河原に吹く風は少しだけ冷たい。
なんやかんやあって、私は土方さんと手錠で繋がれている。簡単に説明すると、沖田さんとこんな愉快なものをゴミ捨て場に置き去りにした誰かさんのせいだ。
「一万歩って言ったら結構歩くじゃねーか」
どうして万歩計の機能を手錠に付けようと思ったのだろう。やっぱり強制されないとなかなか運動しないからだろうか。
土方さんの左手と、私の右手。こんなに近づいたのはいつぶりか、初めてか。
とにかく、さっさと一万歩を達成するべく土方さんと二人で散歩に勤しんでいる次第だ。
「わっ」
「っと、悪いな」
私がぼーっと足を動かしている間に煙草に火をつけようとした左手に引っ張られる。体勢を崩しかけて、なんとか踏ん張った。
「上げるぞ」
「あ、はい」
今度はゆっくりと右手が持ち上がる。ふわりと浮いた煙がゆったりと私を包み込んで、通り過ぎていった。
独特の匂いに、少しだけ緊張する。
いつもより浅い呼吸を心掛けて、なるべく煙を吸い込まないようした。
「おい」
いつからだったのか、気がつくと土方さんが私を見下ろしていた。特段険しい表情ではないけれど、開き気味の瞳孔が刺すようにこちらに向けられている。何か、しただろうか。
「タバコ、嫌だったらはっきり言え」
「いえ、その、」
嫌です、なんて言ってもいいのだろうか。ただの下働きが、真撰組の副長に「死ぬほど大好きなタバコをやめてください」なんて、言えるだろうか。
視線に耐えきれなくなって、俯く。
確かにタバコは苦手だった。においが服に付いてしまうとか、ニコチンが体に悪いとか、そういうことの以前に煙で喉がやられてしまう。いつもではないけれど、小さな咳がしばらく止まらなくなることがある。
一人なら咳が治まるまで待てばいいけれど、土方さんが隣にいてはそれすらままならない。
副長は歩き出しもせず、相変わらずタバコを吸っている。空に向かって吐き出しているのか、最初ほどの煙は流れてこないけれど、緊張と煙とでなんだか上手く息も吸えない。
「ひ、土方さん」
「なんだ」
「ちょっと、咳が出ちゃうかもしれなくて、」
「ふーん。で?」
泣きそう。鬼の副長にこんな対応されて、泣かない人なんている?
ケホン、とひとつだけ咳を零す。涙目になりながら、もう覚悟を決めて勢いで口を開いた。
「わ、私といる間だけでいいので、タバコを控えてもらえないでしょう、か」
見られた、いや、見つめられたのは、ほんの一瞬。
「そうか、悪かったな」
土方さんは、あっけないほどに火を消した。携帯灰皿をポケットにしまってから、また歩き出す。そうだった、歩かないと外れないんだった。
ホッとしたけれど、訳が分からなくて、でも副長相手にどう質問したらいいかも分からなくて、黙って歩く。
ぴゅうと吹いた風がほっぺただけ冷たくて、顔に熱が集まっていたのが分かった。
空いているほうの手で頬を押さえる。
「春」
「は、はい」
「意地の悪い真似をして悪かったな」
「……へ?」
足を止めかけて、身振りだけで先へと促される。そうだ、歩かないといつまでもこのままだ。
「おまえはちょっと自分のこと言わなさ過ぎるから」
土方さんの整った横顔が、少しだけ柔らかくなった気がした。
「嫌なことはそう言わねェと誰も助けちゃくれないからな。たまに心配になるんだよ」
がさごそと胸ポケットを探して、すぐに思い出したのか手を止める。その手をスラックスのポケットにしまって、すぐに取り出した。
「ちょうどふたつだ」
手の平に落とされたのは、小さな飴玉だ。二人でいっせいに手を持ち上げて、小さな包み紙を同時にカサコソと開く。赤っぽい色はイチゴ味だったようで、口に含むと甘酸っぱい香りが広がった。
「ごちそうさまです」
「こんなんじゃなきゃ飯でも連れてってやれたけどな」
「これもおいしいですよ」
「そうか」
カラコロと口の中で飴玉を転がしながら、川沿いを歩く。
いま何歩目だろうか。どのくらいでこの時間が終わってしまうのだろうか。
終わらないで欲しいと思いながら、それでも隣にいたくて歩き続ける。歩けば確実に終わりに近付いてしまうのに。
「土方さん」
「なんだ」
あと何歩ですか、と聞きかけて、結局全然関係のないことを尋ねた。
「好きな食べ物はなんですか」
「そうだな……マヨ、」
「マヨネーズはなしですよ」
「ん、そうか、難しいな」
ちらりとその横顔を盗み見る。他愛もない質問なのに、眉間に少し皺を寄せて考える姿は真剣そのものだ。ああ、やっぱり好きだなあ。
「思いついたら、その時は教えてくださいね。私に作れるものなら作りますから」
「そりゃあ楽しみだ」
「約束ですよ」
「分かった」
立ち止まったかと思うと、その左手で器用に私の右手を掬った。硬く骨ばった小指が、するりと絡みつく。
「約束な」
悪戯げに目元を緩めるものだから、こちらも自然と口ずさむ。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます!」
絡めた小指が熱を持って、そして離れていった。