Chapter 5


「リラはどうなる?」

 ぽつりと零された問いに、シャグリウスの動きが停まった。座ったまま片腕をつき、身を捻ったジョゼフが正面からシャグリウスを見上げる。

「あいつは大事な人質だ。カルヴィニア公国が、大切なはずの、人質だ。その意味に限って言えば、帝国にとってでも、ましてやフィアナ騎士団にとってでもない。公国にこそ、動くことを躊躇うほどの価値があるはずの、人質だ。違うか?」

 落とされた眼とわずかに引かれた顎が、それへの肯定を示す。俯く青年の表情を隠すように、ゆるい巻き癖のあるやわらなかなプラチナブロンドの髪が流れた。
 もしもカルヴィニア公国の主が挿げ代わり、それを理由としてフィアナ騎士団に戦いを挑むのなら――――人質たるリラ・コトゥスは今度こそ本当の意味で公国に捨てられたことになり、そして、帝国が人質を生かしておく必要はなくなる。
 利用価値のある何かでなければ生きることができないとするのなら、人質としての価値を失ったその時点で、リラ・コトゥスが生きることを当然としていることは、もはや出来ない。
 長い睫毛を伏せる常と変わらぬ優美な佇まいの青年の、杯を握る手に静かに力が篭もっていることをジョゼフ・キャンティロンは見て取る。
 だからというわけではないが、彼は話題を転じた。

「あいつら、あとどのくらい残ってるんだ?」

 この漠然とした言葉がフィアナ騎士団の騎士のことを意味すると悟り、シャグリウスは困ったような笑みを浮かべる。

「君が再び騎士団に所属する必要はないだろ」
「現状において俺が復帰を希望した場合、それをつっぱねるまでの余力は今のフィアナ騎士団にはないと思うがなぁ」

 あえてのんびりと、ジョゼフは言ってやる。

「私は、君に祝福など与えないよ」

 わずかに目を細めて、シャグリウスはどことなく意地の悪そうな微笑を浮かべてみせた。

「俺だってそのつもりさ」

 受けて立つジョゼフはどこまでも不敵に笑う。
 静謐にさざめくのは大樹の枝の軋み。
 受容するしかない何かが来ることを予感してすらそれを受容できないでいる己を持て余し、それを拒否することの無意味さを理解していてすら聞き分けのない望みを捨て切れず、無様に足掻くことをやめられない。
 こうなっては、何を信じ、何に縋ればよいのか。
 淡い冷笑が、大司教と呼ばれる青年の唇にたゆたう。
 諦観を抱くまでには捨てきれない希望と、その希望を潰したくないという願望。
 それは、これ以上もなく夢見がちで現実から乖離した、身の程知らずな、実現など望むべくもない切望。
 だが。
 だからといって。

「渇望するということに、意味がないわけではないだろう?」 

 それが誰に向かって投げられた問いなのか、それを知るものはいない。だが、ただひとつ確かなことは、祈るように紡がれたその言葉は風に散り、何者の耳にも届くことなく、残響すら残さずに掻き消えたということだけだ。

「お前でもそんな表情するんだな」

 と、面白いものを目撃したかのようにジョゼフが笑った。陽の中では色彩がゆらぐ淡い色の目に河面の煌きだけを映し、嘲笑と冷笑の狭間のような、やわらかな淡白さの目立つ失笑の名残を口許に残していたシャグリウスがきょとんとして目を瞬く。

「安心した。ぜひともラシェルに見せてやりたいもんだ。お前、いつもほとんど自己主張もなく穏やかに微笑してるもんだから、たとえ嫌なことがあっても無理矢理全部呑みこんでるんじゃないかと心配してたぞ」

 にやりと笑うジョゼフ。そして、どんな表情をしたものか悩んだ挙句、淡い苦笑を滲ませながらシャグリウスは軽く肩をすくめてみせた。
 絹の肌触りよりは鋭利な、それでも頬に心地よい冷えた夜風が、星空を封じたかのような底知れぬ河面を舞い遊ぶ。
 かすかな水音と枝の軋みが細やかに大気を震わせ。
 そしてゆるやかに季節は進む。

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