▼不器用な素直

時が流れるのは思いのほか早い
庭を駆け回っていた子ども時分から、大人と呼ばれる年齢になるまでは本当にあっという間だった
その私が、今度は親になるというのだから本当に時間の流れとは恐ろしいものだ


「なまえ!何をしている!?」

「三成様の夜着にほつれがありましたので、それを縫い直しているのですが」

「貴様は馬鹿か!
あれ程危険な事はするなと言っただろう!」

「危険なことと申されましても…」

「針など持つな!指でも刺したらどうするつもりだ!」

「…はぁ…」


しかしながら何より恐ろしいのは三成様の変わり様だった

秀吉様への忠誠心を筆頭に、元々何かに集中すると驚くほどの執着を見せる御方ではあったけれど、子どもが出来たと知ってからの三成様の私への過保護具合はもはや常軌を逸しているのではないかと思うほどのものになった

ただの嫉妬だとか心配症ならば笑い事で済ませるけれど、此処最近の三成様はもはや笑えないところまできている
仕事熱心なのも秀吉様至上主義なのも変わらないけれど、前よりも随分私と過ごされる時間が長くなった上、まるで姑のように口煩くなってしまわれた

気を使って下さるのは嬉しい
私やお腹の子どもを大事に思って下さるお気持ちも有り難いとは思っている
だけど、妊婦よりも気が立っている亭主というのは世間一般的に見てどうなのだろうかと偶に思う

今日も早々に仕事を終わらせて帰っていらした三成様は、私の手中から繕いかけの夜着をひったくると、廊下にいたらしい女中にその夜着を渡してぴしゃりと襖を閉められた


「繕いものくらいできますのに」

「貴様は大人しくしていろ」

「ですが、出歩きも家事も禁止されては私は何もすることがなくて退屈で御座います」


それとも日がな一日中横になって安静にしていろと仰るのか、と言外に非難の意を含めてそう言うと、さすがの三成様も私の不機嫌を察してか微妙な表情をされた

絶対的な信念を持ち、常にご自身に絶対の自信を置いていらっしゃる三成様も、武将という側面を剥がせば今はただの男である
だからこんな三成様の微妙な悩ましいお顔を拝見できるのは私ぐらいなもので、それが嬉しいとも思うのだけど、今だけは引けない


「…私は、子の扱い方など知らん」

「三成様…?」

「ましてや身重の妻にどうしてやればいいのかも分からん
母の腹に妹が居た時の記憶さえもう失せている私には、何の知識もない
だが、万が一の事だけは起こしたくない、そう思えば思うほどなまえに何もさせたくなくなる
…それが誤りだったのか」


眉根を寄せてどこか苦しそうにそう話される三成様に、凶王と呼ばれるその方の面影はひとつも見当たらない

…この御方は、酷く不器用であられる
そんな事はこの御方の妻になって直ぐに分かっていたこと、今更確認することでもない

それにしても三成様は本当に不器用すぎる
まるで何も知らない童子がたわいも無い失敗をしてしまったかのような落ち込み方をされるものだから、夫を目の前にしているというのに、まるで我が子を叱っている母のような気持ちになってしまった


「誤りでは御座いませんよ
ただ、すこーしばかり行き過ぎただけに御座います」

「…間違ってはいないのか」

「はい、私の見知らぬ所で食事や着物に気をきかせて下さる旦那様はとても素敵だと思いますから」

「誰が口を割った…!」

「それは申せませんわ」


くす、と笑いながらはぐらかすと、三成様は恨めしげな目で私を一睨みした後、ついとそっぽを向いて「夫として当然の事をしたまでだ」と半ば自棄にそう仰られた

食事は滋養に気を使うように台所の女中に言いつけ、着物や帯は相応しいものを自ら選別し侍女に用意させて
女中や侍女が大層驚き関心していたものだから、その噂が私の耳に届くまではそう時間は要さなかった


「…いつまで笑っている」

「あら、私が笑っている方がお腹の子にも良いでしょうに」

「そういうものか」

「そういうものです」


くすくすと笑いが止まらない私に向き直った三成様は、じっと私の膨らみ始めたお腹を見つめて、そっと手を伸ばされた
その手のなんと優しいことか
この手の優しさを知っているのは私だけでいいと思っていたけれど、もうすぐ、ふたりになるのですね


「…これだけしているのだ、無事に出て来い」

「待ち遠しいですか?」

「当然だ」

「三成様に似て可愛い子だと良いですねぇ」

「貴様、私が可愛いなどと戯れるか」

「母の目から見れば夫も子も等しく可愛いものです」

「貴様という奴は…」


怒っているのか呆れているのか、はたまた照れていらっしゃるのか
三成様は私のお腹をそっと撫でた後一度私をキッと睨んで、それから今度は私の頬に手を宛がわれた


「近頃随分口が達者になったようだ」

「そうでしょうか?」

「私は子への躾を怠るつもりはない…だが、その前に妻に躾が必要なようだな」

「それはどういう…っ」


不意に押し付けられた唇は少し久しい感触
お腹の子に障りがあるといけないからと、私へ触れることを極力避けていらした三成様の、久しぶりの口付けは、言葉通り私の口を封ずるように少し強く押し付けられた


「・・・っ、み、三成様!」

「この先をするのは問題だろうが、この程度なら許容範囲だろう」

「それは・・・!」

「余り口煩い女にはなるな、でなければ今のように黙らせる」

「…貴方様という御方は本当に…」


離れた唇の温度を惜しいと思ってしまう私は母である前にやはり一人の女なのかもしれない、と頭のどこか片隅で感じながらも、しれっとした顔で当然のように私に脅しをかける三成様を少し恨めしく思った


「子は貴様に似た方が良い」

「何故でしょう?」

「…その方が良いと思っただけだ、特に理由などない」

「そうですか、でもやはり私は三成様似の可愛いややが楽しみですわ」

「貴様!まだ私を可愛いなど、」

「あらあら、そんなお声を荒げられるとややに聞こえますよ?」




そう言えばぴたりと止まる三成様があまりに可笑しくて、耐え切れずに吹き出してしまった

本当に、素直な御方
そう思いながらくすくすと笑う私が、真っ赤な顔の三成様に再び「躾」をされるのは数える程遠くないすぐ先の未来のお話












不器用な素直
きっと、貴方様似の良い子でしょう