Chapter 5




 ファウストゥス暦422年、デケンベルの月の第8日のヴォルガ河における戦いは、午後に至っては砲撃戦となり、決着がつかずに夕刻を待たずして終わる。翌9日、城壁が崩れそうなまでの積雪と強風、そして視界を封じる吹雪のため、緊迫と焦燥を引きずったまま時間の経過だけを待つ。
 そして、ファウストゥス暦422年、デケンベルの月の第10日。
 抜けるような蒼穹。やわらかな冬の陽光を雪が弾き、目に痛い。
 まるで慈雨のごとく祝福が降り注いでいるような快晴に恵まれたこの日の早朝、シルザ側の城壁にて、爆音が轟いた。現場に駆けつけた歩哨に先日の風雪に紛れて決死の渡河を遂げ城壁を爆破した公国兵が攻撃、また、城壁の下に布陣していた公国兵が投石を開始。シルザ領に警鐘が鳴り響く。

「やられたか」

 と、特に動じることもなくフィアナ騎士団団長ベルトラン・ダン・マルティンは舌を打った。どことなく雪に潤んだ風が吹き上げる見張り台からは河の様子がありありと見て取れ、同時に味方の布陣もありありと見て取れる。

「カルヴィニア公爵アロルドが直々に」

 その報告を耳にしたベルトランは一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情をした後、

「すべては可能性の裡に、か」

 ぼそりとそう呟いて踵を返し、その背に翻る騎士団の紋章が金糸で縫い取られた天鵞絨をはためかせながら、居並んでいるであろう理を体現する騎士たちの許へと歩を進めた。
 ファウストゥス暦422年、デケンベルの月の第10日。この日の戦いは、早朝の城壁爆破にはじまり、城壁を破ろうとする公国と城壁を護ろうとする騎士団が激突。城壁の上から振り下ろされる槍や剣、そして降り注ぐ炎に公国軍は一時撤退。公国軍が河の中洲にて陣形を整えるその間に、フィアナ騎士団が城壁の下に布陣する。
 ベルトラン・ダン・マルティン率いる騎士団とカルヴィニア公爵アロルドが率いる公国軍が正面から衝突しているその時――――。

「いい風だ」

 晴れ渡った蒼穹を見上げながら、雪に凍てゆるむ風にブルネットの髪を遊ばせて、ジョゼフ・キャンティロンは心地よさげに目を細めた。
 天空を統べるのは鮮烈な蒼。透明な氷を覆うのは世界を灼き尽くす白。所々が砲撃によって崩れ落ちた城壁の、その向こう側で刃と刃が火花を散らすその内側。どこか遠い剣戟と雄叫びにも似た鳴動とを耳に、薄幕のごとくたゆたう静寂に包まれて神の騎士は立つ。
 きし、と、雪が軋んだ。
 空を仰いでいた鎧を纏っていない騎士が、目だけを動かしてその音の主を見遣る。
 そこに立っていたのはしなやかな体躯を甲冑で包んだ長身の青年。鳶色の短髪を風に遊ばせながら、呆れ果てているような小馬鹿にしきっているような曖昧な表情をしながらその青年は騎士へと近づいてゆく。のんびりと散歩でもするように歩み寄る青年のその手がさりげなく腰に佩いた剣の柄に添えられていることに気づき、ジョゼフ・キャンティロンは愉快そうに目だけで笑った。
 擡げていた首を戻し、ゆったりと、降り積もった雪を軋ませながら騎士は青年と相対する。

「いい風だ」

 と、再び騎士は同じ言葉を正面から青年に投げた。青年――フォルトゥナート・ヴァースナーは、無言のまま、理解できない、といった表情をしている。そんなフォルトゥナートをまっすぐに見据えて苦笑しながら、

「そうは思わないか?」

 残像が残るほどの蒼穹の下、しなやかで不敵な笑みを湛えたまま、ジョゼフ・キャンティロンはゆっくりと剣を鞘から抜いた。

- 154 -



[] * []

bookmark
Top
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -