「ん‥‥‥燕青?」

「わりぃ、起こしちゃったか」

耳元で囁かれた声に、月華はハッと目を見開いた。しまった、寝てしまったらしい。やっぱり横になったのが悪かったらしい。

「ごめん、寝ちゃった」

「んなこといいよ。こんな遅い時間だし、いつも寝てくれてていいんだぜ?」

布団の中にもそもそと潜り込んできた燕青のために毛布を少し持ち上げる。

「毎朝早起きして朝メシ作るのだって大変だろ?」

「大変じゃないよ、好きでやってるんだもん」

燕青の仕事のほうがよっぽど大変なくせに、とは言わない。仕事のことでは何も手伝えない分、ご飯くらいは作りたかった。

「それに夜寝ちゃうと燕青の顔見れないし」

「‥‥‥」

「‥‥‥燕青?」

急に黙り込んだ燕青は、なぜか私に背を向けてしまった。何か変なことを言っただろうか。雲が流れたのか、月明かりが室内に差し込んでくる。

「急に可愛いこと言うなよ」

「う、うん」

きっと燕青は照れてるんだ。それでそれが私にも移ったらしい。急にさっき言ったことが恥ずかしくなって、どうしようか迷って、結局やけくそ気味に燕青の背中にしがみつく。

「ゆ、夕飯はどうしたの?」

「差し入れてくれたおにぎり食った。うまかった」

「そっか」

「月華、手離して」

「うん?」

自分達の影が濃くなった。燕青はぐるりと回転して、私の布団に接していないほうの肩に触れた。そしてぐい、と押されて仰向けにされる。

「いつもありがとな」

優しい声で、優しい表情で、燕青が言った。その目の下にうっすらとした隈を見つけて、ふいに目頭がじわりと熱くなった。

「え、」

今の自分を見られたくなくて、俯せになる。

「え、俺なんか変なこと言った?月華さん?」

「言ってないです」

震える声でどうにかそれだけ呟く。

体力だけは無駄にある燕青が隈を作るくらい大変だというのに、自分ときたらどうだろう。彼が帰ってくるまで起きて待っていて、お茶をいれるくらいのことも出来ないのか。
自分が情けなくて、涙が出た。そして燕青の前で涙をこらえられない自分が余計に情けなくて、悔しかった。
笑ってお礼を言う燕青が、眩しい。

「ほんとなんか俺悪いこと言った?」

敷布に顔を埋めたままぶんぶんと首を横に振る。

「明日は待ってるから」

「ん?」

「明日はちゃんと玄関まで迎えに行く」

「うーん‥‥‥それはどっちでもいいや」

燕青はしばらく悩んだように唸ったあと、あっけらかんとそう言い放った。わ、私の精一杯の決意を木っ端みじんにしてくれやがって‥‥‥。

「別に俺、おまえが笑ってても怒ってても寝ててもいいんだわ」

顔だけを声のするほうに向けると、燕青は私の腰の近くにあぐらをかいて座っていた。腕を組んで目をつむったまま、微妙に首を傾げて続ける。

「メシとか掃除とか洗濯とかさ、すげーありがたいけど極論を言っちまえばしてくれなくてもいい」

目を開けた燕青と、視線がぶつかる。

「おまえが俺の側で人間らしく生きててくれたらそれでいいよ」

じわじわと、その言葉が胸に染み込んできて、ふわりと気持ちが軽くなった。

「燕青、」

「ん?」

「私いますごく感動してる‥‥‥」

と同時に、

「すごい怒ってる」

「え!?なんで!?」

慌てたように身を乗り出した燕青に、私も体を起こして向き直る。

「私はね、好きな人の役に立ちたいっていうごく標準的な思いやりを持ってるわけ」

「お、おう」

「それで疲れてるあんたを見て先に寝ちゃったことを激しく後悔したの」

「はあ」

お互いなぜか膝詰めで、月の光だけが明るい。

「なのにあんたは全部すっ飛ばしてくれちゃって‥‥‥聞いてる!?」

「んあ!?」

うとうとと舟を漕ぎ始めた燕青は、はっと慌てて体を起こした。

「あのさー、もういいから」

「は!?」

「おまえが俺のこと好きなのはよーく分かった」

「なに言って、ちょっ、」

がばっと燕青の腕が伸びてきて私を捕まえて、そしてそのまま横に倒れた。抱き枕のように抱えこまれて動けなくなる。

「ちょっとー!」

「今のままでいいから、な」

低くて柔らかい声が振動とともに伝わる。結局いつも私が甘やかされて終わるのだ。

「‥‥‥うん」

燕青の厚い胸板に顔をうずめる。夜だというのに、お日様の匂いがした。



いつも通りの夜



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