▼たれゆゑに

テスト週間が終わった後の図書室程平和なところはない
血気盛んな生徒が多いこの学園では、絶対静寂を求められる空間である図書室はほぼ常に閑散としている

私みたいな平々凡々な読書好きの生徒からしてみればとても平和なことだ
利用者数の割には蔵書がかなり豊富だし、特に私の好きな歴史分野においては何故かうちの学園は大学図書館並み、いやそれ以上の蔵書を誇っていた(多分理事長の趣味)

とにかく、この空間は私にとって憩いの空間だった


「…貴様はまた歴史小説か」

「またって失礼な……って毛利君!?」


いつもの特等席、お決まりの場所で放課後読書を楽しんでいた私の横の椅子を引きながら声を掛けてきたのは、最近どうも何かしら縁がある毛利君だった

毛利君はそのまま私の隣に腰掛けると、驚いて声が上ずった私を「静かにせよ」と小声で諌めた
ハッとして周りを見渡せど、今日は本当に生徒が少ないらしくどこにも誰も見当たらない
カウンターからは本棚のお陰で死角になっているから司書さんの様子までは窺えないけれど、少し私が声を上げたところで迷惑がる人はいなさそうだった


「今日は部活ないの?」

「あったらここには居らぬだろう」

「ハイ、そうですね」


取り合えず小声で当たり障りのない事を訊いてみたけれど、毛利君は「見れば解るだろう」と言わんばかりのツンケンとした態度で、私には目もくれず分厚い本を開いた

これはどういう状況だろう
隣に、毛利君
これはある意味私にとって既に日常風景と言っておかしくなかったけれど、まさか図書室でまで隣に毛利君が座る事になるとは思いもしなかった

というか、何で毛利君はわざわざ私の隣に座ったんだろう?
この通り図書室はがら空きだから、どこへなりとも座る場所はある

誰も居ない広々とした空間に、私と毛利君だけがぽつんと並んで座っているこの状況が、何だか落ち着かない
少しそわそわして、読書にも集中できずチラチラと毛利君を盗み見していると、私の視線に気付いたらしい毛利君が怪訝な顔を私に向けてきた


「何ぞ、我に用でもあるのか」

「いや、別に用とかじゃないんだけど」

「ならば一体何だと言うのだ」

「その…何か、この空間に二人っきりって落ち着かないなぁと思って…」


思ったままの事を毛利君に告げると、毛利君は目を見開いて驚きを露にした
え、私そんなにおかしい事言ったかな
そう思って不安になった矢先、見開かれていた毛利君の目がやや細まり、口元が綻んだ
その顔に浮かんだのは、今まで私に向けられてきたようなイジワルな笑みではなくて、本当に鮮やかな微笑だった


「貴様、普通ならばそう思っていても口には出すまいぞ」

「だ、だって、毛利君はそう思わないの?」

「そう思っているならばわざわざ貴様の横に座りはせぬ」

「じゃあ、何で私の横に座ったの?」


余裕の笑みで慌てる私を眺める毛利君にそう訊けば、今度は途端に真剣な顔になった
私の表情から何かを読み取るようにじっと私を見据える毛利君の目は、真っ直ぐすぎてなんだか怖い


「貴様の横が、我にとって最も良い位置だと思うたからだ」

「え…?」


どくん、心臓が大きく跳ねた音がした
それってどういう意味だろう
すごく乙女的に捉えてしまっていいのか、それとも「我のオモチャ的意味で」なのかどっちに解釈していいのか分からない
或いは「我の駒的意味で」かもしれない

脳内で湧き上がる色々な候補が消えては浮かんでを繰り返す
すると真剣な顔をしていた毛利君の表情が、また微妙に動いて笑みが浮かんだ


「何をその様に変な顔をしておるのだ」

「変な顔って、!」

「大きな声を出すな
まぁ、今はまだ分からずとも良い」


それだけ言って、毛利君の視線は再び机の上の本に向けられてしまった

残された私は、馬鹿にされた悔しい思いがやりきれず毛利君を恨みがましく睨んでいたけれど、直ぐにそれも無駄だと気付いて大人しく私も読書の世界に戻った

相変わらず人の居ない図書室には、私と毛利君が本のページを捲る音だけが静かに響く
まるで司書の人さえ居ないのではないかと思えるほどの静けさ

そっと、もう一度ちらりと毛利君の方を盗み見れば、不意に目が合った
まさか気付かれると思っていなくて驚く私に対して、毛利君は目元だけで小さく笑ってまた本に視線を戻した


どうしよう、こんなに静かなのに煩い
ばくばくと早鐘を打つ自分の鼓動を叱咤しなければならなくなった所為で、私はもう読書の世界になんて戻れなくなっていた

私にとっては、毛利君の隣ほど落ち着かない場所はない










たれゆゑに










馬鹿な女だ、と思う

既に会話も止んで互いに目の前の本に向き合うようになってから数十分の時が過ぎている
隣の女は、どうやら落ち着かないらしく必死に本に目を向けてはいるがその目線がイマイチ定まらない
…と覚れる程に我に見られているともこの女は分かっていないのだろう

あぁ言っただけであの動揺とは、思ったよりも脈がある印しやも知れぬ
あの時の少し紅潮した、まぁ顔は鳩が豆鉄砲を食らったような間抜け顔ではあったが、当惑した表情は中々に見物であった

やはりこうでなければならぬ
我がこの女に翻弄されているような心持はどうも落ち着かぬ
何事に置いても主導権は我が握らねば


もう一度隣の女を盗み見れば、未だどこか落ち着かぬ様子で揺れるその目が、何故か少し色めいて見えて、思わず鼓動が大きく跳ねた事が何とも口惜しかった