Chapter 5


「法も常識も、慣習も思想も迷信も、多くの人々がそれなりに摩擦なく生きてゆくためには必要なものだ。だけど、それらが当然とされるのは、ある一定程度の範囲に限られる」

 それが違えば行動が変わる。行動が変われば衝突が起きる。何をもって納得するか、その大枠があまりにも違うのならば擦れ違いが生じない方がおかしい。

「カテル・マトロナ派とファウストゥス派はこの大枠が異なるんだ。どちらが正しいわけでもどちらが間違っているわけでもない。そんな判断は下せるようなものでもなければ無意味なものでしかないし、その観点を採ろうとするのなら、どちらも間違っていてどちらも正しいとしか言いようがなくなる」

 瞬きを繰り返すリラ。シャグリウスは少しだけ目を細めてみせる。

「だからこその不和だよ。どちらが正しいわけでも間違っているわけでもない。にもかかわらず、どちらかがどちらかに呑みこまれるのなら、呑みこまれた方は――相手と同じものにならない限り――徹底的に殲滅されることを覚悟しなければならない。そうでなければ呑みこんだ方もその枠そのものが成立しないんだ。そんなことになったら、あとは消滅するしかない」

 極論ではあるけれどね、と、シャグリウスはあえてやわらかに微笑した。直接的な要因は歴代皇帝のカテル・マトロナ派の迫害にある、とも付け加える。

「帝国は皇帝を至尊とすることで成立する。嘘でもそう宣言できなかった彼らは――その教義からしてできるわけもないのだけれど――帝国においては不穏因子でしかなかった。そして、フィアナ騎士団がカルヴィニア公国と刃を交えて退くわけにいかないのも、似たような理由ではある」

 心なしか目の前の少年から眼を逸らしたシャグリウスの口から零れた言葉に、びくり、と、リラが小さく肩を震わせる。光の加減によって色彩がゆらぐ目で、青年は己の組んだ指だけを縋るように見つめ続ける。

「私は、おそらく、取り返しのつかないことをする。いや、私は、もう既に、取り返しのつかないことをしている。どんなに言葉を尽くして態度で示したとて、贖えないようなことばかりを、私はしているはずだ」

 それが誰に対してのどのようなことであるのか。それを明確にしないのは、常に毅然としているように見える青年の、ささやかにして決定的な逃げなのかもしれない。
 かたちのよい唇が歪む。それは、冷笑と失笑と嘲笑が綯い交ぜになった、ほのかな微笑。
 喚くことを自らに許さないこの人は、まるでそれが罰であるかのように、自らに平静を課すのだろう。
 菫色の大きな目に、つよいだけの色彩が湧く。

「それでも、ぼくは、ここにいるしかないんですよ」

 わずかに目を細めた静かな微笑ともに響く声音はどこまでも優しくて。

「すまない」

 と、無意識に零れた言葉に青年は嫌悪感を抱く。
 謝罪という偽善も、懊悩という自己満足も。それがそれでしかないと自覚し赦されることを脅えながら、身勝手な罪悪感に蝕まれつつ、それでも青年は正面から少年に微笑みかけた。綻んでしまう目許を隠すことなどできなくて。普段と変わらない少年の笑顔にどうしようもなく救われたような心地に陥る自らを叱咤しながら。

- 144 -



[] * []

bookmark
Top
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -