▼empty dream

―…
私がなまえと出逢ったのは、私が14でなまえが13の時の事だった
資源が豊富な小国を治めるみょうじ家の一人娘であったなまえは、一時期豊臣に人質として出されていた
私となまえが知り合ったのは、その時だった


「三成様、何を読んでいらっしゃるのですか?」

「…貴様には関係ない」

「兵法の書ですか、難しそうですね」

「…」


なまえは人質の身ではあったが、器量の良さと優秀さを気に入った半兵衛様の寛大なお許しの下、城内では自由に振舞っていた
そして何故か私の居るところに来ては、すこしちょっかいを出し、私が怒る寸前のところで止めていつもただ側で歌集や物語を読んでいるような、おかしな奴だった

何度突き放しても、何度冷たくあしらっても懲りた様子を見せず、暢気な笑顔で私の横に居座るものだから、もう追い払う気力すら失せ…気付けば隣になまえが居る空間の中で読書をする時間が当たり前になっていた


「三成様、今までありがとう御座いました」

「何だ急に」

「私、明日にでも郷に帰る事になりました
父上と秀吉様のお話が終わって、私は人質として居る必要がなくなったんだそうです」

「…そうか」


実のところ、みょうじが豊臣に属することになったという事は、昨日半兵衛様から聞いていた
なまえが城を離れることも容易に想像できた筈だが、私はこうしてなまえの口からそれを告げられる迄、そんな事は考えもしなかった
それ程当たり前になっていたのだ
なまえが私の隣にいることが


「…私、帰りたくありません」

「何を馬鹿なことを、」

「私、三成様とこうしてここで過ごす時間が好きです
ずっとずっと、こうしていたいんです…だから、帰りたく、なくて」


手にしていた書を膝に置いてなまえを見遣れば、その顔は今まで私に見せてきた笑顔とは打って変わって切なげな、物乞いするような侘しい表情をしていた


「…馬鹿なことを言うな
人質で無くなったのならば貴様が此処に居る意味はない」

「…そう、ですね
国に帰れるのですもの、喜ばしい事ですよね」


俯くなまえを置いて、私はその場を後にした
去っていく私になまえは何も言わず、私も振り返らなかった


これが、私となまえの最初の別れだった



それからの私は言うまでもなく、一心不乱に秀吉様の御為にその力を振るっていた
脇目も振らず、ただ一心不乱に
しかし思うところはあった
戦から戻り、部屋で書を読んでいる時に感じる違和感
隣を見やっても、そこには何も無い

その違和感を重ねる内に、若しかしたら自分は己でも気付かぬ内になまえに懸想していたのかもしれないと気付いた
私に対して恐怖や畏れを抱くでもなく、他の女中や女達のような色目を使う事もなくただ隣で本を読みながら微笑んでいる、そんな女に何か感ずるところがあったのかもしれない

そう気付き、遣る瀬無い感情を隠すように戦場を駆けた
そんな日々が続いて数年経った或る日、思いもしなかった転機が巡ってきた



「君に、娶ってもらいたい女性が居るんだ」

「娶る…?私が、ですか」


急に半兵衛様に呼び出され、告げられたのは思いもしなかった言葉
まさか私に縁談など、と驚きを隠せずに半兵衛様を窺えば、半兵衛様は何処か楽しそうに穏やかな笑みを浮かべていた


「そう、どうしても連携を深めておきたい国でね
最近国主が変わってから少し不穏だから…秀吉の命という事にすれば向こうもさすがに受けない訳にはいかないし
どうやら国主は妹君を寵愛しているようだから、まさか可愛い妹の嫁ぎ先に刃を向けたりはしないだろう」

「…それで、何故私に?」

「年頃が丁度君と近くて…確か、君より1つ年下だったかな
それに流石に一国の姫を貰うんだ、豊臣の家中でも身分ある者でないと拙いし
…何より君は、彼女と面識がある筈だからね」

「私と、面識が…」

「覚えてないかな?
もう随分前のことだけど…此処に人質として預けられていたなまえくんの事だよ」

「!なまえを、ですか」


まさか、と思った
だが確かに最近みょうじの国主であったなまえの父親が倒れ、年若い兄が家を継いだとは聞いていた
しかしまさかずっと心の何処かでその存在を乞うていた女との縁談が、政略結婚とは言え舞い込んでくるなど思いもしなかった


「でも君はこういう事を煩わしく思うだろうから、もし本気で嫌なら…」

「構いません、私が娶ります」

「…そうかい?そう言ってくれるのなら有難いけれど」

「秀吉様と半兵衛様のお役に立てるのでしたら、どんな事であろうと厭いません」


私が即答したことに驚いたのか、半兵衛様は目を丸くして私を見た後、今度は私の真意を図るように目を細めた

正直に言えば、未だなまえに対するこの感情が何であるのかはっきりした事は分からない
だが、もし私がこの話を蹴ったとして、他の将がなまえを娶る事になったらと思うと虫唾が走るほどの嫌悪感を覚えた
何よりこの縁談ひとつで主要な国をひとつ豊臣の思うがままに出来る、秀吉様や半兵衛様のお役に立てると思えば女の一人や二人どうって事はないと思えた
故に、私がこの縁談を受けた理由になまえへの愛情などほぼ皆無に近かったのだ

それが、最初の間違いだった



…―