Chapter 5
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「我々が忠誠を誓う相手にあの者が相応しいとでも?」
かつて、ノヴァスコシアという土地で邂逅した兄と弟が交わした会話がある。
「ウォルセヌス、お前はそんな小物ではないはずだ。あのような愚者に仕えるような、そんな器ではないはずだ。先日の集いに立ち会わなかったことは水に流す。だからこそ私の口から述べよう。私の許に来い」
そうして差し伸べられた異母兄の手をウォルセヌスは相変わらずの無表情で見つめる。
「それは、できない」
わずかな沈黙の後に零された答え。
「なぜ躊躇う。領主が領民を護り領地を護るように、皇帝は帝国の繁栄に資する存在であるべきだ。それがどうだ。現状においては先の戦乱期から立ち直ることはおろか、不可侵であるはずの諸侯の領域にまで踏みこんでいる。内情不安定を自ら誘発する愚行の皺寄せがどこに行くのか、その行く末は――――私よりも市井で幼少期を過ごしたお前の方が肌で感じているはずだ。我々の存在に求められるもの、それを実現するという責務を果たしてこその権限。皇帝の存在はそれに酷似したもののはずだ。現在の皇帝は、護るべきものを護れていない」
精悍な顔立ちの中の意志を湛えた蒼の目に、感情をゆらめかさない冷徹さしか見て取ることのできない切れ長の蒼が映りこんだ。その無感動な目の持ち主が、薄い唇を持ち上げる。
「それでは現状における安定はどうなる? 現状だからこそ辛うじて均衡を保てている関係はどうなる? 理に適っていないという理由で現状における安寧をことごとく奪い去ることには、私は同意できない。それがいかにそれを見る何者かの目には醜悪なものとしか映らないとしても、帝国の安定と安寧に資する限り、私にはそれを廃するすることなど、できない」
兄の冷えた熱を宿す蒼の目が鋭くなり、
「それがあの女帝だというのか?」
弟は淡白な様のままわずかに目線を上げた。
「皇帝はある意味において帝国そのものだ」
そして。
「皇帝が帝国で在る限り、陛下が帝国として立つ限り。私が私の立ち位置を変えることは、ない」
この言葉こそが、過ぎたる日における決裂の合図。
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