Chapter 5




 剣をもって騎士を圧する青年の背に振り下ろされた剣は、青年と襲撃者との間にその身を滑りこませた者――青年の率いる傭兵隊を構成するひとりによって軌道を防がれ、金属の擦れる音を撒き散らす。軽装で漆黒の襲撃者は小さな舌打ちとともに鎧に身を固めた傭兵の脚を狙って得物を走らせ、身体の均衡を崩し雪に呑まれて身を護るはずのその防具の重さによって起き上がることのできないでいる傭兵の鎧の隙間を正確に突いた。

「お互いがお互いを誘き出す餌にはもってこいだったわけだ」

 逆境をすら笑い飛ばすような騎士の声音。一瞬だけの空隙。それまで腕のあった場所で幅広の刃が細身の剣を弾く。

「大司教はどうしていると思う?」

 周囲では剣戟。そして潤んだ風に運ばれて漏れ聞こえる惨劇を耳に、圧しているはずの騎士の剣をそこに留め置くために更に腰を落とした年若い傭兵は楽しげにうっすらと笑んだ。

「純粋たる神の走狗たる騎士団に金で動く異分子を持ちこんだ張本人。だが、その真意はおそらく捨て駒に異教徒を使うということ。自らの手を汚さずにすべてを手に入れようなどとはなかなかの業突張りだが、さて、その大司教は、今、どうしていると思う?」

 この傭兵の問いに、騎士はおどけたように片眉を上げてみせる。

「業突張りはお前も似たようなものだろう? どうして隊を率いない? 報酬の取り分を増やすのはいいだろうが、目の色が違う輩は朋友であると同時に捨て駒でしかないのか?」

 傭兵の目がかすかに笑みを含む。うっすらと、騎士は嗤った。

「あいつなら今頃それこそ非の打ちどころのない大司教をやってるだろうよ。自分自身が微塵も信じていないような世迷い言を平然と謳いながら人々に救いと安らぎを与える現世の聖人を、な」

 不変不動のものとして在り続ける蒼穹を背に、騎士からは逆光となる立ち位置で、傭兵は嘲弄にも似た何かを漂わせる。血に濡れた剣の向こう側にある傭兵の蒼の目をしっかりと見据え、深くゆるく、騎士は笑んだ。

「馬鹿らしいだろう? 自分が信じられないようなものを他人に提示して、それを信じることで救われろ、と、要するにあいつが言ってるのはそういうことだ。だが、それがあいつの役目。ここで俺たちが剣を振るうように、あいつは聖堂で一時の救済をばら撒く。それこそが、大司教の役目さ」

 傭兵の剣が浮き、傭兵はその一瞬に体勢を立て直そうとした騎士の身体に自らの身体をぶつけてその背を壁に叩きつけ、鳩尾に片膝を入れ、肩を押さえつける。片腕にて振り上げられた傭兵の剣は眩い陽光を弾き、かろうじて騎士の指が絡むその剣は自重にて雪にその身を沈めた。
 躊躇いなく閃光のごとく振り下ろされた剣が騎士の胸を貫く。

「――――そして、俺は騎士だ」

 目が痛むほどに透き通った高く高い蒼穹を仰ぎながら、騎士は笑む。

「護ろうが護らなかろうがどうでもいいようなものを護る騎士だ。それを骨の髄から奉じながらも、それが消失するならば別の何かがそれに取って代わるだけだと自覚している、敬虔とは言い難い騎士だ。だが、それを護ることが誰かの信じられるものや縋りつくものを護るものである限り、俺は理の体現者として剣をもって陰惨と暗澹を生み出し、この信仰をもってそのすべてを奇麗事に変えるだろう。それが俺の矜持であり・・・・・・ま、要するに、俺が恥ずかしげなく厚顔にも振りかざす誇りとやらはそんな阿呆らしいものでしかない」

 不敵に笑う騎士の鼻腔を擽るのは、紛れもない己の血の香。

「だがな、いくらこの身が理の女神の婢にすぎないとしても」

 乱れた呼吸は喘ぎに近く、紡がれる言葉は呼吸音に紛れ、それでも騎士はどこか得意げに傭兵を睨めつける。

「価値を見出せないものに縋ろうとするほど」

 力なく柄に添えられていただけの騎士の指が、雪を掘りこんで巻きこみながら固く固く得物を握る。

「これっぽっちも意味を見出していないようなものを信じようとするほど」

 苛立ちのようなものが傭兵の顔を過ぎった。現世における万人に判りやすい価値の指標を行為の対価として振る舞う集団に身を置く者であり、また、縋ることの無力さも祈ることの無意味さも信じることの不確定さも知り尽くしている青年にとって、眼前にて満身創痍で血に塗れている騎士は、本能的に感受しにくい、いささか理解に苦しむものでしかないのかもしれない。

「この身を懸ける気にもならないようなものを護ろうとするほど」

 引き抜かれる剣の軌跡を追って噴き出す己の血に視界を奪われながらも騎士は剣を突き出し。

「俺はお人好しじゃないんだよ!」

 跳び退いた傭兵の胸と背中を二本の剣が刺し貫く。
 仰け反り瞠目した傭兵の背に己の身を密着させ、オルールク騎士団団長デルモッド・リアリはその剣を柄まで肉を食ませて抉り、引き抜く。頽れる傭兵の身体を片腕を回して抱えながら、漆黒の騎士は得物を傭兵の骸に預けたまま力無く腕を落とした青年に眼を遣った。

「恩に着る」

 と、荒い呼吸を隠すことすらできない己を自嘲しているのか苦悶の切れ端なのか、騎士は唇を歪めながらも謝意を表し、空を仰いだ。崩れかかった壁に背を預けて空を仰いでいる青年の蒼の目にはせせら笑うようなからかっているような余裕に満ちた何かがたゆたっている。
 吹き抜ける風はどこか優しく潤んでいて、地を伝わる蹄の震えも具足の軋みも、叫びも剣戟も慟哭もすべてが遠い。
 血の気を失った騎士の唇がかすかに震え、何か、言の葉を撒いた。大気を震わせることなく紡がれたそれは音として顕現することはなかったが、満足そうに目を細め、水底に身を沈めるがごとくゆったりと騎士は瞼を落とす。
 天空に広がる穏やかな蒼穹は高く遠く澄み切っていて、触れれば砕け散ってしまいそうなまでに張り詰めて儚く。
 そして、どこまでも美しかった。

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