「紙がない」
「はい、ただいま!」
「墨が少ない」
「あとで買ってきます!」
「この書簡を長官のところへ持っていけ」
「では行ってきます!」
清雅さんから書簡を受け取って室を出て扉を閉めた瞬間に走り出す。多分ここで、というか正確には清雅さんの下で働き出してから私の足はずいぶん速くなったと思う。あと息を整えるのも。
氷のような長官に書簡を渡して、よし、と言われたのでまた廊下を走る。ったく私は犬かなんかか!
「ただいま戻りました!」
「遅い」
「うっ、」
これだけ走ってまだ遅いってどうすればいいんだ。もう庭を突っ切るしかないのか。
「足の短い侍童はこれだから」
「み、短くなんて‥‥‥」
ため息をつく清雅さんの腰をちらりと見ると、思っていたよりも高い位置にあった。
「それに侍童じゃなくて侍女です!」
「そんな薄っぺらい胸でか」
胸を一瞥されて、おまけに鼻で笑われた。
「さ、さらし巻いてるからですよ!」
「嘘つけ。巻く必要もないくせに」
「う、うう嘘じゃないですよ」
ばれてる‥‥‥なんで知ってるんだろう。実は生まれてこのかた谷間ができたことがないどころか作れもしないことまでばれてそうだ。
「そこまで言うなら見せてみろ」
「はあ!?」
何言ってんのこの人。仕事のし過ぎで頭おかしくなっちゃったんだろうか。
「さらし巻いてるんだから平気だろ?」
「乙女になんてこと要求してんですか!」
っていうかさらし巻いてないので無理ですすいません!
じりじりと清雅さんが近づいてきて、私もそれに合わせて後ずさる。コツンと踵が壁に当たった。
え、もう行き止まり?
ちらりと壁を見た瞬間、顔の横に骨張った大きな手が置かれた。
「なっ、」
正面に視線を戻すと清雅さんが覆い被さるような形で私に影を作っていた。口元はニヤリとしか言えないような笑顔。どくん、と心臓が跳ねた。
「ななななにをするんですか」
やばい顔近えよばか清雅!
「今俺のこと『ばか清雅』って思っただろう」
ぐい、と顔がさらに近付く。なんでばれたんだろう。首筋に息が、息がかかって変な気分に‥‥‥って何考えてんの!一気に顔に熱が集まるのが分かる。
「満更でもないみたいだな」
「いえ!もう結構ですからこれ以上近づくなでございます」
言葉遣いが変なのは放っておいて、自分と彼の顔の間に手を掲げて拒否を示すと少し頬の熱がひいた。やっぱり整った顔は近すぎると心臓に悪いらしい。
もう安心だろうと気を抜いた瞬間、その手を掴まれて壁に押しつけられた。
「あ、あの、清雅さん?」
身動きが取れない。ニヤリとした笑いを深めた清雅さんの顔が、近付いてくる。もう耐えられない。ぎゅっと目を閉じると、ふわりとした感触がして、それから離れていった。
「え?‥‥‥え?」
いつの間にか自由になっていた右手で鼻を押さえる。今の感触は、まさか、
「なんだ、口のほうが良かったか?」
「めっ、滅相もないです!」
少しだけ引いていた熱がまた頬に集まってきた。この人はなんでこうさらっとこういうことをしちゃうんだ!
「おまえ‥‥‥さらしも巻いてなかったのか」
「‥‥‥は?」
清雅さんの若干、いやかなり哀れんだ視線をたどると、そこには盛大にはだけた私の胸元があった。
「なっ、なにやってんですかー!」
心臓への負担を時給に考慮して欲しい