▼乱れそめにし 事件はある日突然やってくる 但しこの場合事件なんて言い方は少し私に対して失礼だ 私だって青春時代を生きるごく普通の女子高生なんだから、放課後屋上に呼び出されて男子から告白のひとつやふたつ、全然普通に起こっておかしくないことだ …多分、きっとおかしくはないこと 「あの、返事ってすぐ貰えるかな?」 「え!?あ、あぁうんえっと…」 あまりの衝撃にすっかり自分の世界に入り込んでしまって目の前の少年Aの事を忘れていた クラスメイトである彼の事は、名前も顔もよく知っているけれど今まで特にこれと言った関わりは無かったから、どうして彼が私のことを好きになったのか全く分からないし、まさか彼が私の事を好きだったなんて思いもしなかった 少し緊張した顔で、頬を赤く染めて私の答えを真摯な態度で待つ彼には素直に好感が持てる 最近どこぞの女王様のような人の掌中で弄ばれているかの如くの待遇を受けていた私からしてみれば、彼の真っ直ぐさは眩しいばかりのものだった きっと、彼と付き合えば幸せになれる ふとそう思った だけど同時に胸の内にひどい違和感を感じる どうしてだろう、目の前の真摯な彼の気持ちを受け取る気にはなれない 「好き」だなんて直球の言葉を貰ってときめかない女なんてそうそう居ない筈、私もどきりと胸が高鳴った だけど、違う この胸の高鳴りよりも、ずっとずっと「ときめき」に近いものを私は知っている 知っている…気がする 「…ごめんなさい、その…私、好きなひとがいるから」 凄く申し訳ない気持ちから俯いてしまいそうになったけれど、彼の真摯な気持ちにちゃんと答えたくて真っ直ぐ彼の目を見据えてそう告げた 彼は少し落胆したように一瞬酷く途惑った表情をした後、それを取り繕うように眉を下げて笑顔を作った 「そっか、俺の方こそごめんね突然」 「ううん、本当に気持ちは嬉しかったから」 「そう言って貰えると救われるよ その人と上手くいくといいね…じゃあ、俺、行くから」 「うん…」 人のいい笑顔を湛えたまま踵を返して屋上から出て行った彼の背中をぼうっと見送った後、私はフェンスに凭れかかるようにズルズルとその場に座り込んだ 頭上の空が青く眩しくて、自分の頭を抱えこむようにして俯いた 「好きなひとがいるから」咄嗟にそう言った その時に浮かんだ人の顔を思い出して、自分で自分が信じられないような気持ちになる あの一瞬の間に私の心に過ぎったのは… いつも少し意地悪な、隣の席の毛利君 「…こんな所で座りこんで何をしている」 「毛利君…?」 不意に地面に陰が射したと思って顔を上げれば、そこには何故か酷く不機嫌そうな顔をした毛利君が太陽を背にして私を見下ろしていた 「毛利君はどうして屋上にいるの?」 「部活中だが、あまりに捨て駒達の調子が奮わぬ故に休憩を入れて気晴らしにそこで楽譜を読んでいた」 そう言って毛利君が指さしたのは、給水タンクの裏 「読んでいた」という言葉を聞いて、私は弾けるように目が冴えて毛利君を見上げた 「じゃあ、もしかしてさっきの…」 「聞こえていた」 あっさりと罪悪感のかけらも見せずそう答えた毛利君に、再びがっくりと項垂れる 別に特に困る話を聞かれた訳じゃない 親しい友達と毛利君への不平不満を話している時の会話だったら聞かれて非常に困るものだけど、この場合、クラスメイトからの告白を断っただけだから特に何の問題もない筈だった なのに、どうしてか私はひどく困惑している 「何故斯様に貴様が落ち込む必要がある 振られたのはあの男の方であろう」 「そうだけど…何だろう こんな風に直接人の心を無下にした事ってなくて…しかも彼すごくいい人だったし、こんな機会二度と無いかも知れないのは私の方なのに…」 男の人に好意を明かして振られた経験というのは私にはないけれど、きっと酷く傷つくと思う 例えば、今目の前にいる毛利君に振られたら… 「馬鹿馬鹿しいな」 「…」 「貴様ほどの阿呆と付き合うにはあの男には器が足りぬ」 「…」 「少なくとも我ほどの器で無ければ、貴様程の愚か者は手に負えんだろうな」 「…じゃあ、毛利君が私と付き合ってくれるの?」 さっきから黙って聞いていれば随分と散々な言われようだ 少し前までのブルーな気持ちは何処へやら、私はいつものように棘棘しい毛利君の言葉に触発されて、目前に立つ毛利君を見上げながら半ばヤケになって挑発するような言葉を掛けた 「…良いだろう」 「え?」 当然「馬鹿を言うな」なり何なりと侮蔑されるような言葉が返ってくるものと思っていたのに、毛利君が呟いた言葉は先の私の言葉を肯定するものだった 思わぬ展開に間抜けな声を出した私に対して、毛利君の顔は真剣そのものだ これは私をからかっている時の毛利君の顔じゃない もっと、私の知らない、男のひとの顔だ 「貴様が望むのならば、それも良い」 「じょ、冗談じゃなくて?」 「貴様のような理解の悪い女に冗談を言うほど危うい事を我はせぬ …ところで、」 「はいっ!?」 すっと膝を突いて、座っている私と目線の高さを合わせた毛利君は、まるで逃がさないとでも言うかのようにそのまま片腕を私の背後のフェンスに突いて、切れ長の目でじっと私を見据えた 「先にあの男に言った「好きな人」とは何処の誰の事だ」 「あ、あれは…」 「あれは?」 じりじりと距離を詰めてくる毛利君から逃げられない私の心臓は、さっきとは比べ物にならないくらいに大きく鼓動していた これはときめきのドキドキなのか、それとも毛利君に捕食されそうなこの状況に対する恐怖心のハラハラなのか、そんな事を考えることすら出来ない程に私は追い詰められていた 「っ、あ、あれは咄嗟に…咄嗟に毛利君の顔が思い浮かんで言ったの! 自分でも全然なんで毛利君なのかよく分からないけど、だって毛利君ってドSだし、意地悪だし、ぜんっぜん真摯じゃないし! …でも、きっとそうなんだろうなって思って、咄嗟にあぁ言ったの!それだけだから!」 「…」 一体何が「それだけ」なのか 頭で考える暇も無く取り繕うように放たれた言葉は、要約すれば「自分でもよく分からないけど多分毛利君の事が好き」という事になる… 言い終わってからそれに気付くももう遅い 毛利君はじっと動かずまるで時が止まった人みたいだったけれど、少しの間を置いてバッと私から離れて顔を背けた 「も、毛利君…?」 「っ、よ、寄るな!」 「!…毛利君…顔赤い…」 「…!」 私から離れてそっぽを向く毛利君の横顔は、頬も耳も明らかに赤く染まっていた それに気付いた瞬間、私の中で何かが弾けたように私まで顔に熱が射して来る 「…貴様のような馬鹿者には我くらいの男でなければ釣り合わん」 「…うん、そうだね だから私、毛利君のこと好きになったのかも ねぇ、毛利君は、私の事好き?」 確認するように同じ事を言った毛利君に、今度は素直に自分の気持ちをぶつけた 不思議と羞恥心はそれほど感じない それより、私の問いに対する毛利君の返事が気になって仕方ない ドキドキ、高鳴る鼓動が緊張で張り詰めそうになった時、ゆっくりと毛利君の視線が私に向けられた 「…側に、置きたいと思う 他の誰かではなく、そなたでなければならぬ」 「毛利君…」 「なまえ、」 器用な毛利君が余りにも不器用な言葉で紡いだ想いは、私の中でむくむくと膨らんでどうしようもないくらいに苦しくなった 直接的な言葉ではなかったけれど、これが毛利君の伝え方なんだと馬鹿な私でも何となく分かる だって、そっと私の名前を呼ぶその声さえいつものそれとは全然色が違う 空いていた距離を再び詰めて、毛利君は私の頬に手を当てながらそっと耳元に口を寄せた 「なまえ、貴様は我のものぞ」 まるで催眠術をかけるかのように耳に直接注ぎ込まれたその言葉に、私は素直に頷くことしか出来なくなっていた 乱れそめにし 名前を、呼んだのは初めてであった そっとその名前を呟くだけで、何故か己の中に在る情が膨れ上がるような心地がする 我も、遂に我自身が理解できなくなったか 特に何と言って突出した物も持たない、むしろ忘れ物癖のある間抜けな女の何が良かったのか だがそう自分に問えば、自然とその答えは返ってくる 感情が素直に顔に出るところ、本を読んでいるときの真っ直ぐな眼差し、幼子のような無邪気な笑顔 何時の間にこの女にこれ程までにしてやられたのか、それだけが我の理解の範疇を超える 「どうしよう、私…目覚めそう」 「何にだ」 「捨て駒精神?あのドM部員の皆様への仲間入り…?」 ほのかに赤い頬を両手で抑えながら真剣にそう問うて来るなまえに盛大に溜息を吐く この女は我の捨て駒…部員達をそういう目で見ていたのか というかそもそも我を何だと思っているのか、それではまるで我がマゾ軍団を率いるサディスティックの親玉のようではないか もう一度深く溜息を吐いて、その間抜け面の額を指先で弾いてやった 「いたっ!」と声を上げて恨みがましく我を見上げるなまえの姿に口元が緩みそうになる …なるほど、此奴の言う事も一理あるやも知れぬ 「捨て駒になどしてやらぬわ」 「え!?」 「捨ててなるものか 最後まで我の側から離れる事は許さぬ」 相変わらずの間抜け面が茫然と我を見上げている それが何とも可笑しくて、少し赤くなっている額に今度は唇を落としてやった さて、今度は如何様な反応を見せるか楽しみなものだ |