▼guilty rain ―… 全身が激痛に襲われたのと同時、何もかもが己の中から無くなっていく究極の虚無を感じた それが、私の生前の最後の感覚 そして次に意識が浮上した時、目の前に居た筈の仇敵は居らず、己の身体さえ確認できない何も見えない空間に意識だけが存在している、そんな不可思議な感覚に襲われた それが死を意味しているのだと確信するまでにそれ程時間は要さなかった 「行かなければ」 ほぼ衝動的な義務感に駆られて、あるのかないのか定かでない足を動かすように前へ進む しかし何も見えない空間で、一体何処へ向かおうというのか 一体何処へ行けばいいのか、何故何処かへ行かなければならないのか、それすらも分からないまま、放浪者のようにぶらぶらとただ彷徨った 己の意識以外何も存在しない空間で、意識を支配するのは生前の記憶 一般に言う走馬灯のように幼い頃からの記憶が淡々と思い出される 一家の次男として生まれ、寺に奉公に出され、秀吉様に取り立てて頂き、登城し… そこで走馬灯がぷつりと止まる 幼き頃、秀吉様の下で小姓となり日々を過ごし始めていた頃に出会った、女 まるでそれまで転寝の中にあった意識が覚醒したような衝撃が身体中を走った そして走馬灯はまた走り出す 秀吉様の下で己の力を磨く日々、城から去っていく女、秀吉様の為に戦場を駆ける喜び、胸の内に渦巻く焦燥感、女との再会、家康の裏切り、狂気に駆られ、そして―… 記憶の中の白黒だった景色が鮮明に色づいていく それまで生前の毒気が抜けたように穏やかだった感情が一気に波立った それは家康への恨みではなく、秀吉様の仇を討てなかった事への悔しさでもなく、私の世界に色を付けた女への…悔恨の情だった もし、私が生き方を変えていればあの女は死なずに済んだのではないか あの女は一体どういう心情で死んでいったのだろう 私を恨んだのか、己の身の不幸を嘆いたのか、世の中を責めたのか… 《何処へ行く、かの凶王よ》 何処だっていい こんな世界、何処へ行こうと同じだろう 《では、お前に行き場を与えてやろう》 行き場だと…? 《但しお前の持つ一つの咎を贖う為の場だ》 私の咎だと? …一体どの罪だ 《己でも気付いているだろう?今しがたお前の記憶を過ぎった咎だ》 なまえの事…か…? 聞こえてくる声が一体何者のものなのかなど気にしなかった ただ響くその声に応えることが、恐らく死後のやり取りなのだろうと薄々感じていた 私の持つ、咎 今しがた脳裏を駆け巡ったその咎は、私が失った女の鮮やかな記憶 《お前に生をやる、つまり来世だ そしてその来世にはその女も生きている》 それの一体何が私にとっての贖罪となる 《但し、お前だけが今生の記憶を持って生まれる お前だけがあの女を覚えていて、あの女はお前の事などは知りもしない》 今生の、記憶… 《お前がどれ程来世であの女を想おうと、あの女はお前を知りもしない その上、同じ世界に生まれても必ず会えるとは限らん もしそうなった場合、お前一人が前世の記憶に縛られ、咎を持ち続けて死ぬ事になる …それでも、来世を望むか?》 なまえに、また会うことができる それが贖罪の為の生で、下手をすれば前世の咎を抱き続けたまま生きる事になるとしても、それでもまた「やり直せる」というのならば私は… その生を、望む 《…望んだか ならば行くがよい、数百の時を越えてその罪を贖え せいぜい次こそは後悔せぬようにな》 闇の中の声は、それだけを言い残してまた世界に無音を連れて来た 家康を呪い殺す事でも、秀吉様が討たれるその日に還ることでもなく、ただひとりの女に犯した罪を贖う為の生を望むなど、生前の私では考えられなかった 不思議なことだが、死んで何もかも…己の命さえ失い、己の中に渦巻いていた狂気や憎悪が漱がれた様だった 望む、その罪を贖う事を そしてこの咎を抱き続けて生きることを 願わくば、その先に今生とは違う結末があると信じて… …― 瞼を開ければ月明かりが差し込む無機質な部屋の天井が目に映った 数百の時を経て、私は確かにこの咎を持ち、生を受けた そして十数年、ただひとりの女を捜し続けてやっと出逢う事ができた …だが実際は何も変わらない 拒まれることを恐れ、胸に疼く咎に引き止められ、声も掛けることができずにただ時を過ごしていた…今日までは いつの間にか雨は止んでいたらしく、常に感じる不快感は無くなっていた ベッドから半身を起こしカーテンの隙間から差し込む月を眺める なまえは、月が好きだった 現代を生きるなまえも、月を好むだろうか そして、この罪はどうすれば贖うことができるのか あの傘を受け取った瞬間のなまえの笑顔を思い出せば、同時に蘇る嘗ての記憶 もう、失う訳にはいかないのだ この生を賭けて私は己の罪を、贖う Guilty Blood 罪深い、生 ← |