茶州の冬は厳しい。雪も珍しくないし、朝起きると桶の水が凍っていることもしょっちゅうだ。
お皿を洗うと、水の冷たさで指先がじんじんと痺れる。
月華は手を口元に持っていくと、息を吐きながらさすった。効果があるか分からないけれど、やらないよりはマシだろう。
(寒いついでに買い物も行っちゃおう)
外は風が冷たいけれど、日が出ているので州府の厨よりは暖かい。
城下はお昼時ということもあってか賑わっている。白菜やら牛旁やらを買っていると、人混みの中に見慣れた背中を見つけた。
「あ、燕青」
名前を呼んだけれど、誰かとの話に夢中になっているのか気がつかなかったらしい。
一瞬人混みが開けて、燕青の会話相手が見えた。
――女の人だった。しかも美人。おまけに年上(多分)
二人はにこやかに話していて、燕青にいたってはほんのりと頬が赤い。
燕青が頬を染めるなんてよっぽどだ。
と、いうことは、燕青はあの人のことが好きなのだろうか。
ぐるぐると頭の中が濁っていく。鼻の奥がツンとする。もう燕青は視界からいなくなっていて、それが無性に寂しかった。
いつもなら声を掛けて、並んで歩いて、夕飯のおかずについて話して、たまにだけど手を繋いで。
‥‥‥でも、それだけだ。
べつに燕青と自分は改めて恋人同士だと確認しあったこともないし、口付けを交わしたこともない。
そもそも燕青は、私のことをそういう対象として見たことはないのかもしれない。
そう考えると、燕青の恋人気取りだった自分が恥ずかしくて、情けなくなる。
いつの間にか奥歯を噛み締めていて、ため息とともにそれを緩める。
ふと窓の外を見ると、もう日が傾いて薄暗くなっていた。
「なあ月華ー、なんか食うもんあるー?」
「えん、せい‥‥‥」
突然扉が開いて、ひょっこりといつも通りの顔で燕青が顔を覗かせた。
落としそうになるお玉をぐっと握りしめる。
「お汁ならできてるわよ」
「まじ?じゃあとりあえずそれちょーだい」
「はいはい」
相変わらず夕飯までは待てないらしい。いつも通りを心掛けて、お汁をお椀によそう。俯いた拍子に、目が霞んだ。一度瞬きをして自分をごまかす。
「相変わらずお肉は入ってないけど」
「そんじゃあ明日あたり狩ってくるかな」
「悠舜がいいって言ったらね」
「‥‥‥いただきまーす」
燕青を見ていると昼間のことを思い出すので、まな板に向かう。今夜は麻婆豆腐にしようかな。
辛味噌に手を伸ばしたところで、後ろから肩を叩かれる。
「なあ」
「うん?」
振り返ると、お椀を持った燕青が目の前にいた。心臓がドキリと跳ねる。
「これ味付いてないけどこういう料理?」
「え!?」
ほれ、と差し出された汁を少しすする。
‥‥‥味付けどころかダシもきいていない。
「ごめん、味付け忘れ、た‥‥‥」
目頭が熱くなったと思ったら、ぽろりと涙が零れた。一度自覚すると、さらにぽろぽろと涙が溢れてくる。
燕青はぎょっとした。やばい、俺なんか間違えた!?
「ど、どうした!?もしかして野菜の味を活かそう大作戦だった!?」
「ちが、なんでもない‥‥‥」
「だって、」
「ほんとに、なんでもないから」
話は終わりだとでも言うように背を向けた月華に、燕青はむっと眉間に皺を寄せた。
何か怒っていると、すぐにそれを伝える月華がこんな風に頑ななのは滅多にない。おまけに泣いてるとくれば、非常事態に近い。
「なんでもないわけないだろ!」
月華の肩を掴んで、自分のほうを向かせる。
「なんでもない!玉ねぎよ!」
肩に触れた燕青の手は、冬だというのに温かかった。でも、今はその手が苦しい。
「玉ねぎがどこにあるんだよ!?」
「正直者にしか見えない玉ねぎなの!」
「はあ?」
私は一体何を言ってるんだろう。もう考えるのが面倒だ。
「‥‥‥付き合ってもないのに触らないで」
しゃくり上げながら月華から飛び出た一言に、燕青は固まった。
今、なんかおかしなことを言われた。
もしかして俺って月華に恋人だって認識してもらえてない?
「こういうことはあの綺麗なお姉さんとやってよ」
綺麗なお姉さんて誰デスカ?
やばい、当事者のはずなのに話についていけない。
「なあ、月華」
「‥‥‥なによ」
「俺達って付き合ってないの?」
「‥‥‥え?」
今、燕青がとんでもないことを言った気がする。とんでもなく、嬉しいことを。
「俺はおまえのこと好きなんだけど、月華は違うの?」
「ち、違わない、けど」
びっくりし過ぎて涙が止まった。
「ま、待って、燕青は昼間一緒に歩いてた人が好きなんじゃないの?」
「昼間‥‥‥ああ、酒屋のねーちゃんのこと?なんで?」
「だって顔赤くしてたから‥‥‥」
もごもごと月華が話すと、燕青はしばらく黙りこんでから、「あ」と声をあげた。
「あれは、その‥‥‥月華のこと褒められたから」
「‥‥‥」
やっぱり自分はすごく恥ずかしい人だと月華は思った。
「ごめん。勝手に勘違いしてた」
燕青の顔を見られなくて俯くと、ふわりと抱きしめられた。肩の力がすとんと抜けた。
「燕青が顔赤くするとこなんて見たことなかったから」
「うん」
「私だけが好きなのかと思ってた」
「そんなことねーよ」
自分も腕を伸ばして、広い背中に回す。
「く、口付けもしたことないし」
勇気を出して呟くと、燕青の息が止まる気配がした。
「えーと‥‥‥今、してもいい?」
「‥‥‥うん」
燕青が耳元で「目、つむって」と囁くと、月華は少し距離を作った。
俯きがちに目を閉じる月華に、自分の鼓動が早くなるのが分かる。
月華はさっき、俺は顔を赤くしない、とか言ったけど、それは嘘だ。月華に見えないように赤くしているだけなのだ。
現に今も頬が熱い。そっと顔を近づける。心臓が、破裂しそうだ。
重なった口唇は、少しだけ冷たかった。
とけた泡雪