Epilogue


 扉につけられた小さな鐘の軽やかで澄んだ音が、白くぼやけた光がわだかまる半地下の酒場に響き渡る。

「いらっしゃいませ」

 昼間だというのにカウンター席でいっぱいになってしまうほどの狭いその店はどうやら営業中らしく、グラスを磨く店主のにこやかな挨拶とどこか気の抜けるような朗らかな笑顔がさも当然のように客を迎えた。もっとも、赭の短髪で長身の店主以外、その空間には誰もいなかったのだが。
 席に着いた丸顔の客が、一通り店内を見回した後、店主に訊いた。

「セルヴくんは?」

 グラスを磨く手を停めることなく、相変わらずののほほんとした調子で、店主は答える。

「リーザちゃんと一緒にお買い物に」

 なるほど、と、わずかに蒼の目を細めて、どこか懐かしいものでも思い浮かべるかのように、客は静かな微笑を刻む。
 灰色の曇った暗がりが店の片隅に残るその場所。高いところにある横に細長い明かり取りの窓からは、時折通行人の影が踊る白んだ日脚が光の粒子を逆巻かせながら斜めに落ちていた。

「シルウァ族の活躍に、帝都は心からの謝意を表明していますよ」

 先の帝都包囲におけるシルウァ族の帝都への援軍については、デシェルト総督府のアレン・カールトンの動きはもとより、その決定打は帝都における山岳民族の出先たる者の進言に重きを置かれたゆえであること、彼の者にそれを要請していた帝都総督をはじめとする帝都上層部ほどそれを認識する機関もない。
 この客の言に店主は蜜蝋色の目を細め、

「ご注文は?」

 その言葉などなかったかのように、店主としての言を執った。これに客は苦笑する。 
「いつものものを」

 店主は朗らかであたたかな微笑をつくり、かしこまりました、と言い置いて、グラスに氷を落とし、注文の品をつくりはじめる。鼻歌でも歌い出しそうなその横顔を眺めていた客は、

「あぁそうだ」

 と、思い出したように、短い指を一本、ぴんと立てた。上体を捻ってそちらを見遣る店主に、客は太陽が輝いているようなはちきれんばかりの笑顔を浮かべ、

「同じものを、もうひとつお願いします」

 と、注文を追加した。
 琥珀色の液体が満ちたグラスのひとつを持ち、隣のカウンター席に置いたもうひとつのそれと合わせてささやかな乾杯をした後、笑みのかたちだけを描く唇で酒を嘗める。
 酒を嘗める客の背中と、無言のままグラスを磨く店主。
 静寂が蟠るその場所には、時折、硝子と氷の奏でる鋭利な煌きが響き。
 その涼やかな大気の震えは、ぼやけた光に融けていった。 

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