「俺が死んだらどうする?」

なんて、冗談として笑い飛ばすには身近過ぎる質問を投げかけられた。あの時は常に誰かが傷ついているような状況で、後方の私だって生傷が絶えなかった。

「一年くらいは悲しんで、そのくらい経ったらぼけっとしながら普通に暮らしてると思うよ」

死は身近だったけれど、それでもはっきりとした想像はできなかった。
この答えを聞いた彼がどんな顔をしていたかは、月が翳ったせいで分からないままだった。

そして、彼はいなくなった。

戦に出て姿を消したということは、つまりそういうことなのだろう。もしかしたらひょっこり姿を現すかもしれないとしばらく待ったものの、一向に気配はなく、風の噂で彼の死を聞いた。そうして初めて泣いた。竹やぶで誰とも知れぬ輩から身を隠して、泥だらけのまま、泣いた。

季節が一周して、やっと彼との会話を思い出して泣くのをやめた。それからは宣言通りにぼけっとしながら生きている。
ぼけっとしていたもんだから、うっかり働き口を失った。年老いた店主は、息子夫婦のもとに身を寄せるから店を閉めると言った。しばらくは続けるからその間に他の仕事を探してくれとも。なのに、うっかりしてそれを忘れていた。幸い貯金があったので、上京することにした。職を探すならまず江戸へ。田舎者の常識だ。

「って言ってもまずは家を探すことからだよねえ」

ツテもない身の上だ。おまけに江戸の地理もよく分からない。相変わらずぼけっとしながら歩いていると、胡散臭いポスターが目に入った。

『万事屋銀ちゃん 今なら相談無料!』

ちょうどいい、タダならちょっと相談にのってもらおう。ポスターをべりっと剥がして地図代わりにして、印の部分へ向かう。
なかなか立派な看板だ。

「ごめんくださーい」

「はいヨー」

トタトタと軽い足音が聞こえて、引き戸ががらりと開いた。中学生くらいの色白の女の子がいた。もう10時になるというのに、まだパジャマだ。

「ポスターにタダで話を聞いてもらえるってあったんで来ました」

「お客さんかよ、まああがるネ」

言われるがまま、玄関で草履を脱いで板の間を進む。部屋に案内されてソファーに腰掛ける。

「定休日でしたか?」

「ちょっと寝坊しただけヨ。着替えるからそこで待ってるネ」

慌ただしく走り去っていく。あの子が「銀ちゃん」だろうか。そんなことを考えたとき、「銀ちゃん!お客さん来たネ!とっとと起きるよろし!」という怒鳴り声が聞こえたので、どうやら違うらしい。
そこで思考を止めてぼーっとしていると、襖が開いた。そして男がひとり、だらしない格好で出てきた。

「ざけんなよ神楽、こんな早朝に客が来るわけねーだろ」

格好だけでなく、表情もだらしない。寝起きそのものだ。

「バカ言ってんな、目の前にいるだろが!」

チャイナ服に着替えた、どうやら「神楽」という少女が茶碗を三つ運んできた。中には卵のかかった白米がよそってある。

「お客さんもついでに食べるよろし」

「はあ」

目の前のソファーに少女と男が座って、いただきますもそこそこに茶碗に手を付けた。
仕方ないので私も同じように朝ごはんを食べようと手を伸ばしたとき、

「で?お客さんはどういう用事で?」

男がだるそうな顔で口を開いた。

「仕事を探しに江戸に来たんですけど、まずは家を決めようと思って相談にのってもらいに来ました」

「はあ?そんなもん不動産屋に行けよ」

「はあ。まあおっしゃる通りで」

男の言い分に納得したので席を立とうと荷物を持った。

「ちょっと待って、荷物それだけ?」

「え?はい、まあ」

「今日上京してきたばっかで?」

「ええ、まあ」

男と少女が顔を合わせる。

「年頃の女にしちゃ荷物が少ないネ。なにか事情があるのカ?」

「いえ、とくには。いろいろ無頓着なもので」

「無頓着っつったってなあ」

呆れたような顔で、男は癖の強い髪をさらにくしゃくしゃにかき混ぜた。

「悪いことは言わねえから話してみろって。いま相談無料キャンペーン中だから」

「はあ」

そんなこと言われたって無頓着は無頓着だ。ここ数年ぼけっとしていたせいで荷物も必要最低限しかないというだけの話だ。あまり買い物に行く気にもならず、出かけるのも職場に行くくらい。さらに職場は制服付きで、替えと予備の着物があれば充分だった。そのおかげでタンスもあまり使わず、食事もほとんどを職場で済ませていたので家の台所も綺麗なままだった。
ということをかいつまんで説明した。

「なんでそんな無頓着になっちゃったワケ?」

死んだ魚の目をした人には言われたくないセリフだが、なんでと言われたら答えることはひとつだ。

「大事な人が死んだので」

しまった。あまりにいろいろ無頓着になりすぎて、場の空気を読むこともできなくなったらしい。朝からお通夜のような雰囲気にさせてしまった。

「そ、その、なんだ、悪かったな」

「はあ」

「大事な人って恋人ネ?」

「そういうわけじゃなかったですけど」

そういうわけではなかったような、あったような。なにぶん平時ではなかったために、あまり客観的で冷静な判断というものができなかった。振り返ってみれば、恋人と呼ぶにはあまりにお粗末な関係だったと思う。
そういえば、ここの店主は彼によく似ている。色素の薄い髪に気だるげな雰囲気。けれど、死んだ人間は戻って来ない。

「……アンタ、物怖じとかしないタイプ?」

「まあ、ぼけっとしていることが多いので、鈍くはあると思いますけど」

「ふーん、じゃ、お仕事紹介しましょうね」

「へ?」

こちらがぽかんとしている間に店主らしい男は慌ただしく着替えて歯を磨き、そして玄関に向かった。

「ほら、なにやってんの。行くぞ」

どうやら家よりも先に仕事を紹介してくれるようだ。食事を続ける少女に一礼してから男を追いかける。玄関を出て階段を下り、そのまま通りをまっすぐに歩いていく。のろのろとした歩みは、私に気をつかってくれているのか、それとも生来のものか。判断する気もないままに後ろに続いた。

「アンタ、今どきなんのツテもなく上京してくるなんて珍しいね。バカなの?」

「そうかもしれないです」

「……怒ったりもしないのな」

「はあ」

ちらりと振り返って、すぐに前を向いた。なにを試されたのか、なんとなく分からないでもないがとくに何の感情も起こらなかった。いい歳をしてずいぶん間抜けなのは確かだ。
それから十分ほど歩いて、そして別段綺麗でも汚くもない建物に着いた。一階には歯科医院の看板が、二階には眼科の看板がかかっていた。

「ここでお仕事する気ある?」

「どっちですか?」

「下のほう」

なるほど、歯医者の受付ということか。

「暮らしていけそうならぜひ」

「じゃ、行くか」

行くか、と言いつつも深く息を吐いたきり動こうとしない。不思議に思ってその様子を眺めていると、目線だけをこちらに寄越して彼が言った。

「そんなにびびんなくても大丈夫。たかが歯医者だから。全然怖くとかないから。むしろ待合室のジャンプがメインで治療がオマケみたいなもんだし。怖くないし大丈夫だし」

「はあ、そうですか」

その目線を受け止めて、多分無表情で受け止めて、受け止めたきり互いに動かない。これは何の儀式でしょうか。

「……案内してくれないんですか?」

「いや、する、けど」

「……」

「……」

「お願いします」

「……ハイ」

見つめあっていても仕方ない。一歩詰め寄ると、やっと彼が動きだした。



歯医者に行ってからの話は早かった。予想通り仕事というのは受付が主で、たまに困った患者さんの治療のサポートをする。そして困った患者さんというのが、

「イヤだあああああ」

彼の様な人のことを言うらしい。

「ちょっと万事屋さん!もう何回押さえられたら気がすむんですか!」

「ふっざけんなよ!じゃあもっと優しくしろよ!」

「先生、万事屋さんがもっと痛くても耐えられるって」

「ふざ、ふざけんナァアアア!!」

院長である先生は前に万事屋さんにお世話になったらしく、保険証もカードも持たずにふらりと訪れる彼の治療を文句も言わず行っている。もちろん彼のような困った患者さんはほとんど来ない。なので、こんな風に騒ぐ患者を押さえつける仕事も彼の時だけと言ってもいい。
たまに、思い出しそうになる。かつてこうやって怪我人を押さえつけていたことを。
でもそれも元気な悲鳴にすぐにかき消されてしまう。

「ひどくね!?俺のときだけ優しくなくね!?」

「先生がですか?」

「アンタがだよ!」

「だって万事屋さんが元気過ぎるんですもん」

倒していた椅子を本来の位置まで戻して治療の終わりを告げる。彼は待合室へ、私は受付内へと続く扉を通った。

「今週中にもう一回は来てくださいね。お代はツケでいいそうですよ」

「もう二度と来るかコンチクショー」

ぶつぶつと文句を言いながらも、伝えた通り律儀に通ってくれている。江戸に来て一ヶ月、職場もよし、住居もよし(ワケアリとかで安くて良い部屋を借りることができた)、万事屋さんのおかげでとくに不満も不安もなく過ごせている。とはいえ、それらを感じた記憶はずいぶん前のものだ。

その日の帰り際、院長から一枚の診察カードを渡された。なんでも、万事屋さんがきちんと来てくれるようになったので試しに作ってみたとのこと。
次の診察までに会うことがあったら渡して欲しいと言われたので、買い物ついでに万事屋さんまで届けることにした。
4時過ぎという半端な時間で、通りは人もまばらだった。支度中の看板があちこちにかけられている。流石の万事屋さんもまだ飲み歩いてはいないだろう。
昼間は暖かいが、夕方の風は少しだけ冷たい。いつもの橋を真ん中まで渡った時、向こう側に白っぽい着流し姿が歩いてくるのが見えた。あの気だるげな歩き方は万事屋さんだろう。彼と万事屋さんは、よく似ている。どこかにスイッチでも隠していたのだろうか。平時の彼からはとてもあんな風に駆け抜ける姿は想像できなかった。
と、ここまで考えて心の中だけで首を振る。江戸に来てから度々昔のことを思い出してしまう。新しい環境に移ったことがそうさせているのかもしれない。
気持ちを切り替えようと、しまっておいた診察カードを取り出す。そういえば、万事屋さんの名前はなんというのだろう。聞いたことがない。裏返して名前を確認して、そして、世界が遠ざかった。

意識はその四文字だけに集中した。さっきまで心地よく聞こえていた水の流れる音も、頬を撫でていた涼やかな風も、見慣れた自分の履き物も、すべてが遠くなって、ああ、私はいま、呼吸ができているだろうか。
よくある名前とは決して言えないこの四文字。「坂田銀時」のこの四文字を、どうして今さら掴んでいるのか。なぜ分からなかった。彼の顔を、忘れていたのか。声を、喋り方を、仕草を。どうして。どうして分からないふりをしていたのか。

「よお、今日はよく会うな」

瞬間、意識が引き戻される。その声に引っ張られるように顔を上げれば、万事屋さん、もとい、銀時がそこに立っていた。
よほどおかしな表情だったのか、いつものだらしない笑みを引っ込めた彼は、すぐに私が手にしているものに気がついたようだ。

「ああ、バレちゃった?」

軽薄なセリフとは裏腹に、その声は、あの質問をした時と同じものだった。

「じゃあ、銀時は私のこと気がついてたんだね」

「初日にな」

「教えてくれる気は、なかった?」

「……もしかしたら、忘れてたいのかと思って」

「そっか」

そうかもしれなかった。忘れて楽になりたかったのかもしれなかった。あの質問の答えを律儀に守ることに、本当は疲れていたのかもしれない。
けれど、もうすべては憶測になってしまった。

「触っても、いいかな」

「小汚ねぇオッサンでいいならな」

軽口を無視して、手首に触れる。生きてる。腕を掴む。ここにいる。そのまま、胸に飛び込んだ。温かい。その温度に、とうに枯れたはずの涙が溢れた。

「なんだ、ちゃんと泣けるじゃねーか」

「誰の、せいだと、思って、」

「だから、ほんとは知らないままのがよかったんじゃねーのかなって」

小さな声で吐き出された言葉に、頭に血が上ったのが分かった。

「ばかっ!」

久しぶりに出した大声に、彼も、そして自分も驚いた。驚いた勢いで感情のままに喋る。

「あんたが死んだって聞いて、泣いて泣いて、あの質問を思い出して必死に普通に暮らしてきたのに!でもすぐに思い出してそれも押し殺して、それでも考え出したらきりがなくて、ほんとにちゃんと繋がってたのかなって、そしたら私は銀時にとって何だったんだろうって、全部無意味に思えたりして」

ぎゅっと彼の着物を握って、握ったら離せなくなった。

「それでせっかく生きてたのに、一ヶ月も黙ってられたら、やっぱり私のひとりよがりだったのかな」

久しぶりにこんなにたくさん話した。酸欠なのか、少しくらくらする。

「ねえ、そうなの?」

自分でも何を言ったかよく分かっていなかった。目の前の銀時は、目を閉じて一度だけ深呼吸をした。

「おまえ、初めに万事屋に来たとき神楽に言ってたろ。別にコイビトじゃなかったって」

開いたその目は、昔と変わらず何を考えているか分からないままにじっとこちらを見つめてくる。

「こっちはガキながらもそのつもりだったから、ちょっと引っ掛かっちゃって、女々しくも気にしてたワケだ」

確かに、反対の立場だったら言い出せないかもしれない。
ただこれには私も理由がある。当時のあの状況で、彼の周りには圧倒的に女が少なかった。同世代ともなればさらに限られる。そんな中で、何か約束を交わした訳でもなく、なし崩しのような形で付き合っていればこう思ってしまうこともある。

「性欲処理だったかも、って」

「……」

「……」

「なァ、せいぜい片手だったろ」

「……う、ん」

「そんなんで足りると思うか?」

「……いいえ」

「大事にしてたつもりだったんだケド」

頷いて、そうして銀時から離れられなくなっている自分に気がついた。相手もそれに気がついたのか、今さらになって背中に重みが加わった。

「ちゃんと、生きてるんだね」

「おまえもな」

吹いてくる風が、余計に互いの温度を感じさせた。川のせせらぎが聞こえて、視界は滲んだままで、久しぶりの彼の匂いは知らないような知っているような、そのよくわからなさに安心した。

「あーあー、俺の一張羅をぐちゃぐちゃにしてくれちゃって」

「もともと汚かったでしょ」

「ひでぇなあ」

そうして薄暗くなるまでくだらないことを話し続けた。端から見れば、さぞやおかしな二人だっただろう。けれど、二人だという事実だけで、私は彼が死んでいた数年が小さく融けてなくなっていく気がした。









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