「ジャン、隣いい?」
「ああ」
何回目だろうか。数えるのも馬鹿らしくなってきた。あの日から、事あるごとに聞いたセリフだ。「ずいぶん懐かれたな」なんて揶揄してきたのはライナーだった。訓練兵時代に仲が良かった奴は駐屯兵団に行ったのか、それとも死んだか。他に知り合いがいないわけでもないだろうに、なぜかいつも俺のところに来た。
「なに?」
「あ?」
「なんかちらちら見てくるから」
「見てたか?」
「うん」
「おまえが自意識過剰なんじゃねーの」
「自覚ないなら別にいいけど」
単に気になっただけのようだ。
「痩せたか?」
「胸以外はね」
「ああ、減る分もなかったもんな」
「そうじゃねーよ」
「あっ、てめ!」
最後の一欠片だったパンを横から取られる。手を伸ばしたときにはとっくに奴の胃袋にしまわれて、おまけにさっさと食器を片付けに逃げられてしまった。
アルミンとかサシャとかクリスタとか、そこら辺と食べるほうがよっぽど楽しいだろうになぜ俺のところに来るか理解できない。残った味のないスープを一気に流し込んで、奴の背中を追いかける。
すぐに追いつく予定だったのに、気がつけば見失っていた。大して広くない隊舎だから探せば見つかるだろうが、それはなんだか気にくわない。大人しく部屋に戻ろうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「ジャン」
「……なんだアルミンか」
「なんだとはひどいなあ」
ボタンを上まできっちり締めている。上官にでも呼ばれていたのだろうか。
「今から飯か?」
「うん、提出しなきゃいけない書類があってね」
「急がねえとなくなるぞ」
ええ?と慌てたように目を丸くしたアルミンは、すれ違い様にこんなことを言った。
「そういえば井戸のとこに忘れ物してたよ」
「うん?」
忘れ物ってなんだよ、と聞く前に扉は閉められていた。まあいい、行けば分かるだろう。
圧倒的に人員が足りないというのは本当らしく、井戸に行くまでに誰ともすれ違わなかった。夕飯時だったせいかもしれない。本格的に暗くなる前に忘れ物とやらを見つけて戻ろう。そう思ったのに、それらしきものはない。
「んだよ、アルミンの奴」
思わずそう呟いたとき、物陰から砂利の動く音が聞こえた。それを足音だと認識した瞬間、体が動いていた。5歩で駆け寄ると、見慣れた後ろ姿があった。
「こんなとこで何やってんだよ」
「……べつに」
消え入るような小さな声だった。不審に思って手の届くところまで距離を詰める。そしてその肩を掴もうとしたとき、鼻をすする音が聞こえて動けなくなった。
「泣いてんのかよ」
「ち、がう、し」
否定する声が震えていて、もう聞くまでもない。
「どっか、行ってよ」
「だっておまえ、」
「ジャンと喧嘩してる時だけなの!」
強い口調に、再び伸ばしかけた手を引っ込める。
「その時だけ前と変わらない気持ちでいられるのに、ジャンにこんなとこ見られたらもうどうしたらいいか分かんなくなる」
ふやけた語尾は出会って以来初めて聞くもので、こいつだって誰かに聞かせたのは初めてなんじゃないかと自惚れる。あの日から今まで、こいつの取り乱しているところを見たことがなかった。たぶん親しい相手と会えないままに今日まで過ごして来たんだろう。ここでひっそりと、震えていたに違いない。
「俺は忘れ物を探しにきただけだ」
肩を掴めば振り返るのは予想できた。その勢いを利用してひっくり返す。地面に寝転がったそいつの隣にあぐらをかいて座り込む。赤く潤んだ瞳がこちらを呆然と見ていた。
「ああ、悪い。痛かったよなぁ?おまえ受け身下手くそだもんなあ?」
「ちょっと、」
「見つかるまで戻れねえから勝手に泣いてろ」
何かを言おうとして開いたままの口をきゅっと結ぶと、うつぶせの姿勢になってこちらに這い寄ってきた。俺の太ももにしがみついて顔を埋めて、やっとめそめそと泣き始める。手間どらせやがって迷惑な奴だ。
「人の情けない姿は見てるくせに、不公平だろうが」
「あんた、は、勝手に晒して、たんでしょう、が。ばーか」
「バカはおまえだよ、バカ」
もうこれ以上触れることはできなくて、もて余した手の平は地面に押し付けて誤魔化す。時々しゃくりあげる声が聞こえる以外は、いつも通りの静かな夜だった。
結局、忘れ物とやらは消灯近くなっても見つからなかった。代わりにズボンが少し汚れた。暗くなった後では表情もよく分からなかったが、あの感じだとさぞかしブスになっていたに違いない。見られなくて残念だ。
翌朝、食堂で相変わらず硬いパンをかじっていると奴が空のトレイを持って近づいてきた。
「今日はサシャ達と食べたんだ〜」
ニヤリと笑ってそう言うと、パンの一欠片を俺のトレイに落としていった。
後でアルミンに礼を言わなきゃなんねえな。