真っ暗闇の中で目を開いた。慌てて体を起こしたものの、それまでの景色とは様子が違っていた。自分が掴んでいるのが、この国では最高級と謳われている掛け布団であることを確認して、今まで見ていたものが全て夢だと気がついた。静かに息を吸って、吐く。まだ心臓がドキドキと駆けている。有り得ない夢だった。だから、そんな夢を見てしまったことがひどく不安になった。横になってみたものの、努力しないと目を閉じていられなかった。今日一日は寝不足になるのを覚悟して、布団を抜け出す。上着を羽織って、靴下を履いた。重たい扉を静かに開ける。
思った通り、空気は冷たかった。隣の部屋では有利とヴォルフラムが仲良く寝ているはずだ。やはり重たい扉をそっと開く。ぐぐぴぐぐぴとヴォルフラムのいびきが聞こえてきた。ベッドに近づくと、ヴォルフラムの白くて意外に筋肉質な脚が有利のお腹の上に乗っているのが見えた。そのせいか少し魘されているようだ。つまり、きっといつも通りに眠っているのだ。安心して、シワの寄った眉間にデコピンをお見舞いする。こんなことをしても起きないのは地球でもこっちでも変わらないらしい。

静かにその場を後にして、再び廊下に出た。歩いたところで目的地はなく、埼玉の自宅のようにキッチンで温かいものを調達できるわけでもなく、ただただ歩く。広い城だ、歩く分には困らない。王のプライベートフロアだからか、見張りの兵士さんも少なくて、場所を選びさえすれば誰と鉢合わせることもない。

はずだった。

何事にも少数派はいるものだ。それとも彼にはセンサーでも付いているのだろうか。昼間よりも幾分ラフな格好のウェラー卿は、とっくにこちらに気がついていたのか、物分かりの良い教師みたいな顔で待ち構えていた。

「コンラートって、いつ寝てるの?」

「お姫様より先に従者が眠るわけにはいきません」

「そんな柄じゃないけどね」

なんだか上手く笑えていない気がして、少しだけ視線を反らした。目敏い彼がそれに気がつかないはずもなく、何か言おうと口を開きかけた。それを遮るために近付いて、先に喋る。

「どこか飲みにでも出かけた?」

「どうして?」

「なんか……香水みたいな匂いがする」

何とはなしに聞いた質問だったけれど、近付いてみたら鼻がむずついた。これは酒場というより……そういうお店だろうか。いわゆる、キレイなお姉さんがたくさんいるところ。

「よく分かりましたね。アイツ、今日はいつもと違う香水を付けたからって必要以上に近付いてきて」

自分の肩口に鼻を近づけて苦笑いなんかしている。
そんな彼の様子に、さっきまでの夢なんてメじゃないくらいの衝撃を受けた。だって、「アイツ」だなんてずいぶん親しげな様子だ。これまで恋人がいるなんて話は聞いたことがないし、ゆーちゃんに茶化されてもことごとく否定していたのに、ちゃっかりしっかりそんな女性がいたなんて!

「なんかショックだよ……」

別にコンラートのことをそういう対象として見ていたわけではないけれど、いないいないと言いながら実はいたなんてなんというか、そう、寂しくて悔しい。隠されていたことが寂しくて、自分には話してくれていなかったということが悔しい。

「別に恋人がいるならいるって言えばいいじゃんか」

非常に子どもっぽいけれども、いじけた気分になってきた。非難の意味も込めて、数歩離れる。
言われたコンラートは、少しだけ驚いて、すぐに小さく笑った。

「違いますよ」

「何がだよー、仲の良い友達なんて言わないでよ?友達以上恋人未満は恋人と見なすからね」

「ははっ、ヨザックですよ、ヨザック」

「……ヨザックぅ?」

「なんて言うんですかね、女装した男性が働いている店ですよ。俗に言う、」

「オカマバー?」

「それです」

つまり、ヨザックではなくグリ江ちゃんと会ってきたというわけだ。グリ江ちゃんなら香水だって付けるしお化粧だってするだろう。確かに彼は、恋人ではない。うん、なるほど、合点がいった。

というのがまるっと顔に出ていたらしく。堪えきれないようにコンラートが笑いだした。ただし、夜中なので小さな音で。

「そんなに笑うことないじゃんか」

「いえ、嬉しくて」

「嬉しい?」

「貴女に嫉妬して頂けて、光栄です」

こういうことをさらっと言うからダメなのだ。これが普通の女子高生ならクラッとしてラブだ。私が普通の女子高生ではなく、魔王の兄弟なことに感謝して欲しいくらいだ。

「コンラートの意地悪」

「すみません」

全然悪いと思っていなさそうな声だった。彼だけ余裕綽々なのがやはり悔しくて、そっぽを向いて歩き出す。

「それで?」

「うん?」

「こんな夜中にどうしたんです?嫌な夢でも見ましたか」

足を止めて、振り返る。

「今のでどうでもよくなっちゃった!」

まったく、現実に比べたら悪夢なんて些細なものだ。例えそれが笑い話にもできないような酷い内容でも、やはり夢は夢でしかないのだろう。そんな悪夢より「ウェラー卿彼女いる疑惑」のほうがよっぽど気になってしまう。
そういうことにしておきたい。

「……だったらいいんですが」

長い足でこちらに近づき、手を差し出す。反射的にその手を握ってしまった。

「では、戻りましょうか。エスコートします」

「あーあ、捕まっちゃった」

握った右手は温かかった。この手で彼は有利を守ってくれているというのに、なぜあんな夢を見てしまったのだろう。少しだけ罪悪感を覚える。
握った手をそっと離して、部屋の前までのんびりと戻る。

「おやすみなさい」

「……眠れそうですか?」

「うん、大丈夫。寝坊しちゃうかも」

やはり心配してくれていたらしい彼に小さく手を振って扉を閉める。真っ直ぐベッドに向かって、靴下と上着は適当に放り投げて横になった。二、三度まばたきをしてから目を閉じる。胸の中は少しだけざわついていたけれど、なんとか眠れそうだ。





扉を開ける。盆をサイドテーブルに置いてから静かに彼女に近寄る。小さな寝息は穏やかなものだった。どうやら持ってきたカップの中身は自分で飲むことになりそうだ。
ベッドに腰かけて、顔にかかった髪をそっと払う。先ほどのぎこちない表情は話しているうちに消えていったが、あの反応からするに自分も夢に登場したに違いない。
本当は、こちらの世界になど来ないほうが良かったのだろう。地球の、それも日本にいればこれほど悲惨な光景を見ることはなかったはずだ。あちらとこちらでは、生と死に対する距離が違いすぎる。この世界を知れば知るほど、きっと彼女達の傷は増えていく。安全な場所で何不自由なく暮らすことだってできるのに、彼らはそれを望まない。傷つくことを知っていて、知ることをやめようとしない。そんなところがひどく愛しい。

「……コンラート?」

「まだ夜明けまで時間があります。眠ってください」

彼女は、薄く開いた目をすぐに閉じた。

「有利も私も、今は好きでここにいるんだよ」

頭の中を見透かされたのかと思って、反応が遅れた。返事をする前に小さな声で言葉は続く。

「だから、あんなことしないでね」

「あんなこと?」

「うん……」

眠ってしまったのか、彼女はそれきり喋らなかった。あんなこととは、どんなことだろう。あまり楽しくない想像はいくつもできる。そんな自分に嫌気が差しながらも、彼女の寝顔を見ているだけで穏やかな気持ちになれるのだから、自分も存外単純らしい。
黒髪を一度だけ撫でて、立ち上がる。

陛下の様子を見たら自分も少し眠ろう。今日はぐっすりと眠れる気がする。



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