Chapter 5




高い天蓋、精緻な彫刻。天に広がり壁を埋め尽くす絵画を見上げながら、ひとりの老人が賞賛と驚嘆の息を吐く。

「閃光と暗澹」

 こつり、という硬い靴音とともに響いたのは、どことなく神経質そうな落ち着いた声音。

「聖パトリックと聖ヴェルべイア。このふたりの聖人を表すのに、これほど端的な形容も珍しい」
 
帝国における信仰の可視化、その極致とされる聖テルム大聖堂。祈りの気配が静まる夜半、手燭のゆらめきだけを光源として立つ枢機卿長が空間を埋め尽くす逸話の一部に眼を留める。

「遍く者に救いを与え、縋ることを赦した聖パトリック。神の摂理を万人に説き、各々が各々で摂理に漸近することを求めた聖ヴェルべイア。彼らは各々に違うことを成そうとしているように見え、その実、その目的は同一。救済とは何をもって救済と言うのか、それはなかなか難しいところではありますが、しかし、彼らが人々にもたらそうとしたものは救済と呼ばれる何かに他ならない」

 そこに描かれているのは蒼穹を背にしたふたりの聖人。互いに背を向ける彼らを隔てるのは、決裂を表す水の流れ。
 緩慢に天井から眼を落とした老人が、枢機卿長を横目で見遣る。

「理の女神の怒りを買い、それゆえに命を落とした聖パトリック。理の女神に愛され、それゆえにその命を落とした聖ヴェルべイア。彼らが聖人とされるのは、女神からの寵愛を自らで独占できたにもかかわらず、それを万人にもたらそうとしたため。その生は、まさしく、閃光と暗澹」

 ここで老人の目に疑問が浮かぶ。

「女神に愛されたのは聖パトリックではないのですか?」

 一瞬、大気が凝り、壁に鮮やかなふたりの聖人を眺めたままの枢機卿長の唇が薄い笑みのような気配を漂わせる。

「そういえば、そういうことにしていましたか」

 すっかり失念していた、と呟く枢機卿長に老人が何かを言おうと唇を持ち上げかけた時、不意に、枢機卿長が老人に向き直った。そして唐突に話題を変える。

「それにしても、アルバグラード会戦にて反帝国急先鋒であったアレス第一王子リシャールが落命したにもかかわらず、カルヴィニア公国は――いえ、アレスは、なぜ退くことをしないのでしょうね」

 老人は黙したまま。そして、そんな老人の反応などもとより窺うつもりもなかったのか、枢機卿長は気のない様子で話題を転じた。

「シルザ大司教はめでたくオルールク騎士団を懐柔。結果、ファウストゥス派への恭順の証としてオルールク騎士団長デルモッド・リアリはシルザへと単身乗りこんだ」
「これはまた奇妙な行動を」

 眉をひそめる老人に、

「はたしてそうですかな」

 枢機卿長は悠然と笑む。

「西におけるオルールク騎士団の役割を我々が重々認識しているのなら、フィアナ騎士団に身を預けた彼の者の思惑、推測するは容易でしょうに」

 語る声音は穏やかでゆるやか。にもかかわらず、相手を見据える眼にはすべてを透徹しているかのような鋭さがちらつく。否、枢機卿長アルノー・アルマリックは、少しだけ離れた位置に立つ小柄で人格者と名高い温厚な老人――帝国宰相メルキオルレ・マデルノの裡に秘めた真意を探ろうと――もっとも、ほとんど推測はできているのだが――そのただでさえ鋭いつくりの目を更に細めた。

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