Chapter 5




「おかしい」

 騎乗にて兜の中からヴォルガ河を見据え、後方にて待機していたサーレ・ニールセンはひとり眉をひそめる。その頭上に広がるのは、吸いこまれてしまいそうなどこか平坦な蒼穹。

「随分と身軽ですね」

 陽光の照り返しが目を眇めるほどに眩い雪原で、片手に細身の剣を携えたフォルトゥナート・ヴァースナーは呆れたようにかたちのよい唇を歪めてみせた。

「そりゃあ、鎧は重いからな」

 幅広の剣に陽光を弾かせるジョゼフ・キャンティロンは常の調子でにやりと笑う。
 わずかな重心の移動にすら、足許の雪が軋んだ。

「大丈夫ですよ」

 と、こんな身勝手な励ましはもしかすると相手を傷つけるだけかもしれないと半ば脅えながら、誰よりもそれを発する本人が何の根拠もないと解りきっている言葉をラシェル・ブランシェは口にする。
 騎士団本部の最上階の窓辺、ヴォルガ河を見据え続けている小さな少年がゆっくりと背後を振り返る。
 剣戟も嘶きも、罵声も悲鳴も怒号も、少しだけ離れたところで水の流れをすらうねらせるそれらが嘘のように、少年と秘書官しかいないこの部屋に満ちる大気はどこまでも静謐で。

「僕が憎くはないんですか?」

 とても不思議そうに少年は首をかしげた。
 公国と対峙することで、騎士団はいったいどれだけのものを喪ったのだろうか。
暫しの沈黙の後、あえてそういったことを考えないようにしていることは否定しないけれど、と、前置きをして、ラシェル・ブランシェはわずかに目を細める。
 そして。

「でも、私は、リラくんが笑っていてくれると、それだけでとても嬉しいから」

 これにきょとんとしてしまった少年を見つめながら、静かに、ただ静かに、理の女神の婢はそれこそ蒼穹の如く透きとおった微笑を浮かべた。

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