Epilogue




「弔いの花は生者のために」

 そう呟く銀髪の青年が手にした花束の、白く細い花びらが風に散り、蒼穹に舞い踊った。
 帝都の城門の外、陽光に煌めくラズ河が見下ろせる丘で。片膝をつき大地に花束を捧げるカドベリー・カースル族の青年の傍ら、ウォルセヌス・アクィレイアは生命の息吹の希薄な丘陵をその蒼の目に映し出す。
 凍てゆるみ始め泥濘と成りかけている黒々とした大地に、微風にすら震える繊細なまでの白が浮き上がった。

「あの場に居合わせなければ今頃酒に呑まれていたかもしれない誰かに」

 低く響く静かな音律が風にさらわれて空に散じる。

「あの場に居合わせなければ今頃世間話に花を咲かせていたかもしれない誰かに。高らかな笑い声を響かせていたかもしれない誰かに、大切なひとを叱りつけていたかもしれない誰かに。泣き疲れて眠っていたかもしれない誰かに、威勢のいい啖呵を切っていたかもしれない誰かに」

 立ち上がるダリオ・ファルネーゼの傍らで、ウォルセヌスの唇が冷笑のような失笑のような彩りをかすかに醸し出し、その声音は自嘲めいたざわつきを生み出した。そんな傍らの青年を横目で見遣り、カドベリー・カースル族は微笑のようなものを口許にたゆたわせながら空を仰ぐ。
 わずかに細められながら果てのない上空を見つめるふたつの二藍にくっきりとした白い雲がたなびく蒼穹が重なり、降り注ぐやわらかな陽光に反った首が曝され、吹き上がる風に遊ばれたその銀髪が目許を隠すように浮き散った。
 唇だけが感情を伝える横顔は、つくりもののように、滑らかでひややかに過ぎ。

「意味を、与えてくれるのなら」

 耳に馴染まずに弾かれてしまう硬質な声音が常と変わらない穏やかな口調で言葉を紡いでゆく。

「たとえ嘘であっても、意味あるものと信じさせてくれるのなら。それに縋り依存し現実と取り違えることができるほど私は素直ではないけれど、それでも、ほんの少しだけ、救われることができますから」

 失われたものにはそれが失われるに値する理由を。失われる理由にはそれが導き出す先の救いを。
 それがいくら気休めにすぎないものであっても。
 それがいくら見え透いた嘘でしかなくとも。
 それでも。
 少しだけではあっても、生きやすくなるのだから。

「欺瞞、だな」

 自らにしか聞こえないほどのささやかな声をもって亜麻色の髪の青年は呟く。
 仮にそういったものを誰かに与えられるとしても、それによって楽になるのはいったいどこの誰だというのだろうか。
 それによって救われるのは、おそらくは、救われるべき傍らの青年ではなく――――。
 その時、片頬に鋭いあたたかな痛みを覚え、思考の円環に囚われ始めていたウォルセヌスは一瞬にしてその目を瞠る。
 胸倉を折れそうなまでに細い繊手に掴まれて身を屈めさせられている青年の切れ長の蒼の目に映るのは、柳眉を逆立てて青年を鋭い目で見据え、淡い紅を刷いた唇を引き結んだ、やわらかでしなやかな蜂蜜色の髪を結い上げたたおやかな年若い貴婦人。
 目の前にそのひとがいることが信じられずに呆然としてしまったウォルセヌスをその場に捨て置き、唐突に青年を殴りつけたその優美な貴婦人は無言のまま踵を返して立ち去ってしまう。
 呆然としたままその後姿を眼だけで追いかけ、あらゆる葛藤が綯い交ぜになった末に到達した無表情のまま、ウォルセヌスはその場に立ち尽くす。

「何をしているんです。早く追いかけないと」

 苦笑を隠すこともなく、ファルネーゼ。申し訳ないような情けないような表情を微細な表情筋の動きによってつくりだしたウォルセヌスの背中を、爛漫な笑顔のダリオ・ファルネーゼは遠慮なく押してやる。
 背後にて底抜けににこやかにひらひらと手を振るファルネーゼを首だけをめぐらせて一瞥し、ウォルセヌスは目線を前に戻す。そして、

「ティナ!」

 と、早足にその場から立ち去り続けるひとの名を呼びながら、青年は駆け出した。当然のことながら、名を呼ばれようが追いかけられようが、アルシエティナが歩を停めることはない。しかし、もとより彼らふたりの身長差をもってすれば、ウォルセヌスがアルシエティナに追いつくのにさほどの時間はかからなかった。
 アルシエティナの後について歩くウォルセヌスはどことなく必死な面持ちでかつての妻の細い腕を抱き取るように掴む。捕らわれまいと身をよじる繊細さが際立つ貴婦人を――彼女が痛みに顔をしかめ小さく呻き声をあげたにもかかわらず――青年は力任せに引き寄せた。そして、正面から抱きとめるかたちになったかつての妻の、その肩口に顔を埋める。
 硬質な亜麻色としなやかな蜂蜜色の、質感の違う細やかな糸がすべらかに絡んだ。
 身を屈める青年の肩に反らした首を載せるかたちになったアルシエティナの目に果てのない蒼穹が映りこむ。

「ティナ」

 と、わずかに困惑の滲む声が遠慮がちにどこか潤んだまろやかな大気を震わせて。

「ごめん」

 白亜の建造物を望むどこまでも澄んだ高い蒼穹と黒々とした丘の狭間。城門の前にて肩をすくめながら娘の様子を見守る父とその隣できょとんとしている菫色の目の少年と、丘の上で亜麻色の髪の青年の行動を見守る銀髪の青年との間で。
 小さな白い花びらとともに刹那にも似た時間が風にさらわれていった。

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