Chapter 5


「大した役者だ」

 落ち着き払った声に、ぎし、という椅子の革が軋む音が混じる。 

「その言葉、そっくりそのままお返ししましょう」

 どこに短剣など隠し持っていたのだか、と、ふたりが出て行ったことを確認するために背後を振り返っていたシャグリウスが、わずかに上体を捻り、あたたかな蝋燭の灯の中でやんわりと微笑した。

「だが、愚か者でもある」

 青年の力なく垂れる血の滴る指先を眺めながら、呆れたように、アロルドが唇を歪めた。シャグリウスは小さく笑い、華奢な肩を軽くすくめる。
 やわらかな闇を四隅に残す部屋の、ぼんやりと明るい燭台の周辺。椅子に座る公爵と、その正面に立つ大司教。プラチナブロンドが灯火の橙に鈍く艶めく青年の長い睫毛が、ほのかな微笑にゆるむ頬に影を落とす。

「親子ですね」

 と、青年が言った。

「貴方のご子息も、かつて、同じことをしたことがあるんです。相手も意味合いも違いますが、同じことを。そして、結果は同じように未遂。それでも、実行に移すには相当の覚悟と勇気が要るはずのことを、やってのけてくれる」

 賞賛と困惑とが綯い交ぜになった青年のほのかな苦笑に、カルヴィニア公爵は当然の疑問を呈した。

「その相手とは?」
「アクィレイア子爵ウォルセヌス」

 自らの異母兄でありカルヴィニア公国にとっては宿敵とさえ言える人物の名を、さらり、と、青年は撒く。
 言葉を失う公爵に、

「どういうおつもりです?」

 と、まったく話の異なる問いを、青年は投げる。一瞬にして冷ややかさを纏った青年のその問いに、公爵は疲れたかのように小さく息を吐いた。

「傀儡とされるよりは幸福か、と、あの一瞬、そう思っただけだ」
「それを決めるのは貴方ではない」
「だが、それは君が決めるものでもない」

 穏やかに見上げてくる公爵に、そんなことは解っていますよ、とでも言いたげに青年は押し黙った。その少しだけいじけたような様に公爵は透き通った優しくやわらかい笑みを浮かべる。それはリラがよく浮かべる控え目な笑顔とよく似ていた。

「君は聡明だ。冷静にして犀利。七光りだけでその地位にいるわけではないことは、よく解る」

 じじ、と、蝋燭の芯が音を立てた。

「だが、愚か者で、甘い」

 アロルドの笑みが、深くなる。

「おそらくは、これから公国は今以上に帝国に呑まれるだろう。そして、帝国がカルヴィニア公爵として立てるに最適な人材といえば、リラほど申し分のない存在もない。公爵家の正統な血筋にして留学という帝国の洗礼を授かった者――あの子はそういった存在だ。君がいくらあの子を庇護しようとしたところで、行き着く結果は変えられない」
「ですが、今は、他ならぬその帝国こそが、存亡の危機に瀕している」

 帝国貴族であれば胸中に秘めることはあれ口が裂けても言わないであろうことを、シャグリウスは淡々と述べた。これにアロルドが瞠目する。そして、暫しの後、高らかに声をあげて公爵は愉快そうに笑った。かまわずにシャグリウスは続ける。

「ゆえに、現状において公国が気にかけなければならないのは帝国よりもアレスの去就。違いますか?」

 青年を見遣る菫色の目には笑いの余韻。

「帝都が落ち着くまでは私の身ひとつすら君にはどうすることもできない。なぜなら皇帝の意を仰ぐことすら叶わない上に、皇帝の意でしか私をどうすることもできないからだ。違うか?」
「違いませんね」

 ふわり、と、シャグリウスは微笑する。

「ですが、私は教会に属する者」

 帝国ではなく、教会に。更に言うなれば、神の理に身を委ねる者。
 ぎしり、と、椅子の革が軋む。それは公爵が身じろぎしたことによるものではなく、青年が公爵に覆い被さるようにして椅子の背に手を置いたことにより発したもの。
 蝋燭の不安定な灯が青年の横顔を濡らす。

「条件さえ整えば、教会はリラ・コトゥスの後ろ盾となることを、拒否はしないでしょう」

 漣のごとく朱金の艶やかな光沢を放つプラチナブロンドが飾るかたちのよい唇が、公爵の耳許で、ひとつの囁きを落とした。
 瞬きすることも忘れて手に力を篭める公爵をその場に残し、ひっそりとした華やかさを纏う大司教はゆったりと踵を返す。
 大司教が立ち去った独房で、染み渡るように周囲を照らす燭台の傍ら、

「狐が」

 ひとり静かに笑み、アロルドは呟いた。

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