Chapter 5




 やわらかな陽光が降り注ぐ凍てついた大気。どこまでも果てのない蒼穹がその大気に透けている。
 帝都の東。分断されていた自軍をひとつに纏め上げ、カトゥルス・アクィレイアが一点集中攻撃を命じた。その動きを予見したウォルセヌス・アクィレイアが側面から兵を集める間もなく、帝国軍は包囲の一部を突破される。ウォルセヌスは方向転換を命じ、オルトヴィーン・ヴァースナーとヴァルター・ヘルツォークは更なる追撃をと麾下の兵を鼓舞する。
 帝都の西。勢力拮抗のまま時は過ぎる。味方に檄を飛ばしながら襲い来る剣を受け流し躱すヨハン・ラングミュラーの目に、剣戟と混沌の向こう、この戦場における諸侯連合軍の主格司令たる大傭兵――イングベルト・ヴァースナーの姿が映った。腹を槍で抉られた馬が暴れ、手綱を握り直そうとしたラングミュラーの片手が血にぬめり滑る。落馬しかけたラングミュラーの隣に馬を寄せ、フレデリック・リヴェロが馬主の代わりに手綱を握った。傾いだ身をリヴェロに預け、辛うじて落馬を免れているラングミュラーが、

「すべての剣をあの者に!」

 手にした血の滴る剣をただ一点に向ける。
 帝都の東、錯綜する敵と味方。

「カトゥルス・アクィレイアを叩け!」

 諸侯連合軍の後背を追い立てるオルトヴィーン・ヴァースナーが叫ぶ。反転を命じるウォルセヌスの視界の片隅、蠢く騎馬と兵との向こう側を麾下の兵とともに疾駆する騎兵。その厳然とした姿を捉えたまま馬首をめぐらせたウォルセヌスの脇腹を槍が薙ぎ、驚いた馬が前脚を蹴り上げながら嘶く。愛馬を宥める馬上の帝国軍司令官を貫こうと再度繰り出された槍の軌道にひとつの人影が馬を馳せ、右肩を貫かれながらも槍の使い手の腕を斬り飛ばした。

「ファル・・・っ」

 一瞬だけ、亜麻色の髪の青年の、戦況を見据えていた冷徹な蒼の目がゆらぐ。己の息子と同じほどの年齢の主をその淡い藍の目に映し、カドベリー・カースル族のその従者はやわらかく微笑した。落ち着きを取り戻してきた主の馬の手綱を横から繰り、パオロ・ファルネーゼはその意図をもって馬を駆けさせ、剣と槍の追撃から主を引き離す。
空に散じるは剣戟と喊声。うねり流動する人海の中、肩口より溢れる血潮は大地に滴り落ち、その肉は鋼によって切り刻まれる。
 帝都の西、馬蹄に撒き散らかされる血と泥濘。
 血が流され続けるその大地で、立ちはだかる者を斬り伏せ繰り出される剣を受け流し、馬上のユベール・ギィはさほど離れてもいないある一点を目指して戦場を駆ける。流れ矢に中ったヨハン・ラングミュラーの馬が暴れ出し、投げ出されたラングミュラーを抱えるようにして支えたフレデリック・リヴェロも襲い来る攻撃を躱し切れずに落馬する。近衛の紅を庇うように泥に蹲った傭兵の背中に幾本もの槍が突き刺さっていった。
 がきり、と、刃と刃が噛み合わさる鈍い金属音が凝る。

「お前は・・・」

 剣と剣を交差させている傭兵の片割れ、イングベルト・ヴァースナーの目に諒解の色が広がる。それらの鋼は力と力の激突によって一度弾かれ、再び同じ位置に戻る。

「怨嗟か?」

 と、どこか愉しげに、兄の側近として顔を見知っていた名も知らぬ男にイングベルトが問うた。

「オルトヴィーンの脳裏に自分の存在が微塵でも残っているなどと思っていたのですか?」

 それはまた思い上がりも甚だしい、と、得物を引いたギィは失笑する。

「名誉なことでしょう?」

 と、笑みのかたちを描く唇が嘲弄を撒き。

「無名である何者かの手にかかることができるのですから!」

 馬を繰り傭兵隊長の懐に潜りこみ、ユベール・ギィはその腹に己の剣の柄までをも食いこませた。
 帝都の東、混迷の極み。得物を追い立てるのは隻眼の老将。再度包囲を試みて兵を展開するウォルセヌス・アクィレイアとオルトヴィーン・ヴァースナーの指揮下にある兵の間隙を縫うようにしてヴァルター・ヘルツォーク率いる隊が疾駆する。
 ラズ河の畔にまで到達したカトゥルス・アクィレイアは突如の反転を見せ、

「ラヴェンナ・ヴィットーリオ・エマヌエーレを、オルトヴィーン・ヴァースナーを。ウォルセヌス・アクィレイアを、奴ら佞奸の徒を討て!」

 追撃の手を緩めない帝国軍に正面から対峙した。
 渦巻く激流に逆らいながら剣を振るう諸侯連合軍に、瀑布のごとき勢いをもって帝国軍と市民軍が踊りかかる。逆巻く彼らは咆哮と剣戟を撒き散らし、呻きと苦悶は斬り伏せられ、具足に馬蹄に踏み潰された。
 陶酔と恐慌の狭間で揺れ動く麾下の者を鼓舞し、ただ馬に地を蹴らせながら行く手を塞ぐ兵を薙ぎ払い続けるオルトヴィーン・ヴァースナーの視界が、須臾の間だけ、拓ける。
 その一瞬に大傭兵を迎えたのは、晴れ渡った蒼穹と、ひとりの青年の太い笑み。

「所詮は薄汚い金の傀儡か」

 これに大傭兵は心底愉快そうに笑う。

「報酬さえ確かならば引き受けた依頼は確実にこなしてみせるさ。それが傭兵というものだ」

 帝都の西、空の蒼に溶ける稜線。
 剣に貫かれた傭兵の身体がゆっくりと傾ぎ、その剣が抜かれると同時に地へと落下する。
 そこここで繰り広げられる血と泥の乱舞は司令官不在だからといって収束することはなく、ほぼ拮抗状態のまま確実に規模を小さくしながらも干戈は続き、やがて帝都を護る者たちはその背の間近に白亜の都市を庇うかたちになった。
 それでも降伏を知らない彼らに、諸侯連合軍は最後の猛攻をかける。
 自らの身を帝都の盾とし相対する彼らの目に、蒼穹に霞む稜線の手前、漆黒の大地がうねるように鳴動している様が映りこんだ。敵の援軍かと絶望に沈みかけた彼らは、多くはためく諸侯の軍旗の中に漆黒に金糸で縫い取られた天秤と剣の紋章――ヴァルーナー神教の標章――の旗を捉える。

「オルールク騎士団!」

 先のヴォルガ河防衛戦にて帝国国教会につくことを表明したヴァルーナ神教カテル・マトロナ派の宗教騎士団たる彼らは紛うことなき教会に属するもの。それはその場に満ちていた絶望を希望へと転じさせ、結果として、挟撃された諸侯連合軍はほどなく殲滅される。
 帝都の東、蒼穹に白く透ける太陽。
 陽光を弾きながら繰り出されたオルトヴィーン・ヴァースナーの剣は彼とカトゥルス・アクィレイアとの間に割りこんできた騎兵に阻まれそのまま刃を合わせる。陽の翳りを感じ取り剣を振るいながら馬首をめぐらせたカトゥルス・アクィレイアの背後に回りこんでいたヴァルター・ヘルツォークが馬を繰り跳躍させ高い位置から剣を振り下ろした。二本の剣は一瞬だけ交錯し、高い金属音が弾ける。馬を引いて距離を取り体勢を立て直す彼らが再び剣を交えることはなく、カトゥルス・アクィレイアは先陣を切って敵軍へと突き進んでいった。
 その行為に眉をひそめたヘルツォークは、噎せるような血臭に紛れたかすかな火薬の香を嗅ぎ取り、カトゥルス・アクィレイアが一旦城門から離れ河畔にて反転したことの意を悟った。

「砲撃!」

 怒号にも似たヘルツォークの警告は、大地を揺るがし大気を轟かせる砲声に消されてゆく。
 諸侯連合軍の司令官を追って引き寄せられていた帝国軍と近衛軍そして市民軍は、白亜の帝都に向かって突撃を開始したカトゥルス・アクィレイアを援護するようにラズ河の対岸から降り注ぎ土を人を抉り穿つ砲弾の雨に晒され、市民軍を構成する者をはじめとして混乱の漣が広がり始めた。その不安定さをオルトヴィーン・ヴァースナーの一喝が払拭する。

「何をしている。奴を倒せば盛大なる勝利の宴はすぐそこだぞ!」

 目に冴えるような蒼い空を、閃光のごとき白を振り撒きながら鳩が横切っていった。
 静かなだけの切れ長の蒼の目に映る、その進路を塞ぎ追い縋る兵の胴を薙ぎ腕を飛ばしながら進んでくる男の姿が次第に大きくなる。だが、その男がその目の青年の許に辿り着くことはなく、男は馬の脚を射貫かれて馬上から引き摺り下ろされ、地上にて向かい来る敵を屠りながらも終には四方八方から襲われて剣や鋤や鍬をふるう者たちの下に埋もれていった。 
 高く高い蒼穹の下、地を這い蠢くひとびとの干戈が収束するまでには暫しの時間を要し。
 静寂がその場を満たす頃、世界は余すところなく艶やかな斜陽の銅に濡れていた。

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