その日眞魔国には、雪が降った。
冷たい結晶は優しく集まって、地面にそっと落ちていた。うっすらと白くなった地面を歩くのが申しわけなくなって、立ち止まる。振り返れば既に付けた足跡が連なっているというのに、何を今さらという気もするけれど。
「どうしました?」
「うん……なんでもないよ」
城内を散歩すると言うと、コンラートは二人分の外套を持ってきた。それからこうして一時間ほど歩いている。
「降ってきましたね。戻りますか?」
「もうちょっと歩く」
「寒くはないですか?」
「寒いけど……あ、もう戻る?」
「いえ、殿下が平気ならいいんです」
彼の茶色の外套の肩にも、うっすらと雪が積もっている。息を吐く度に白い塊が空へ散っていく。それはコンラートも私も同じで、けれど多分、指先が冷たいのは私だけだろう。
黙ったままそこに立っていても、彼はもう何も言わない。ただ静かに隣にいる。雪は降り続け、積もり続けるけれど、それが分からないくらいには軽い。
「コンラートは寒さにも熱さにも強いね」
「そういう風に訓練してますからね」
「訓練でどうにかなるものなの?」
「大抵のことはそうですよ」
「そっかあ」
とはいえ、それはそれなりに気の遠くなるようなことではあると思う。
白い地面を踏み進む。くっきりとついた足跡は、二人分。空気は冷たいけれど、外にいたい気分だった。
「こっちはよく雪が降るの?」
「ええ。もう少し寒くなれば月の半分くらいは雪ですよ」
「そりゃ雪かきが大変そうだ」
「冬場の訓練にはもってこいですけどね」
「ゆーちゃんもトレーニングだー、とか言って喜んで手伝いそう。どっちかって言えば『犬は喜び庭駆け回る』ほうだし」
「犬、ですか」
不思議そうに首を傾けるコンラートに、例の歌を口ずさむ。これが日本の冬の定番なんだ、と添えると、有利が走り回っている姿を想像したのか、コンラートが控えめな声で笑う。
「確かに部屋の中で大人しくしているタイプではありませんね」
「それに実家のほうはそこまで雪が積もらないんだよね。だからちょっとでも積もれば大喜び」
「殿下は?」
「……もちろん私も」
まごうことなき犬派である。
けれどどういうわけだか、今日はそんな気分にはならなかった。この白い絨毯をそのままにしておきたかった。
そうしてもう一度立ち止まる。
「綺麗だなあ」
綺麗なものは、綺麗なままがいい。
見上げれば、くすんだ白い空から眩しい白が音もなく降り注ぐ。
「この分だと、俺達の足跡もすぐに消えてしまいますよ」
同じように首を傾けたコンラートが、少し笑って言った。
「そっか…じゃあ大丈夫だね」
「ええ。好きなだけ「犬」をしても大丈夫ですよ」
伸ばされた手が、優しく頭上を通りすぎる。ぱさりと、雪が地面に落ちた。
こちらも少しだけ背伸びをして、手を伸ばす。妙に笑みを深めたコンラートに悪戯心が湧いてきて、雪を払うついでにその茶色い髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。
「じゃあ城まで競争ね!」
勝てないのは分かっているのでせめてものフライングだ。
分かりました、と離れたところから弾んだような声が聞こえる。
結局、途中から雪を投げあって散々回り道をしたせいで、玄関に辿り着く頃には二人とも雪まみれになっていた。
「ゆーちゃんに怒られそう」
「ギュンターではなく?」
「ギュンターもだけど、ゆーちゃんはなんで二人だけで遊んだんだ!って」
「そうしたら陛下も誘ってまた「犬」をしましょう」
ほら、と言われて振り返れば、二人の足跡がだんだんと薄くなっているところだった。
「証拠隠滅、だね」
「ええ」
「足跡付けても、元通りだね」
「俺は降ったばかりの景色も好きですが、誰かが歩いた後の景色も好きですよ。今みたいに不規則なものは特に」
「なんで?」
「誰かが楽しく遊んでいたかと思うと、俺まで童心に帰れる気がして」
そうか。それなら綺麗なままじゃなくてもいいかもしれない。
雪で冷たくなったコンラートの手が頭に乗る。二、三度優しく撫でられてから、最後に彼にしては珍しくわざとくしゃくしゃと髪をかき混ぜた。
「お返しです」
きっとぼさぼさになった髪の毛だけれど、楽しそうに見えるならそれもいいかもしれないと思えた。