▼invisible you

「いらっしゃいませ!
あ、いつもの席空いてるよ」

「あぁ」

「オーダーはどうする?」

「いつものでいい」

「はい、かしこまりました」


最寄駅のすぐ近くにある喫茶店
紅茶と焼き菓子が美味しい事でちょっと有名なこの店で、私は高校生の時から働かせてもらっている
元々住宅街にある小さなお店だから、常連のお客さんが多いのだけれど、最近また新しく常連のお客さんが増えた


「お待たせ致しました
ホットセイロンティーと、おまけのオランジェット」

「蜜柑の皮か」

「そう言われるとあんまりオシャレじゃないなぁ…
砂糖漬けのオレンジピールをビターチョコで包んであるの
あんまり甘くないから石田君でも大丈夫かと思ったんだけど…」

「…不味くは無い」


「不味くは無い」どう考えても褒め言葉に値しないそれが、彼の「是」を意味するという事に気付くようになったのは、彼がここに通うようになって数回経ってからだった

石田三成君
彼がこのお店に現れた時は本当に驚いた
石田君曰く、研究室で私が渡したクッキーを食べていたところ、あの時の「半兵衛様」に見つかり、このお店の常連さんだったらしい竹中先生に頼まれてクッキーを買いに来たんだそうだ
それを話す石田君がどこかバツが悪そうな顔をしていて、尊敬している先生の頼みだから断れなかったんだろうなぁと何だか微笑ましくなって、店長に頼んで明日店に出す分のクッキー2袋を石田君に渡し、ついでにと言って半ば強引に紅茶を飲んで行ってもらった

その翌々日、「茶が気に入った」と言ってまたお店に来てくれた石田君は、それから定期的にここに通うようになっていた
紅茶を飲みながら文系の私には到底理解できなさそうな難しそうな本を読む彼とはほとんど会話が無いけれど、こうして私が出す「その日オススメの紅茶」と付け合せのお菓子の説明はちゃんと聞いてくれる
そして、石田君は私の出す紅茶やお菓子を嫌だと言った事がない
もしかして気を使ってくれているのかな、と思って一度訊いてみれば「私は嘘は吐かん」とかなりぶっきらぼうに言われてしまったので、それ以来石田君の評価は素直に受け取る事にしている


「じゃあ、ゆっくりしていってね」

「…オイ、」

「ん?何?」

「今日は、客が少ない」

「?うん、そうだね」

「何か仕事があるのか」

「え?いや…特にないけど
石田君、勉強するでしょ?
邪魔しちゃいけないからカウンターで雑誌でも読もうかと思ったんだけど」

「今日は何も持ってきていない
…だからここに居ろ」


ここ、と言って石田君が指したのはテーブルを挟んで石田君の正面に当たる椅子
確かに、ここの店主はとても良い人で暇な時は常連さんとお喋りしていても、椅子に座っていても嫌な顔はされないから問題ないけれど、まさか石田君がそれを勧めてくれるとは思ってもいなかったから少し驚いた


「じゃあ、お言葉に甘えて」


折角の好意を無下にするのも躊躇われたので、指差された席に座ってみた
石田君はその事に満足したようで、何も言わずにまだ湯気が立つティーカップを持って一口紅茶を飲んだ

向かいに座ったはいいものの、石田君は特に何か用があるわけでもないみたいで何も言わずに静かに紅茶を飲んでいる
私はそんな石田君をじっと見つめているだけで、何だかおかしな状況になってしまったなぁと内心苦笑した
石田君があまりお喋りじゃない事は知っていたけれど、自分から席をすすめておいて無言っていうのはどうなんだろうか


「ねぇ、石田君って此処以外にも行き着けのお店とかあるの?」

「コンビニはよく行くが
外出自体あまりしない、研究室と寮の往復だ」

「コンビニかぁ…何だか身体に悪そうだね
もっと栄養のあるお菓子出せばよかったかな」

「構うな、貴様に気遣われずとも事足りている」

「でも石田君ってちょっと顔色悪いし…
たまにはどこか外に出かけてみたほうがいいよ?」


石田君は髪も肌も色素が薄い所為か、少し肌が青白いだけでもすごく体調が悪そうに見える
本人は決してそんな事はないと言うけれど、身体にいい生活はしていなさそうだ
そう思ってせめて肌を陽に当てるなり運動するなりした方がいいよ、という意味を含めて外出を勧めてみると、カップの中の紅茶に注がれていた視線が私を真っ直ぐ射捕らえた


「では、貴様が連れて行け」

「え?連れて行くって石田君を?」

「そうだ、貴様が提案したのだから責任を持て」

「責任って…」


軽い気持ちでした提案を石田君は思いのほか重く受け止めているようだ
もっと簡単に「貴様に心配される筋合いはない」くらい言われると思っていたから、提案を受け入れて貰えたこと自体に少し驚いた


「うーん…健康によさそうな所と言えば…
あ!隣町にある植物園とかどうかな?
広さもあるから歩けるし、日当たりも空気も良くて最適だと思うけど」

「…いつ行く」

「え?」

「そこにいつ行くのだと訊いている」

「え、あ、そっか私も行くんだよね
んーじゃあ来週の土曜日とかはどうかな?」

「分かった
そこの駅に私が11時に迎えに来る、それでいいな?」

「う、うん!ありがとう」


今さらだけど、何だかまるでデートの約束をしたみたいで少し恥ずかしくなった
いや、男女が二人で出かける約束なんだからデートと言っても過言じゃないのかもしれないけど、あくまでも私と石田君はまだ「友達」と言えるのかどうかも分からない程の関係だし…これはどう反応すればいいんだろう

私がそんな事を考えている間に、石田君は紅茶を飲み干した様で、ティーカップをソーサーに戻した
私の気付かない内にオランジェットも全部食べてくれていたみたいで、石田君は鞄から財布を取り出していつもと同じ金額丁度を机の上に置いて立ち上がった


「石田君、」

「何だ」

「あ…え、と…
その、土曜日、楽しみにしてるね」


さっさと帰ろうとする石田君を引き止めるような形で呼び止めてしまったけれど、何と言っていいのか分からなくて結局ありきたりな言葉を呟いた
すると石田君はほんの少し目を見開いた後、小声で「あぁ」とだけ呟いてそのまま店を出て行ってしまった


本当は、石田君に訊きたいことがたくさんある
最近は前のような目を私に向ける事はほとんど無くなったけれど、それでもふとした瞬間に感じるあの深淵の視線の理由とか
初対面から私をなまえ、と名前で呼ぶ理由とか
最近見せるようになったとても柔らかい目の理由とか

でも、そんな事訊けない
私は彼の事が知りたいと思うのと同時に、どこかで彼の事を知るのが怖いと感じる事があった


土曜日、石田君はどんな気持ちで約束してくれたんだろう
石田君が使っていたティーカップを見つめながら、暫くそんな事ばかりを考えていた