今まで俺だけに見せていた田中の赤らんだその顔を部長に見られている事が何故だか酷く嫌だった。部長の考えてる事が分からなくて、俺だけに見せていた反応を部長にしている田中も見たくなくて、俺は酒を一気に流し込む。
「南、お前いける口だったよな」
「え?はい。まぁ…多少は…」
「ここの地酒すごい上手いんだ。飲むか?」
「あはは、そんなこと言われたら断れないですやん。是非飲みましょう」
「田中も飲む?」
『じゃあ、少しだけいただきます…』
部長の質問に小さく答えた田中に「…大丈夫なん?」と耳打ちするようにして田中に問いかけると『もちろん!飲みすぎなきゃ、いいんですから!』なんて言って田中は拳を作りながら笑った。俺は田中の反応に少しだけ眉を寄せながら「オオカミに、なるんやないで」なんて口を尖らせる。田中は一瞬考えて、理解した頃には顔がボッと赤くなっていた。俺はその反応に小さく笑って「あほ、冗談や」なんて言って田中を小突く。
「お?上司の前でイチャイチャしてんなー?」
「そんなんちゃいますやん。飲みすぎへんように注意しとっただけですよ」
「と、いうか南と田中って付き合ってるのか?」
『え!?全然付き合ってませんよ!全然!』
「…付き合ってへんけど、そんな全力で否定されるんは何か嫌やわ」
「そうか…じゃあ俺も田中の彼氏候補になっちゃおうかな」
『え!?な、何言ってるんですか!』
「いやいや、部長、奥さんいてますやん」
「あはは、そうだった。ま、幸せの形は人それぞれだからな」
言いながら酒を飲んだ部長にちらりと視線を送って、田中が部長に狙われている。つーかそれ不倫やん。なんて思いながら小さくため息を漏らした俺は、自分の手をギュッと握った。田中が不倫に走ることは多分ない。確証はないし、田中は変な奴だけど、そういう不純な行為はしないと思う。いや、俺が勝手にそう思いたいだけなのかも。そもそも俺は田中の彼氏でもなんでもない、上司ではあるがただのセフレってやつで、田中が部長を好きだったとして、止める権利は俺にはない。田中と残業している時に思った「田中の事好きなんかもしれへん」という言葉が頭をかすめて、俺はそれを拭い去るように頭を小さく振って考え事を飲み込むみたいにビールのグラスを空けていった。