カサカサと草を踏む微かな音が近づいてくる。

「お嬢さんこんなところで何してるんですかァ?」

「花見でーす」

「一人で?」

「会社の花見は自粛されたので一人でやってまーす」

「あらら、もうできあがってんのか」

なにがどう混ざったらそうなるのか、とにかくやけに甘ったるい匂いもとい臭いをぷんぷんさせながら、足音は私の隣でぴたりと止まった。
閉じていた目を開けば相も変わらずだるそうな坂田がコンビニだかスーパーだかの袋をぶら下げてつっ立っていた。

「座らないんですか?」

「座っていいの?」

「いいですよ」

最近はちょっと触っただけでセクハラとかなんとかうるさいからね、とかなんとかぼやきながら坂田はその場に座り込む。きっと着物にシワが寄るだとか、そんなこと気にもしないんだろう。アイロンは新八君がかけてくれるのか。

「やだなあ、坂田さんなんてセクハラしかしないじゃないですか」

「なに、俺のことそんな風に思ってたの」

「だって顔がひわ……いや、なんでもないです」

「うんもうそれ全部言ったのと変わらないからね」

「あー!ビールあるじゃないですか!飲もうぜ!」

「てめっ、勝手に人の袋漁んな!」

「いいですよ、私エロ本とか気にしないほうですから」

「なんで入ってる前提なの!?」

「つまみは……ないのか。オカズはあるけど」

「ないでしょ!?ねえないでしょ!?」

喚く彼を無視して袋の中のいくつかから一本を拝借した。タブを引き上げると、カコッと金属のぶつかる音と泡が出す微かな潮騒が聞こえた。どうせぶらぶら揺り動かしてきたんだろう。今にも零れそうな泡を口元に運んだ。舌を通過させ、喉にためらいなく流し込む。ごきゅり、と我ながら見事に美味しそうな鳴らし方だ。

「あーあーあー、若い女が昼間っからビールなんか飲んじゃってェ、嫁のもらい手がなくなるぞドチクショー」

隣でも同じように金属音、潮騒、「ごきゅり」が聞こえる。視界の先に干からびたイカを突き出されて、行儀悪くもそのまま噛み付く。

「ふふぁふぃなんへふぁっはんでふか」

「なんか着物に入ってた」

「……」

咀嚼をやめようか迷ったが、贅沢は言うまい。ただでさえビールを頂戴しているのだ。それを誤魔化すようにごきゅりごきゅりと喉を鳴らし続ける。

「よっ!人の酒でいい飲みっぷり!」

「ごっつぁんです」

「そうじゃねえだろ」

ぶつくさ言いいながら自分でも飲んだ後、またスルメを差し出される。勢いでこちらもまた行儀悪くぱくついた。もっしゃもっしゃと噛んでいると、喉が渇いてきてまた手元の缶を傾けてしまう。

「やばい。坂田さんめっちゃいいモン持ち歩いてるね」

「だろだろ?銀さんいつもめっちゃ立派なモンぶらさげてるからね」

「ああそうですね今のをセクハラと言わずなんと言うんでしょうね」

またまたスルメを目の前に突き出されて、これまた反射でくわえてから、くわえたまま差し出した本人の顔を覗き込む。その表情はまるで馬にニンジンを上げる馬主のようで、なんというかまあ、そう悪い心地はしなかった。アルコールで頭が回らないせいか、なんの恥ずかしげもなく見つめ続ける。見つめられているはずの坂田さんも、無感動なあの瞳でこちらを眺めていた。
春の柔らかい匂いを運ぶ風が酔っ払いの間に吹き抜けて、桜の白い花びらをほんの少しだけ散らした。
突然、へにゃりとだらしなく頬を緩めて坂田さんが笑った。

「なんれす?」

「いやあ、こんな昼間に大の大人が二人も揃ってなにやってんのかなー、と思って」

少し押されたので、スルメを少し飲み込んで、そうして彼の手から私の口へと所有権が譲渡された。うまい海産物、海産物はうまい。相変わらず彼と向かいあったまま、ごくりとそれを飲む。

「楽しくないですか?」

「……いや、それなりに楽しいよ」

「奇遇ですね、私もです」

缶を傾けたものの一滴が垂れただけで続きがこない。飲み口を覗き込む。どうやら空になってしまったようだ。彼のほうを窺うように見ると、新しく、二本、ビールを取り出すところだった。
また風が吹く。彼の雲のような頭に、白い花びらがふわりと舞い降りた。



花よりスルメ、もしくは馬主



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