「長谷部、長谷部」

「はい、主。なんでしょうか」

障子の影から小さく手招きすれば、律儀にも書き物をしていた手を止めてこちらに近づいてくる。おまけに私がひっそりと呼んだものだから、長谷部も少し背を屈めて内緒話モードだ。自覚があるかどうかはまだ分からないが、堅物のように見えて意外とお茶目だ。

「ちょっとした伝手でカステラをいただいたんだけどね、二切れしかないの」

「はい」

「二人でこっそり食べましょう」

「おや、主がそのようなことをなさるとは珍しいですね」

「長谷部にはいつも仕事を手伝ってもらってるから」

「好きでやっていることですのでお気になさらず」

断られるのかと思ったけれど、台詞とは裏腹に体をずらして部屋の奥を指した。

「お茶を淹れて参りますので、どうぞ中でお待ちください」

「じゃあお願いしようかな」

「はい」

にこりと笑って廊下の奥へと消えていく。机の上にはいくつか報告書の束がある。添削をお願いしたものだ。顕現の仕組みは未だに分からないことのほうが多い。性格や人間らしい能力に関しては、なぜここまで個性があるのかはっきりしていない。国宝にも指定された名刀の長谷部が、なぜ事務方が得意なのかは知る由もない。
机の前には今まで長谷部が座っていた座布団があって、畳の上にはその一枚だけだ。勝手に座るのもなんだかおかしな気がして、カステラの包みを抱えたまま立ち尽くす。部屋の中はすっきり、というよりも必要最低限の物しか置いていない。洒落気のある歌仙の部屋とは大違いだ。

「入ります」

外から声がして、静かに障子戸が滑る。数少ないティーセットのうちのふたつがお盆に乗っていた。

「申し訳ありません、布団も出さずに」

「そんなこと気にしなくていいよ」

手早く片付けた机の上にお盆を置いてから、部屋の奥にある襖に手を掛けた。上の段には寝具が、下の段には引き出しと数枚の座布団が並んでいた。その中の一枚を取り出して、私に座るよう勧める。座りながら、チラリと視界にカラフルな物が映った。

「ん?長谷部、その缶はなあに?」

長方形の箱は黄色やら赤やらで可愛らしい模様が描かれている。お菓子の容れ物だろうか。もしかして隠れ甘党なのかもしれない。

「あ、いえ、これはですね」

「ごめんごめん、趣味に干渉するつもりじゃないの。ちょっと気になっただけだから」

律儀な長谷部は私が問えば嫌でも答えてしまうだろう。

「やましいものではありませんよ」

そう言う割には、表情に後ろめたいようなものが見える。
口ごもりながらも、ポットから紅茶を注いでくれている。私も本題のカステラを包みから出して机に置いた。

「どうぞ」

「ありがとう」

差し出されたカップからはほのかに果物の香りがする。こっくりとした味のカステラによく合いそうだ。

「このカステラ、本部の近くにあるお菓子屋さんのものらしいんだけど、中々買えないんだって」

「数が少ないのですか?」

「そうみたい。手作りなうえにカステラがメインな店じゃないからあんまり作らないみたいね」

楊枝で半分に切ってから口に運ぶ。卵と砂糖はどうしてこう相性がいいのだろうか。しっとりとした歯ごたえ、しっかりとした甘み、王道のカステラだ。

「ザラメがいいアクセントですね」

「だね」

普段は生真面目で笑ってもあまり表情が崩れない長谷部だけれど、今は珍しく穏やかな顔をしていた。ほんの少し下がった目尻と、咀嚼しながらもほんの少し上がった口角で、いつもよりも柔らかな雰囲気だ。
視線に気がついたのか、折角の笑みを引っ込めてしまう。

「ちょ、ちょっと長谷部、なんで真顔になるの」

「主に腑抜けた顔を見せるわけにはいきません」

「腑抜けてないよ、大丈夫だよ」

「そんなことはありません」

「ほら、私なんていつもへらへらしてるって言われちゃうから、それに比べれば、ね?」

「それもどうかと思いますが……」

「おおう……」

まさかのリアクションにたじろぐ。長谷部だったらてっきり否定してくれると思っていたのに。

「主」

「はい」

「冗談です」

「は、長谷部が言うと冗談に聞こえないんだよ!」

「申し訳ありません、ちょっとした出来心で」

よほど私の表情に落差があったのか、笑いを堪えるように斜め下を見つめている。肩が小さく揺れているのでばればれだ。
さっきまで腑抜けだなんだと言っていたのにこの有様だ。感情の振れ幅は大きいほうなのかもしれない。それにしたって、

「笑い上戸か!」

「い、いえ、そのようなことは」

「堪えきれてないよ」

「それはそれは、失礼しました」

顔を上げた時にはいつもの整った微笑が浮かんでいた。
カップを机の上に置くと、立ち上がって襖へと歩いていく。中から取り出したのは、先ほど話題になった缶箱だ。

「お詫びにいくつかいかがですか」

ぱかりと持ち上げた蓋の下からには飴やらチョコやら金平糖やら、口に入れやすい駄菓子が詰まっていた。やっぱり甘党なんじゃないか。

「短刀達にやるんですよ。たまにそうでないのも混ざっていますが」

いくつかを拾い上げて私に差し出す。ありがたく頂戴して、ひとつを残してポケットにしまった。食べ終わったカステラの代わりに、ピンク色をした包みの中身を口に入れる。

「私もそうでないほうかな」

「ふふ、どうでしょう」

桃の香りが口に広がる。節句にはひと月ほど早いけれど、日は伸びたし風の冷たさも緩やかになった。二度目の春はずいぶんと賑やかになりそうだ。

「主」

「はいはい」

ぼーっとしていたので、長谷部が引き出しから何かを取り出したのにも気がつかなかった。小さな長方形は、紙で綺麗に包まれている。

「もうひとつ甘いものをどうぞ」

両手で差し出されて、両手で受け取る。軽い。

「部屋でこっそり召し上がってくださいね」

「あ、ありがとう」

不思議に思いつつも、それ以上は自分からは何も言わない長谷部に色々聞くのもおかしな気がして、結局その箱を開けたのは夜が更けてからだった。

「まさか、」

まさかこんなものをもらえるとは思っていなかった。
細かな模様の入ったそれは、口に入れれば甘く溶けて広がった。ほんの少しの苦味が舌に残る。男の人、とは少し違うかもしれないが、この日にコレをもらったのは初めてだ。日付が変わる前に箱を開けてよかった。
昼間の長谷部の表情を思い出して、もうひとつ口に含む。
刀剣の顕現に、なぜここまで個性が出るのか。何がそれを決めているのか。分からないし、知ってはいけないのかもしれない。
けれども、それが存在するのはまぎれもない事実だ。そして、そのことが自分にとって好ましいことも。

主と呼んで慕ってくれる。短刀達に甘いものを配る。さらにはこんな贈り物までしてくれる。

「ありがとう、長谷部」

直接伝えれば、またあの笑顔を見せてくれるに違いない。堅物なように見えて、案外お菓子のように柔らかいのが彼なのかもしれなかった。



back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -