「ない、ない、ない、ないっ!」

「うちの主殿は元気だなあ」

「三日月、ここに置いといたお菓子食べた!?」

「さて、俺ではないと思うが……」

「じゃあ鶯のほうか!」

開け放した戸棚の中は、ぽっかりと皿一枚分のスペースが空いていた。足元には自分の名前を書いた紙が落ちている。恐らく本当に気がついていなかったのだと思うが、もしもわざとやっているのなら永遠に内番に回してやりたいくらいだ。
廊下を小走りに進んで行くと、何人かは驚いたように道を開け、何人かは察したように道を指した。

ぽかぽかと暖かい陽気で、今はそれが鬱陶しい。木枯らしでも吹いていれば、頭も冷えたかもしれないのに。

「あのさあ!」

「待て待て。茶に埃が入ってしまうだろう」

のんびりとした様子で、自分の身体を挟んで私と反対の側にお茶を移動させる。
まるで私が悪いことをしているみたいじゃないか。余計に腹が立つ。

「そのお菓子、私のだったんだけど」

もう敷紙しか残っていないけれど、自分のお金で買った正真正銘どこをどうひっくり返しても私の所有物だったのだ。

「そうなのか?」

「名前も書いておいたんだけど」

「うーん、気がつかなかった」

考え込むように腕を組んで、数拍置いて小さく声を上げる。

「あ」

「なに」

「とても美味かった。馳走になったな」

嫌味でも誤魔化しでもなく、本気で言っているから手に負えない。
私だってはじめの数回は仕方のないことだと諦めた。というかそもそも怒りもしなかった。現世に慣れていないし、元々のんびりした性質のようだ。感覚だって刀剣と人間ではかなり違うだろうし、あまり責めるものでもないだろうと。
けれど、私はただの人だ。そして、相手も姿は人。会話もできる。注意もできる。私の堪忍袋の尾も切れる。

「いい加減にしてよ!勝手に私のお菓子を食べないで!」

「相分かった」

「それももう何回も聞いた!」

言いたいことがありすぎて、かえって言葉が詰まる。鶯丸はいつもの泰然とした微笑で続きを待っている。

「もういい」

結局出たのは諦めのため息で、その場で踵を返す。
怒っても伝わらないことは分かっているはずなのに、どうしても感情が制御できない。自分が子供なのかそもそもの性質か。損なことは間違いない。刀剣達もこんな審神者に顕現させられて運の無いことだ。世の中にはもっと懐の大きな審神者がたくさんいるというのに。

「また怒ってんのか。忙しいなあ、大将は」

「またお熱が出てしまいますよ」

「ぐうの音も出ないって顔だね」

「ぐう」

「出てる出てる」

「鶯丸殿も悪気があるわけではないと思うのですが」

「なにぶん大らかな方なので……」

縁側に集まってなにをしていたのか、粟田口の短刀達が次々と口を開く。

「分かってるよ、分かってるけど頭にくるんだもん」

見た目だけなら子供達に慰められ窘められおかしなことこの上ないが、中身はこちらのほうがとんだひよっ子。アドバイスは素直に受け止めるが吉だろう。

そして案の定というか、その晩は熱が出た。新しい刀剣を顕現させたのも原因だと思う。本来なら色々案内をしなければいけないところだが、ひとまずほかの刀達に託した。
刀剣の顕現には気力体力が必要で、元々適性が高くない私の場合、免疫力の低下、つまりは体調不良として跳ね返ってくることが多い。ストレスが溜まれば尚更だ。だんだんと慣れてきたので寝込むことは少なくなっていたけれど、一日に三振りはやはりきつかった。
男子達も手慣れたもので、伏せっても必要以上に心配することもなく、もはや日常的な風景だ。情けない気持ちもあるが、こういうものだと割り切るしかない。

障子の向こうから差し込む月明かりで、部屋の中はぼんやりと明るい。布団に横たわってうとうとしていると、廊下から声が聞こえた。

「主殿」

鶯丸の声だった。昼間に大きな声を出してしまったこともあって少し気まずい。しかし本人に悪気がない以上はこちらが悩むだけ無駄というもの。

「鶯丸?あの、昼間のことだけど、」

口を開いて、自分の迂闊さに気がつく。障子の向こう、月に照らされた影は、刀剣達のものでも、ましてや人のものでもない。明らかに呼んではいないものだった。力の溜まる場所にはこういう良くないものが混ざり込むというが、実際に遭遇するのは初めてだ。
知識としては教わったが、霊能力など無いに等しい自分に対処できるだろうか。言葉を交わした上に、名前まで与えてしまった。

「主殿、アノ、昼間ノコトダゲド」

そんなに強いものではないだろう。そうだとしたらすぐに男士達が気がつく。私の言葉を繰り返すところも、人の言葉を真似することは出来てもそれ以上はできないという証拠だろう。塩を撒くとかお経を唱えるとか、そのくらいでも怯んで逃げ出してくれるかもしれない。

「主殿、鶯丸ニ怒リヲ抱エテイルナ」

そう思っていたのに、鶯丸の声で、喋る。

「理解シテクレナイ怒リ、理解デキナイ怒リ。不可解、不可解。俺ナラ言ウコトヲ聞ク」

じっとりと、言葉が絡みつく。簡単な呪詛なのに、弱った体、迷った心では跳ね返せない。

「主殿、鶯丸ダ。ナンデモ言ウコトヲ聞ク鶯丸ダ」

襖が開いていく。真っ黒い大きな影は、私が目にした途端に人の形に収束していく。鶯丸のシルエットになったそれが、部屋に踏み込んだ。

「主殿、俺二シロ、言ウコトヲ聞イテヤルゾ」

真っ黒のはずなのに、ニヤリと笑ったように見えた。輪郭は安定せず、炎のように揺れている。
これに触れられたらどうなるのだろう。力を奪われる、操られる、あまりよろしくない結果になるのは確かだ。
ゆらゆらとした足取りで近づいてくる。
金縛りにあったように動けなくて、声が出ない。

「主殿、俺ガ鶯丸ダ」

枕元に膝をついて腕を伸ばしてくる。近づいてくる影から、チリチリと嫌な気配を感じる。喉が締まったように苦しくなって、自分の鼓動の音がやけに響く。

その伸ばした腕と腕の間を、一筋の切っ先が通り過ぎた。黒い影が霧散する。

「馬鹿を言うな、俺が鶯丸だ」

切っ先を辿ると、月明かりを背にして何事もなかったかのように笑う彼が立っていた。刀を鞘に収める。
途端に、震えが止まらなくなった。思い出したかのように酸素を吸う。丸めた背中をさすられて、ようやく呼吸が整ってくる。

「鶯丸、ほんもの、だよね」

「災難だったな」

額に張り付いた髪を梳かれる。指先が触れた途端に、彼が彼だと理解した。

「ちがう、私が無能だった」

「なんだ、やけにしおらしいな」

「あんなのも追い返せない」

「主殿は人の子だ、しかたない」

「だって、」

言い募る私の頭を宥めるように撫でた。

「日頃の菓子のお礼に、少し返そうか」

「なにを、」

ふわりと肩を抱きかかえられたと思ったら、唇を押し付けられる。二度、三度と確かめるように角度を変えて、一度にこりと笑う。驚いて彼の腕の中で固まっていると、またすぐに近づいてきて、今度はぬるりとしたものが浸入した。反射で爪先がピンと伸びた。けれど、抵抗する力もなくて大人しく受け入れる。なんだこれ、気持ちいい。

「どうだ?」

「どうだ、って、」

こちらは呼吸の仕方も分からず、息も絶え絶えだ。

「力を少し移しておいた、だいぶ楽になっただろう」

「そういえば」

特有のだるさが軽くなって、普段の体調とあまり変わらない気がする。付喪神にもなるとこういう力の使い方ができるのか。

「人の体というのもいいものだな。またやりたいな」

「また、」

無邪気な笑顔で言われて、返答に困る。行為の意味は分かっているのだろうか。怖くて聞けない。
いろいろ考えるとせっかく下がった熱がまた上がってしまいそうだ。
考えることを放棄して、とりあえず目を閉じた。眠ったと思ってくれたのか、丁寧に布団に戻してくれる。

去り際、トドメとばかりに頬にも口付けられて、情操教育の必要性を痛感した。









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