「ねえ、ちょっと手ぇ出して!」
「こうかい?」
「余っちゃったからお裾分け」
「うっわ」
心底嫌そうな声を出しながら、思いきり顔を歪める。こんな顔ですら様になるのだから、神様とやらはよほどのメンクイに相違ない。
「これは、なんだかベトベトするけれど?」
「ハンドクリームだよ」
「ああ、これが」
どういう仕組みになっているかさっぱり分からないが、彼らは顕現する際に現在までの知識を与えられているようだ。だから、彼らが鍛えられた時代には存在しなかったものでも大抵のことは理解できるらしい。
白くて長い少し節くれた手をこすりあわせてから、まじまじと自分の手を眺めている。どうやら感心しているみたいだ。
「便利、というか、有り難いものなんだろうね」
「有り難い、ときましたか」
確かに、昔はこんなに良い薬も無かっただろうし、あったとしても気軽には使えなかっただろう。けれど、一体彼はどの視点から見てそんな感想を抱いたのか。
「ところで」
「はい?」
「今のはどういう嫌がらせだい?」
「えっ、嫌がらせじゃないんですけど〜」
すぐに顔をしかめる。顕現した当初はクールビューティーだと思ったのに、存外喜怒哀楽が激しい。
「モテテクってやつ。さりげないスキンシップ」
「全然さりげなくないしそもそも君、モテテクって」
「なに」
「合コンなんか行かないだろ」
「歌仙の口から合コンて!」
純和風な優男からそんな単語が飛び出してくるとは思わなかった。しかもこの口ぶりは具体的にどういうものか知っていそうな感じだ。
「合コンよりはオフィスとか学校で使うのかな?」
「よーし私が悪かった」
これ以上その雅な口から俗世にまみれた話は聞きたくない。
「ちょっとやってみたかっただけだよ、めんごめんご」
まだ何か言い足りなさそうな歌仙を無視して襖を閉めた。一見寒々しい、けれど実は床暖房が入った木目の廊下を歩いて自室に向かう。
ハンドクリームなんて塗っても水仕事ですぐに落ちてしまう。今日は少し時間が空いたから、ずっと出番の無かったクリームを取り出して使ってみたのだ。それをくれた友人との会話を思い出して、ふとした悪戯心から今に至る。
「塗ればマシになるんだから確かに便利だなあ」
さっきの歌仙みたいに、自分の手をまじまじと見つめる。普段はカサカサだ。でもそんなことを気にする性質でもないし、余裕もない。水仕事をしているのだって人手(刀剣手?)が足りないからだ。出陣と遠征に回せば本丸に残るのは数人。それだって手入れだ武具だ内番と言っていれば、やはり私が働くしかない。一応神だし、彼ら。
夕方まで報告書類を作って、夕飯の支度をして、片付けをして、明日の編成を確認して、お風呂に入って。いつも通りの夜を過ごす。その頃には昼間の出来事を忘れていた。思い出したのは、珍しく眠る直前に歌仙が訪ねてきたからだ。
「まだ起きてるだろう?」
「うん。今布団に入ろうと思ってた」
「それはちょうど良かった」
中々入って来ないのでこちらから襖を開ける。
「どしたの?」
「手を出してくれないか?」
「こう?」
「はい、お裾分け」
ぬるっとした感触に一瞬手を引っ込めかけてすぐに正体を思い付く。温かい手がにぎにぎとマッサージを始めた。一体どんな顔をしているかと思えば、少年のような邪気のない笑顔だった。
「いい匂いだろう」
「言われてみれば」
柔らかい香りがほんのりと届いた。
「買ったの?」
「買ったよ」
話をしている間にも、お裾分け分では足りなくなったクリームが補充されて指先まで丁寧に塗りこまれる。パッケージはずいぶん可愛らしい。多分恥ずかしげもなく買ったのだろう。
「君は水仕事が多いから必要だと思って」
「くれるの?」
「あげないよ」
私に必要だと思ったくせに私にくれるわけではないのか。
「君にあげたらしまい込んで使わなくなるに決まっている」
「……よくぞお見通しで」
気が済んだらしい歌仙は、私の手を検分してからもういいと言うように軽く押し返した。まったく、遠慮のない奴だ。誰に似たんだ。
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、うん、おやすみ」
明日も来るよとか、いつも水仕事ありがとうとか、そういう台詞は一切無いくせに、なんか労ってくれているんだろうなあ、というのは伝わってくる。たぶん買った分が無くなるまでは毎晩来てくれるんだろうなあ、ということも。
襖を閉めて明かりを消して布団にもぐる。
手がポカポカして、心地よい。確かに、有り難いものだ。何が、とは言わないけれど。
握りこんだ手の平はいつもよりも柔らかくて、自然と顔がにやけた。