「えんせーいるー?勝手に入るわよー」
部屋の鍵を開けておいて言うセリフでもないけれど、一応マナーとして言うだけは言っておく。
私が屋根の下に入った途端に今までぱらぱらとしか降っていなかった雨が急にどしゃ降りになった。これは当分帰れそうにない。
「‥‥‥相っ変わらず汚い部屋ね」
「言うなって」
マグカップを二つ掴んだパーカー姿で燕青が眉を八の字に下げた。
学生という身分もあってか、燕青の部屋は広さだけは私の部屋と変わらない。はずなのに、あっちこっちに洗濯物やらペットボトルやらが転がっているせいで幾分か狭く見える。
「今片付けるからそれ飲んでて、な?」
「はいはい」
カップに口を付けるとコーヒーと牛乳が混ざった柔らかい香りが広がった。
燕青の淹れてくれるコーヒーには、いつも牛乳がたっぷり入っている。だけど砂糖は入っていない。
なんでなんだろう。そういえばまだ一度も聞いたことがない。
カップからちらりと視線を動かせば丸めた洗濯物を袋に詰め込んでいる燕青と目が合った。
「どーした?」
こうやってにかっと笑いかけられる度に心臓がきゅんと縮こまるんだから私は相当燕青が好きなんだと思う。
「そろそろ終わる?」
「今終わった」
改めて部屋を見渡すとかなり綺麗になっている。こんなにすぐ綺麗になるんだったら普段からそうすればいいのに、と言うのははじめの数回で終わった。
人間には、直らない癖というものがある。
「ねえねえ」
「ん?」
「どうしていつも牛乳入れるの?」
「えー‥‥‥」
隣に座ってコーヒーを飲む燕青の喉仏がこくりと動いた。なぜかここで口を尖らせて考え込む。それから、窓のほうを向いてぽつりと呟いた。
「おれ、ブラック飲めないんだよ」
「え?そうなの?」
「おう」
「なのにコーヒー買ってあるの?」
「紅茶とか緑茶とかに比べてインスタントが一番楽なんだよ。粉入れてお湯かけるだけだし」
で、ブラックだと飲めないから牛乳入れてごまかしてるわけ。
そう言って拗ねたようにコーヒーをすすった。
「もしかして‥‥‥ブラック飲めないとカッコ悪いとか思ってる!?」
「お、思って‥‥‥るけど」
燕青がぽりぽりと頬をかく。視線は天井で固定。困ったときの彼の癖だ。
「あーもう!」
子供のような横顔がかわいくて、首に腕を回して抱き着く。肩に顔をうずめて息を吸い込むと雨なのにお日様の匂いがした。
「かわいい」
「なんだよ」
「好きだって言ってんの」
「‥‥‥」
燕青が黙ったまま私の腕を外した。じとっとこちらを見つめる。
「おれ、」
「うん」
「ブラック飲めるように頑張るわ」
「‥‥‥はあ?なんでま、」
「いいから」
おれは決めたの、と呟いてから少し首が傾く。それを合図に目を閉じると燕青の温い息をふわりと感じた。
そっと口を開けるとぬるりと舌が入ってきた。ぼんやりと、コーヒーの苦い味がした。
このままでいいのに