外套の襟元をきつく合わせる。小さな震えが止まらなかった。今朝は一段と冷え込んだうえに、曇り空が続いたようで一日中この調子だ。こちらの冬は貴陽ほど厳しくはないが、寒いものは寒い。
「お帰りなさいませ」
出迎えてくれた家礼に外套を手渡す。さすがに廊下までは火鉢を置かないので、そそくさと室に逃げ込む。
「お食事の用意ができております」
「いや、今日はこのまま休む」
「そうですか。では温かい飲み物だけでも召し上がってからお休みください。いま運ばせます」
あれこれとは聞かないが、有無を言わせぬ口調に大人しく頷いた。家礼が出て行ってから、深い息を吐く。一日の疲れが出たようで、ぐらぐらと視界が揺れる。寝間着に着替えるのも億劫だったが、そのままというのも心地が悪い。なんとか着替えて、長椅子に座り込む。
「絳攸様、失礼してよろしいでしょうか」
家礼が持ってきてくれるものと思っていたが、聞こえてきたのは細く控えめな声だった。
「ああ」
「失礼いたします」
湯気とともに、小さな体が近づいてくる。
「どうぞ。生姜湯です」
長椅子の側で跪く彼女は、相変わらず淡々とした様子で余計なことは言わな、
「絳攸様、お加減が悪いのでは?顔色が優れないようですが」
「おまえがそんなことを聞くなんて珍しいな」
「申し訳ありません」
既に伏せられていて表情は見えない。
「いや、そういうつもりで言ったわけじゃない」
受け取った器がやけに熱く感じだ。生姜湯と言ったが、匂いがよく分からない。飲むと舌先がピリピリした。
「少し疲れたんだ。休めば治る」
「そうですか」
飲み干した器を返すと、小さく頭を下げ、なにも喋らずに静かに出て行く。
ああ、俺こそ余計なことを言わなければよかった。
重くなった頭を抱えて、寝台に横たわる。震えは止まらなかったが、それ以上に体が怠くていつ眠ったのかも覚えていなかった。
何度か名前を呼ばれた気がして目を開ける。
年嵩の侍女が側に、その少し後ろに彼女が心細そうな顔で立っていた。
「絳攸様、おはようございます」
「……おはよう。何かあったのか?」
「何かあったのは絳攸様ですよ。お熱が高いようだったのでお医者様をお呼びしましたが、お招きしてよろしいですか?」
「医者?しかし、」
「お呼びしてきて」
俺の返答も聞かずに後ろの彼女に言い付ける。一度頭を下げた彼女が廊下に消えていく。
「ただの風邪だと思うが」
「重くなる前に診ていただいたほうがよろしいじゃありませんか」
喋りながらもテキパキと身支度を手伝ってくる。起き上がると頭痛がして、おまけに体の怠さは悪化していた。たしかに発熱しているようだ。
「寝てれば治る」
十代の時に比べれば体力も落ちているし治りも遅いだろうが、何も医者を呼ぶほどではない。
「私もそう言いましたけど、ずっとあんな顔されるんですもの」
「あんな顔?」
ひょっこりと噂の顔が扉から覗いた。普段は淡々としている彼女が、なるほど、眉尻を下げた情けない表情を浮かべていた。
「こんな顔ですよ」
侍女が小さく笑う。
「あの、お連れしましたが……」
「入っていただいて」
馴染みの町医者は、一通り診察を終えると少しばかりの薬を置いて帰って行った。やはりただの風邪ということだったが、どうやら熱は今からまだ上がるようだ。
「熱が上がりきる前に少し召し上がったほうがよろしいのでは」
「あまり食欲がないんだ」
「では後であの子に持ってこさせますから」
何が「では」なんだ。俺の話を軽く受け流して室から出て行く。子どもの頃からの付き合いのせいか遠慮がない。とはいえ心配してくれているのも分かるので、文句を言うのをぐっと堪えた。
しばらくすると、静かに扉が開いた。掠れるような声で名前を呼ばれる。
「どうした」
「起きていらしたんですね。お休みだったら起こしてしまうかと思いまして」
枕元まで近づいて、誰かが用意しておいた椅子に腰掛けた。卓に置いた小さな鍋の蓋を開ける。中のお粥を椀によそって、さらにレンゲで掬った。小さな湯気がすぐに消える。
「失礼します」
レンゲを口元まで差し出されて、思わず口を開ける。遠慮がちに粥を運ばれて、それを飲み込んでから我に返る。自分で食べられる、と言おうとして、真剣な目とぶつかった。情けない顔をしているくせに、目だけは力強い。その差がなんだかおかしくて、大人しくされるがままだ。
「ん、もういい」
半分食べたところで満腹になったので、そこで打ち止めだ。
「悪かったな、いつもの仕事に戻ってくれ」
「あの、絳攸様のお体がよくなるまではお世話をするように言われていまして」
「そうか」
「隣の室におりますので、ご用があったらお呼びください」
食器を盆に乗せて去っていく。自分で戻れと言ったくせになんだか名残惜しい気がした。久々の風邪で弱っているのだろうか。若干の腹立たしさも込めて目を瞑ると、すぐに眠りについた。
その後何度か目が覚めたが、たいてい彼女は側の椅子に座っていて、俺が口を開くのを待っていた。一度面白くなって黙ったまま彼女の顔を見ていると、いつもよりは憂いを帯びた表情でただただこちらを見つめていた。見つめるというより眺めていると言ったほうがいいかもしれない。まるで俺が起きているのに気がついていないかのようで、結局我慢しきれずに自分から喋りだす。
「ずいぶん暗いが、もう夜か」
「日暮れまではまだ少しありますが、今日は雪が降っているので」
火鉢を絶やさないでくれているのだろう。室内が暖かいので気がつかなかった。
「なら冷えるだろう。寒くはないか?」
「私のことはよいのです」
水差しを持ち上げたので、頷いて水をもらう。冷たい水が喉を通ると、少しだけ楽になる。
「お粥を召し上がりますか?」
「いや、いい」
「では果物でも」
「食欲がないんだ」
困ったような顔でこちらを見つめる。言葉を選んでいるのか、小さく開けた口を閉じる。
「朝から何も召し上がっておりません」
「風邪の時はそんなものだろう」
「そうですか……」
まだ何か言いたそうだったが、黙って氷枕を取り替える。熱が上がってきたのか、ひんやりとして気持ちいい。寝ているはずなのに目眩がするようで、大して話も出来ないまま目を閉じる。布団を丁寧に直す感触が伝わってきて、