▼invisible you

「ねぇ石田君、次は熱帯植物の所に行こう!」

「…貴様の好きにしろ」


空が青く晴れ渡る7月初旬の気候は植物園散策にはうってつけだった

駅で石田君と待ち合わせをしてやってきた植物園は、実は個人的に前からずっと気になっていたけれど来れていなかった場所で、着いてみれば私の方がテンションが上がってしまって石田君は私の付き添いみたいになってしまっている
元はと言えば、私が石田君の付き添いな筈なんだけど


「あ、石田君見て、あれ何だろう」

「…さとうきびの直販だな」


熱帯植物ゾーンの入り口に出ている屋台を覗いてみれば、そこには繊維質な竹のような茎が並べられていて、店の近くでは小さな子どもがそれをそのまま齧っていた


「えっ、さとうきびってそのまま齧れるの?」

「試してみれば良い」


驚く私を他所に、石田君は淡々とお店の人にお金を渡してさとうきびを一つ買って私に手渡した

こうして奢ってもらうのは何だか申し訳ないんだけど、実はこの植物園の入場料を払う時に「貴様は私の付き添いで来たのだから金を払う必要はない、中に入ってもそうだ」と言われてしまい、そんな訳にはいかない、と食い下がる私に石田君は少しムッとした顔になってしまったものだから、もう反論する事を諦めてしまった
今度お店に来たときにサービスしてあげればいいか、と思って手渡されたさとうきびを恐る恐る齧ってみた


「わ、甘い!!
すごいよ石田君、これ甘い!!」

「フン、さとうきびなのだから当然だ」

「そうだけど…でも茎ごと甘いなんて知らなかったなぁ
あ、石田君は食べないの?」

「要らん」


訊いてから、そう言えば石田君は甘い物がそんなに得意ではなかったなと思い出した
一通り私がさとうきびを堪能したのを確認してから、石田君は「行くぞ」と言って熱帯植物のゾーンへとスタスタと歩いていった

石田君は、背が高い
足も長いし、私とは歩幅が全然違う
なのに私が植物に夢中になりながら歩いても、石田君と離れたりしないのはきっと彼がすごく気を使って歩いてくれているからだ
今だって私の前をスタスタと歩いていったかと思えば、すぐに立ち止まって私の方を振り返ってくれる
言葉にはしない、態度にもあから様には出さない、だけどそんな石田君の優しさが私は凄く凄く嬉しくて、何だか幸せな気持ちになる


「何を笑っている」

「ううん、何でもない」


石田君も、私と居て少しは楽しいと思ってくれているかな
石田君は、私のことをどう思っているんだろう
そう思いながら、小さな歩幅で歩いてくれる彼の隣を笑いながら歩いた




………




「今日はありがとう石田君
何だか私ばっかり楽しんじゃったみたいで」

「まるで童子の様だったな」

「だからごめんってば…」


あんなに青かった空が一転して赤く染まり、一通り植物園を満喫した私達は帰路に着いていた
帰り道は逆方向なのに石田君は「家まで送る」と言って聞かないので、その好意に甘えさせて貰うことにした

今日一日、一緒に過ごすことで石田君の色んな面が見れて楽しかった
一度言い出したら絶対曲げないちょっと頑固なところとか、凄くすごーく不器用だけど優しいところとか
研究所の竹中先生は、石田君の尊敬する豊臣教授の助教授で、いつか自分も豊臣教授の役に立ちたいんだと夢まで語ってくれた

ひとつひとつ思い出しては顔が弛みそうになるのを堪えて、横に並ぶ彼を見上げる
その驚く程に白い横顔は、今日一日で少しは陽に焼けてくれただろうか
そうだ、本格的に夏になったら海にでも誘ってみようかな、なんて思っていると不意に視線が交わった


「貴様は、植物が好きなのか」

「え?うんまぁ好きだよ
お母さんとかが割と園芸趣味でね、いつも何かしら花が咲いてるし
今咲いてるのだと…紫蘭かな?
鮮やかな紫色で、私も凄く好きなの」

「紫蘭、か…」


庭先に咲いている紫蘭は、そろそろ枯れてしまう頃合だ
そう言えば、石田君は何だか紫蘭が似合いそうだ
葉っぱも鋭くて、真っ直ぐの茎で、鮮やかな紫

そう思っていると、石田君は視線を前に戻してどこか切なそうな、悲しそうな顔をした
紫蘭に何か嫌な思い出でもあったんだろうかと思ってその表情を覗き込めば、その目は前を見ているとは思えないほど暗くて、いつもの深淵を思わせる目よりもずっとずっと暗い光を湛えていた


「石田君…?」

「、何でもない
…次は何処を曲がる」

「えっと、そこの信号を右ですぐだよ」


声を掛けた瞬間、石田君はハッとしていつものように戻ってくれたけれど、その横顔は未だどこか憂いを帯びていて、見ているこっちが切なくなる

そのまま会話は途切れ、私の家の前に着いてから一通り今日のお礼を伝えると、石田君は小さく相槌を打ってから踵を返して来た道を帰っていった


部屋に戻る前に庭先の紫蘭をみると、やっぱり花弁が地面に落ちて枯れ始めていた
紫蘭に何かあっただろうか、そう考えてふと過ぎったのは花言葉
確か紫蘭の花言葉は「あなたを忘れない」「変わらぬ愛」そしてこのふたつとはまるで正反対の「薄れゆく愛」


どうして石田君はあの時、あんな目をしたんだろう
今日一日で、私は石田君とすごく近づけた気がしていたのに、あんな目をする石田君を見てしまった今ではすごく遠い人に感じる


ねぇ、石田君、明日もまた学校で会えるよね
またお店に来てくれるよね?


遠くに行かないで
そんな勝手な願いを、西の空に浮かび始めた月にそっと祈った










invisible you
君が、見えなくて