Chapter 5
その場所からは帝都の東に広がる平地が皮肉なほどによく見渡せた。
遠くに横たわる稜線と、その手前に布陣された反皇帝を掲げる諸侯の連合軍と。
そして、反逆の矛先を向けられているはずの当の本人は紅を刷いたその小振りな唇にゆるい弧を描かせる。
ティエル第七層。帝都で最も高いところに位置し、かつ、総てを見渡せる、白亜の城の精緻な装飾が施されたテラス。そこに置かれた椅子に、硬質な短い緑髪を吹き抜ける風に好きなように遊ばせ、しなやかな体に漆黒の衣を纏った小柄な若い女が腰掛けていた。その背後に控えるのはふたりの男。真っ白な短髪と真っ白な長い眉毛の、穏やかな面持ちの初老の男――帝国宰相メルキオルレ・マデルノ。白いものが混ざり始めた髪を後頭部でゆるくひとつに束ねている、尖った顎と細い目を持つ、黒の僧服に身を包んだ壮年の痩せた男――ヴァルーナ神教ファウストゥス派枢機卿長アルノー・アルマリック。
長い睫毛に縁取られた、つくりの甘さを裏切ってなぜか酷薄なまでの鋭さを感じさせる女の蒼の目が帝都の東から西に転じられる。脚を組んで優雅に椅子に座る女の肩には、一羽の白い鳩が留まっていた。
瞼を落とし、女は唇を持ち上げる。
「夜が明けるわ」
響いたのは、まろやかで透明な、あたたかでも冷ややかでもない、耳にした者にはどことなく近寄りがたさを覚えさせるような澄んだ声音。
細い指に鳩を留まらせ、女はゆるゆると緩慢にその瞼を持ち上げた。
「ついに動き出しますか」
宰相のこの言葉に、
「それはどうかしらね」
悪戯っぽく微笑しながら女は立ち上がる。
帝都の東、夜明けの鮮烈な陽光の下。帝都を囲む諸侯連合軍の陣形が、乱れた。
「流石はウォルセヌス・アクィレイア」
女の唇から感嘆の吐息が零れ落ちる。
稜線の彼方より現れた一軍が連合軍の背後を叩く。それに呼応するように帝都側から近衛軍が――高地から低地へと――正面から一点に集中して連合軍にぶつかり、その勢いのまま連合軍を分断、連合軍の背後を叩いた一軍と合流。連合軍と接している兵は白兵戦を、接していない兵は左右に展開。エセルバート・ガートナーの指揮により近衛軍の一隊が動き出すと同時に城門が開き、彼らの開いた血路を城壁の内側にて城門前に待機していたガートナー指揮の部隊とは別の部隊が雪崩れこむ。そして、同じく城門内に待機していた市民軍が城壁に沿うように広がった。
「そして、オルトヴィーン・ヴァースナー」
立ち上がった女はテラスの淵に歩み寄り、その指先に鳩を留まらせたまま、眼下で展開される光景をただ静かに見つめる。
シュタウフェン帝国第五三代皇帝――ラヴェンナ。黒以外の色彩を滅多にその身に纏わないことに由来する異名は漆黒の女帝。
す、と、女帝の細い腕が持ち上げられた。その繊手に留まっている鳩がその場で数回羽ばたく。
そして。
「確かに事態は動き出したわ、マデルノ卿」
その指先から飛び立ち、蒼穹に吸いこまれてゆく鳩の白を女帝は目で追う。
「だけど、膠着状態に一石を投じて動きを生じさせたからといって、必ずしも事態が解決するとは限らない」
肩越しに背後を振り返り、女帝はからかうような声音で言葉を紡ぐ。
ほんの少しだけ、可愛らしく小首を傾げながら。
「ねぇマデルノ卿。貴方、思いあたる節は、ない?」
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